周波数管理と国際調整

深宇宙ミッションが電波を出すまで — 帯域選択・規制適合・干渉計算・免許手続を、打上げまでの工程として通す一冊。
第 I 部 電波という有限資源
誰が何を決めているのか。深宇宙ミッションは「受信電力が桁違いに小さい」という一点で、他のどの無線業務とも立場が違う。

第1.1章なぜ周波数調整が要るのか — 深宇宙ミッションの立場

■ この章で学ぶこと
本書は、深宇宙ミッションが電波を使うために必要な規制・調整・手続きの全体を扱う。 その出発点として本章では、一つの事実を数字で確認する: 深宇宙からの受信電力は、地上の無線業務が扱う電力より十数桁小さい。 この一点から、本書のすべてが導かれる。 深宇宙ミッションはあらゆる無線業務の中で最も干渉に弱く、 だからこそ規制の保護を最も必要とし、 その保護は調整という手続きへの参加によってしか得られない。 「規制は面倒な制約」ではなく「規制は自分たちの生存条件」— この立場の転換が本章の目的である。

1.1.1 どれだけ弱い信号を扱っているか

まず桁を確認する。火星付近(距離 4×10⁸ km ≒ 2.7 au)の探査機が、 出力20W(=13 dBW)の送信機と利得48 dBiの高利得アンテナでX帯(8.4 GHz)を送信し、 地上の34 m級アンテナ(利得68 dBi)で受けるとする。 リンクの計算は『宇宙通信』第1.2章の式そのままである。

P_r = EIRP − L_{fs} + G_r = (13+48) − 283 + 68 = −154 [dBW]

自由空間損失 L_fs = 20 log₁₀(4πd/λ) ≈ 283 dB が全てを支配し、 受信電力は−154 dBW = 4×10⁻¹⁶ W。0.4フェムトワットである。 一方、地上の携帯電話基地局は数十W(+10〜16 dBW)を常時送信している。 その比はおよそ10¹⁷倍 — 170 dB。 深宇宙受信とは、この途方もない比の世界で信号を拾う作業である。

dBW +20 携帯基地局の送信(数十W) 0 携帯端末・無線LAN(0.1〜1W) −90 地上通信の典型的な受信電力 −154 深宇宙受信(火星距離・X帯) −184 深宇宙局の雑音床(T_sys=25K, 1kHz) 約174 dB = 10¹⁷倍 基地局1秒分のエネルギーを 集めるのに約30億年かかる比
図1.1-1 電力の桁の対比 — 本書の出発点。 深宇宙受信電力(アクセント色)は地上業務の送信電力より約17桁低く、 雑音床からの余裕も数十dBしかない。 地上業務にとって無視できる微小な漏れ込みが、深宇宙受信にとっては致命傷になる。

1.1.2 帰結 — 干渉への極端な弱さ

この桁の差から、干渉に関する非対称性が直ちに従う。 受信電力 −154 dBW のリンクに対し、雑音床は T_sys = 25 K・帯域1 kHzとして

N = 10\log_{10}(kT_{sys}B) = −228.6 + 10\log_{10}(25) + 30 ≈ −184.6 [dBW]

すなわち信号は雑音よりわずか30 dBほど上にいるだけである(データレートを上げれば差はさらに縮む)。 ここに地上業務の送信電力+16 dBWのうち、 たとえ10⁻¹⁶(−160 dB:アンテナの裏側から漏れ、山を回折し、側帯波の裾だけが届くような経路) しか届かなくても、混入電力は −144 dBW — 受信信号より10 dB強い。 地上系の設計者が「実質ゼロ」と呼ぶレベルの漏れが、深宇宙受信を壊す。

■ 原則
深宇宙ミッションは、干渉を「与える」心配より「受ける」心配が圧倒的に大きい、稀な業務である。 送信は狭いビームで空に向かい、地上に落ちる電力束は小さい(第3.6章で定量化する)。 受信は上記のとおり極端に弱い。 この非対称が、本書全体の交渉上の立場を決める: われわれは規制に「守ってもらう」側であり、 守ってもらうためには規制の枠組みに正確に乗る必要がある。

1.1.3 「先に取った者勝ち」ではない理由

周波数は有限資源である。しかし土地と違って、登記所に行けば買える資源ではない。 電波は国境で止まらないから、一国の中で完結する権利設定が原理的に不可能なのである。 日本の主管庁がある帯域を自由に割り当てても、 隣国が同じ帯域を別の用途に使えば、双方の電波は物理法則に従って混ざる。

だから周波数の秩序は、国家間の条約(国際電気通信連合憲章・条約と無線通信規則)と、 その下での手続き(第5部)によって作られている。 「先に取った者勝ち」に見える部分(第5.4章のMIFR記載の先行性)も、 正確には「先に手続きを完了した者が保護される」であり、 手続きの外で先に使い始めても何の権利も生まれない。 この構造を頭に入れると、本書の後半で述べる「なぜ7年も前から書類を書くのか」が腹落ちする。

もう一つ、深宇宙固有の事情がある。深宇宙に割り当てられた帯域は驚くほど狭い (X帯下りで50 MHz — 第2部)。 世界中の深宇宙ミッションがこの同じ狭い帯域を共用しており、 しかも相手は自国内ではなく各国の宇宙機関である。 共用のルールを決める場が国際調整(第5.4〜5.5章)であり、 その技術的基礎が干渉計算(第4部)である。

1.1.4 調整を怠ると何が起きるか

抽象論を避けて、起きることを具体的に並べる。

怠り起きること気づく時期
手続きの着手が遅いSFCG会合・ITU手続きの「待ち」が吸収できず、打上げに間に合わない。周波数は打上げ延期理由になりうる基本設計〜詳細設計(手遅れ)
他ミッションの計画を見ていない臨界運用が他機と重なり、最重要イベントで自局のリンクが劣化する運用中(最悪のタイミング)
マスク・PFD適合を後回し設計凍結後に不適合が発覚し、フィルタ追加・変調変更で設計をやり直す試験段階
登録なしで運用干渉を受けても是正を求める立場がない(第5.4章)干渉が起きた日
電波天文への配慮漏れ共存条件の違反として国際問題化し、運用制約を後から課される運用中

共通するのは、失敗が現れるのが原因から何年も後だという点である。 周波数の失敗はフィードバックが遅く、気づいたときには選択肢がない。 だから本書は工程(第5.1章)を「本書で最も実務的な章」と呼び、 逆算スケジュールの作り方から説いている。

1.1.5 本書の構成と読み方

本書は6部構成である。前から読めば体系順、後ろから読めば実務順になる。

  • 第1部(本部) — 誰が何を決めているか。分配表と業務区分という語彙
  • 第2部 — 深宇宙に割り当てられた帯域。S・X・Ka帯の中身と帯域選択
  • 第3部 — 規制の中身。RR・ITU-R勧告・SFCG勧告・マスク・PFD制限
  • 第4部 — 干渉の計算。I/N・ΔT/T、多ミッション共用、電波天文との共存
  • 第5部 — 手続きの実務。全体工程から免許・ITU・SFCG・測定・実通試験・文書まで
  • 第6部 — 事例と将来。月・火星圏の混雑、光通信、これからの課題

読み方は立場で変えてよい。設計者は第2→3→4部、プロジェクト管理者は第5部から、 初学者は素直に頭から。ただしどの立場でも、第5.1章(全体工程)だけは早めに読むことを勧める。 時間だけは後から買えない。

最後に、本書の性格上の注意を繰り返す。 規制は改正される。本書は構造と考え方を教えるが、 現行の数値・条文は必ず一次資料(付録C)で確認し、確認日を記録すること。 本文の各章末にある「要確認」は、そのためのチェックリストである。

Q. 電波は共有資源だというなら、光通信も同じ扱いなのか
A. 違う。光は指向性が桁違いに鋭く、ビームが他者に当たること自体が例外的なので、 電波と同じ干渉管理の必要が(今のところ)薄い。 制度上も、電波法の「電波」の定義(3 THz以下 — 第5.2章)から外れており、 無線局免許の対象にならない。この「別世界」は第6.3章で扱う。
Q. 深宇宙は送信も大電力(地上局は20 kW級)なのに、「与える心配が小さい」と言えるのか
A. 地上局の大電力送信(『地上局工学』第4章)は確かに例外で、 上り送信は空港・衛星・近隣業務への配慮が要る(第4.3章、第5.2章の運用制約)。 「与える心配が小さい」のは主に探査機の下りの話である: 深宇宙からの電波が地球表面に作る電力束密度は極めて小さい(第3.6章で計算する)。 上りと下りで立場が逆転することは、本書の随所で効いてくる。
Q. 商用の通信衛星も同じ枠組みなのか
A. 枠組み(ITU・国内法)は同じだが、力学が違う。 静止軌道・非静止軌道の商用通信は、限られた軌道位置・帯域を多数の事業者が奪い合う世界であり、 調整は競争の色が濃い。深宇宙は使用者が少数の宇宙機関に限られ、 SFCG(第3.3章)という協調の場が機能している。 本書は後者を扱う。前者の議論を深宇宙に持ち込むと、調整の作法を誤る。
■ この章のまとめ
  • 深宇宙受信は−154 dBW(フェムトワット級)。地上業務の送信より約17桁低い
  • 信号は雑音床の数十dB上にいるだけ。地上系の「実質ゼロ」の漏れが致命傷になる
  • 深宇宙は干渉を受ける心配が与える心配を圧倒する稀な業務(例外は地上局の上り送信)
  • 電波は国境で止まらないから、周波数の秩序は条約と手続きで作られる
  • 保護されるのは「先に使った者」ではなく「先に手続きを完了した者」
  • 深宇宙帯域は狭く、世界中のミッションが共用する。調整は宇宙機関間の協調で回る
  • 周波数の失敗はフィードバックが数年遅れる。気づいたときには選択肢がない
  • 規制は改正される。一次資料と確認日が本書の作法である
要確認(一次資料)。 本章の数値例(EIRP・アンテナ利得・T_sys)は桁を示すための典型値であり、実ミッションの値は各設計に拠る。 リンク計算の方法は『宇宙通信』第1.2章、雑音温度は『地上局工学』第3.4章を参照。 条約体系(ITU憲章・条約・無線通信規則)の現行版は付録Cの索引から確認すること。

第1.2章電波の管理体系 — ITU・地域機関・国内主管庁の三層

■ この章で学ぶこと
前章で「周波数の秩序は条約と手続きで作られる」と述べた。 本章はその誰がの部分 — 意思決定の見取り図である。 電波の管理は国際(ITU)・地域(APT等)・国内(総務省)の三層でできており、 層ごとに決める内容も、文書も、改正の周期も違う。 ここを誤解すると「どの文書を読むべきか」「どこに働きかけるべきか」を間違える。 加えて深宇宙の実務では、この公式の三層の外にSFCGという宇宙機関間の調整体が存在し、 公式の体系より速く・細かく動いている。この二重構造まで含めて見取り図を作る。

1.2.1 ITU — 条約に基づく国際機関

国際電気通信連合(ITU)は国連の専門機関であり、その無線通信部門がITU-Rである。 深宇宙ミッションに関係する構成要素は次の四つに絞られる。

構成要素何をするか出てくる文書周期
WRC(世界無線通信会議)無線通信規則(RR)を改正する。分配表の変更はここでしか起きないRR(条約としての効力を持つ)3〜4年ごと
研究委員会(SG、深宇宙はSG7)技術基準・共用条件を研究し勧告にまとめるITU-R勧告(SA・RAシリーズ等 — 第3.2章)随時
BR(無線通信局)事務局。届出の受理・審査・MIFRの管理(第5.4章)BR IFIC(国際周波数情報回章)隔週
RRB(規則委員会)規則の解釈、手続き規則の承認手続き規則(RoP)年数回

重要な区別はRRと勧告の効力の差である。 RRは条約であり加盟国を法的に拘束する。 ITU-R勧告は原則として任意 — ただしRRから参照された勧告は その範囲で拘束力を持つ(第3.1〜3.2章)。 「ITUが決めた」という言い方は、この区別を潰してしまうので使わないこと。 WRCが決めればRR、SGが決めれば勧告である。

1.2.2 地域機関 — 三つの「地域」と会議前の合従連衡

RRの分配表は世界を第1地域(欧州・アフリカ・中東)、第2地域(南北アメリカ)、 第3地域(アジア・太平洋 — 日本はここ)に分ける(第1.3章)。 これと対応して、WRCに向けた地域的な意見調整を行う機関がある: APT(アジア太平洋 — 日本が属する)、CEPT(欧州)、CITEL(米州)、その他。

実務上の意味はこうである。WRCの議題は膨大で、各国が個別に主張しても通らない。 地域機関で共同提案を作ってからWRCに臨むのが現代の標準的な流れであり、 日本の主張は多くの場合APTの共同提案として提出される。 つまり分配表を変えたい(あるいは変えられたくない)とき、 働きかけの実質的な入口はWRC本番ではなく、その数年前の国内検討と地域会合である。

1.2.3 国内主管庁 — 総務省

国内層では、総務省が主管庁(administration)として二つの顔を持つ。

  • 対外 — 日本国を代表してITUに臨む。WRCへの提案、届出の提出(第5.4章:ITUへの行為者は常に主管庁)
  • 対内 — 電波法に基づく国内の規律。周波数割当計画の維持、免許の付与(第5.2〜5.3章)

国内の周波数分配はRRの分配表と整合するように作られるが、同一ではない。 RRが許す範囲の中で、国内事情による絞り込みや追加条件が入る(第1.3.5項)。 したがって「RRで割り当てられているから日本で使える」は誤りで、 国内分配表と割当ての実態まで確認して初めて「使える」と言える。

1.2.4 三層を貫く経路 — 決定はどう降りてくるか

国際層:ITU — WRCがRRを改正 分配表・手続き・PFD制限などの条約レベルの枠 地域層:APT / CEPT / CITEL WRCへの共同提案づくり(会議前の実質的な調整) 国内層:総務省(主管庁) 国内分配・割当計画・免許(電波法) 提案は下から上がる 運用機関・免許人(あなた):免許と登録の枠内で運用 SFCG 宇宙機関間の調整体 拘束力なし・実効性大 機関の設計・運用を直接縛る
図1.2-1 意思決定の三層と、その脇に立つSFCG。 規制の効力は上から下へ降り、提案は下から上へ上がる。 SFCG(アクセント色)は公式の層構造の外にあるが、 宇宙機関の設計・運用には最も直接に効く(第3.3章)。

この図から、実務者への含意を三つ引き出せる。

  1. 読む文書の順序 — 自分の帯域について、RR(条約の枠)→ 国内分配・割当計画(国内の枠)→ SFCG勧告(機関間の申し合わせ)の三つを重ねて、最も厳しい条件を特定する(第5.2章の「規制の二重構造」)
  2. 時間感覚 — RRを変えるにはWRC周期(3〜4年)+提案準備で10年仕事。 国内制度の変更は年単位。SFCGは年次会合で動く。 「規制を変えて解決する」は、ほぼ常にミッションの時間軸に間に合わない。 現行規制を所与として設計するのが基本姿勢である
  3. 働きかけの入口 — それでも将来の帯域確保などで規制側に動いてほしいときの入口は、 総務省の国内検討の場と、機関を通じたSFCG・ITU-R SG7への技術寄与である

1.2.5 SFCG — 公式体系の脇に立つ実効的な調整体

SFCG(宇宙周波数調整グループ)は、各国宇宙機関が集まる調整体である。 詳細は第3.3章に譲るが、見取り図の中での位置づけをここで押さえる。

ITUの体系SFCG
構成員国家(主管庁)宇宙機関
文書の効力RRは条約として拘束勧告に法的拘束力はない
速度WRC周期(3〜4年)年次+随時
粒度業務単位の分配ミッション単位の実務調整
実効性法的相互性による(第5.5章)

深宇宙の日常の調整はSFCGの層で回り、ITUの手続きはそれを法的に確定させる(第5.4章)。 公式の見取り図だけ見ているとSFCGが視野から抜け、 SFCGだけ見ているとMIFR記載(法的保護)を取り損ねる。両方を持つこと。

Q. 結局、自分のミッションの周波数を最終的に「決める」のは誰なのか
A. 一人ではない。枠はWRC(分配表)、国内の許可は総務省(免許)、 機関間の共用条件はSFCG、国際的な保護はBR(MIFR記載)がそれぞれ与える。 どれか一つでも欠ければ運用は成立しない。 「決裁者が複数いて、それぞれ別の時計で動く」— これが第5.1章の三本線の正体である。
Q. WRCで深宇宙の帯域が取り上げられることはあるのか
A. ある。深宇宙帯域自体は安定しているが、隣接帯域・共用帯域の分配変更は 毎回のWRCで起こりうる(新しい地上業務の追加など)。 自分の帯域の隣で何が起きようとしているかは、WRC議題の段階で追う必要がある。 これが第5.8章で「規制改正の追跡」を定常業務に入れた理由である。
Q. 地域機関の存在は深宇宙ミッションに直接関係するのか
A. 日常の調整では登場しない(相手は主にSFCGと個別機関)。 効いてくるのはWRC対応の局面と、 分配が地域で異なる帯域(第1.3章)を扱うときである。 「普段は意識しないが、見取り図から消すと数年に一度困る」層だと思えばよい。
■ この章のまとめ
  • 管理体系はITU(条約)・地域機関(会議前調整)・国内主管庁(免許)の三層
  • WRCが決めればRR(拘束)、SGが決めれば勧告(原則任意、RR参照で拘束)— 効力の区別を常に付ける
  • 分配表の変更はWRCでしか起きない。規制変更は10年仕事 — 現行規制を所与として設計する
  • 国内分配はRRと整合するが同一ではない。「使える」は国内側まで見て初めて言える
  • SFCGは公式三層の外にあり、拘束力なし・実効性大。深宇宙の日常調整はここで回る
  • 決裁者は複数で、別々の時計で動く。これが工程管理(第5.1章)の前提になる
要確認(一次資料)。 ①ITU-R研究委員会の構成と、深宇宙関連の課題の所在(SG7の現行の作業状況)。 ②WRCの次回開催と深宇宙に関係する議題。 ③国内の検討体制(情報通信審議会等)の現行の構成。 組織・会議体の名称と構成は変わりうるため、参照時点を明記すること。付録C参照。

第1.3章周波数分配表の読み方

■ この章で学ぶこと
無線通信規則(RR)の心臓部は第5条の周波数分配表である。 9 kHzから275 GHz超までの全スペクトルについて、 「この帯域はどの業務が使ってよいか」を定めた巨大な表であり、 周波数に関するあらゆる議論はこの表を引くところから始まる。 ところがこの表は独特の記法で書かれており、独学が最も難しい部分でもある。 本章では表の1行を実際に分解し、地域・業務の大文字小文字・脚注という 三つの読み方の鍵を身につける。読み終えたとき、 任意の周波数について「深宇宙ミッションがそこで何をしてよいか」を自力で引けるようになることを狙う。

1.3.1 表の構造 — 三つの列と三つの地域

分配表は第1地域(欧州・アフリカ・中東・ロシア)、第2地域(南北アメリカ)、 第3地域(アジア・太平洋)の三列で構成される。日本は第3地域である。 三列が一つに結合されていれば世界共通の分配、 列が分かれていれば地域ごとに分配が違うことを意味する。

深宇宙ミッションにとって幸いなことに、深宇宙用の主要帯域は三地域共通である (世界中の局と通信する業務の性質上、当然そうなっている)。 地域差が効いてくるのは、隣接帯域の地上業務との共用条件(第4.3章)を調べるときである。 相手の業務は地域ごとに違うからだ。

1.3.2 大文字と小文字 — 一次業務と二次業務

表の各欄には業務名が並ぶ。ここに最初の記法がある: 大文字で書かれた業務は一次業務、頭文字だけ大文字の業務は二次業務である (例:「SPACE RESEARCH」は一次、「Space research」は二次)。 両者の権利の差は明確に定義されている。

一次業務二次業務
先行する一次業務への干渉与えてはならない(調整で解決)与えてはならない
一次業務からの干渉保護を主張できる保護を主張できない
二次業務どうし先行局が保護される

要するに二次業務は「一次の邪魔をせず、一次に文句を言わない」という条件で使う立場である。 深宇宙ミッションの視点では、この区別は次のように効く: 自分の業務(宇宙研究)が一次で分配されている帯域でなければ、 第1.1章で述べた「守ってもらう」立場が成立しない。 微弱な深宇宙受信を二次の地位で運用するのは、保護のない裸の運用に近い。 深宇宙リンクの本線は必ず一次分配の帯域に置く。これが帯域選択(第2.5章)の大前提である。

1.3.3 脚注 — 本質は欄外にある

表の欄には「5.○○○」という番号が散りばめられている。これが脚注であり、 分配表の読解で最も重要な部分である。脚注には三種類ある。

  • 分配を変える脚注 — 特定の国・地域で分配を追加・削除する(「○○国においては…にも分配する」)。 表の列だけ見て判断すると、この種の脚注で覆される
  • 条件を付ける脚注 — 「この帯域の宇宙研究業務の使用は深宇宙に限る」 「PFDは…を超えてはならない」のように、使用条件・保護条件を定める。 深宇宙帯域の実質はほぼこの種の脚注に書かれている
  • 他条項・勧告を参照する脚注 — 具体的な基準をITU-R勧告に委ねる。 第1.2章で述べた「RRから参照された勧告は拘束力を持つ」の入口がここである
■ 原則
分配表は「列を見て、脚注で確定する」。 列は骨格、脚注が実質である。 とくに「深宇宙」という限定は業務名の列には現れず、脚注に書かれる (宇宙研究業務の分配のうち、どの帯域が深宇宙用かは脚注が決めている — 第2.1章)。 脚注を読まずに分配表を引いた気になるのが、初学者の定番の誤りである。

1.3.4 1行を分解する

実際の読み方を、深宇宙X帯下り(8400〜8450 MHz付近)を模した行で示す。

表に書かれていること(例)読み方
8400-8450帯域の範囲(MHz)。上端・下端は隣の行と連続する
FIXED固定業務が一次で分配されている(地上マイクロ波回線など — 共用相手。第4.3章)
MOBILE except aeronautical mobile移動業務(航空移動を除く)も一次
SPACE RESEARCH (space-to-Earth) 5.465宇宙研究業務(宇宙から地球方向=下り)が一次。脚注5.465が条件を定める
脚注 5.465(欄外)「この帯域の宇宙研究業務の使用は深宇宙に限る」という趣旨の限定

この1行から読み取れる実務情報は多い。 ①深宇宙下りはここで一次の地位を持つ。 ②ただし固定・移動業務と同格の共用であり、独占ではない — だから地上業務との共用条件(第4.3章)と地上局の局地的な電波環境(『地上局工学』第7.3章)が問題になる。 ③「深宇宙に限る」の限定により、近地球ミッションはこの帯域を使えない — 深宇宙と近地球で帯域が分かれている理由である(第2.1章)。

1.3.5 国内分配表との照合

第1.2章で述べたとおり、日本国内で使えるかどうかは国内の周波数分配・割当ての実態で決まる。 国内分配表はRRの第3地域の分配を基礎に、国内の業務配置を反映して作られており、 総務省が公開している(周波数割当計画)。読み方の手順は次のとおり。

  1. RR分配表(第3地域の列+脚注)で国際的な枠を確認する
  2. 国内の周波数割当計画で同じ帯域を引き、国内で誰に割り当てられているかを確認する
  3. 差分に注目する — 国際では分配があるのに国内で割当てがない、条件が追加されている、など。 その帯域を使いたければ、この差分が最初の相談事項になる(第5.2章)

1.3.6 絞り込みの手順 — 「使ってよい帯域」の導出

以上を、ミッション設計の初期に行う絞り込み手順としてまとめる。

  1. 業務を特定する — 自分のリンクがどの業務区分か(次章)。深宇宙探査機の通信なら宇宙研究業務(深宇宙)
  2. 方向を特定する — 上り(Earth-to-space)か下り(space-to-Earth)か。分配は方向つきで書かれている
  3. 分配表から、その業務・方向が一次で分配された帯域を列挙する
  4. 脚注で条件(深宇宙限定、PFD制限、保護条件)を確定する
  5. 国内分配・割当計画と照合する
  6. 残った候補について、共用相手と干渉環境(第4部)、技術的な得失(第2.5章)を評価する

手順3までで候補は数個に絞られる。深宇宙の場合、結論は実質的に S・X・Ka帯の指定席(第2部)に落ちるのだが、 「なぜその帯域なのか」を分配表から自力で導けることには意味がある。 調整の場(第5.5章)でも申請書(第5.3章「開設を必要とする理由」)でも、 この導出がそのまま論拠になるからである。

Q. 分配表はどこで見られるのか
A. RRはITUが公開しており、現行版を無償で入手できる。 国内の周波数割当計画は総務省の電波利用ホームページで公開されている。 いずれも付録Cに入手先をまとめた。二次資料(解説記事・古い教科書)の分配情報で設計判断をしないこと。 分配はWRCごとに変わりうる。
Q. 一次業務どうしなら、どちらが優先されるのか
A. 地位は対等であり、時間的な先行が優先を作る(第5.4章:先に調整・登録を終えた局が保護される)。 「一次だから勝てる」のではなく「一次どうしの土俵に乗れる」が正確な理解である。 その土俵の上での決着が調整(第5.5章)である。
Q. 深宇宙帯域に「割り込んでくる」新しい業務はないのか
A. 分配の追加はWRCの議題として提案されうるし、実際に隣接帯域では起きてきた。 既存の一次業務は保護されるのが原則だが、 共用条件の議論に参加しなければ、条件は他人が決める。 各国宇宙機関がITU-R SG7とWRCの準備活動に人を出し続けているのは、この防衛のためである(第6.4章)。
■ この章のまとめ
  • 分配表は第1〜3地域の三列。日本は第3地域。深宇宙主要帯域は三地域共通
  • 大文字=一次、小文字=二次。二次は「一次の邪魔をせず、一次に文句を言わない」立場
  • 深宇宙リンクの本線は必ず一次分配の帯域に置く。保護がなければ微弱受信は成立しない
  • 列は骨格、脚注が実質。「深宇宙に限る」等の限定・条件・勧告参照はすべて脚注にある
  • 深宇宙帯域は固定・移動業務等との共用であり独占ではない。共用条件が第4.3章の主題になる
  • 国内で使えるかは国内分配・割当計画との照合で確定する。差分が最初の相談事項
  • 絞り込みは業務→方向→一次分配→脚注→国内→技術評価の順。導出過程がそのまま申請の論拠になる
要確認(一次資料)。 本章の例示(8400-8450 MHzの行、脚注5.465の内容)は構造を示すための要約であり、 引用としては使えない。実際の分配・脚注文言は必ずRR現行版の第5条を直接引くこと。 国内側は総務省の周波数割当計画の現行版を参照。 いずれもWRC・国内改正で変わるため、引いた版と確認日を必ず記録すること。付録C参照。

第1.4章宇宙関連の業務区分 — SR・SO・EESS・RAS

■ この章で学ぶこと
前章の絞り込み手順は「業務を特定する」から始まった。 本章はその業務区分の各論である。宇宙関連の業務区分のうち、 深宇宙ミッションに関わる四つ — 宇宙研究業務(SR)・宇宙運用業務(SO)・ 地球探査衛星業務(EESS)・電波天文業務(RAS) — を定義から押さえる。 とくに重要なのは、SRの中の「深宇宙」という距離による定義である。 ここの理解がずれると、使える帯域の判断(第2部)から干渉解析の相手の特定(第4部)まで、 以降の議論が全部ずれる。

1.4.1 業務区分とは何か — 「用途」ではなく「法的な地位」

業務区分は、通信の技術的な形態ではなく分配表上の法的な地位である。 同じX帯の同じ変調の電波でも、宇宙研究業務として出すのと固定業務として出すのとでは、 使える帯域も、保護のされ方も、適用される条件も違う。 免許申請(第5.3章)でも届出(第5.4章)でも、最初に問われるのは 「あなたの通信はどの業務か」である。

1.4.2 宇宙研究業務(SR)と「深宇宙」の定義

宇宙研究業務(Space Research Service)は、 科学・技術の研究を目的として宇宙機を用いる無線通信業務である。 深宇宙探査機のテレメトリ・コマンド・測距はここに入る。

そしてRRは「深宇宙」を距離で定義している: 地球からの距離が2×10⁶ km(200万km)以上の宇宙空間である(RR No. 1.177)。 この線引きは月と火星の間に引かれている点が実務上決定的である。

天体・領域地球からの距離RR上の区分
低軌道・静止軌道〜36,000 km近地球
384,400 km近地球(2×10⁶ km未満)
太陽-地球L2点約1.5×10⁶ km近地球(ぎりぎり未満)
深宇宙の境界2×10⁶ km
火星・金星・小惑星帯・外惑星>10⁷ km深宇宙

この定義から三つの帰結が出る。

  • 月ミッションは深宇宙帯域を使えない。月は「深宇宙っぽい」が、RR上は近地球である。 月周回・月面のミッションは近地球用の帯域(第2.1章)を使う。 月圏の混雑(第6.2章)はこの帯域側で起きている
  • L2の宇宙望遠鏡も近地球扱いである(約150万km — 境界の内側)。 深宇宙帯域の割当てを前提にした設計はできない
  • 同じ探査機が区分をまたぐことがある。地球スイングバイを使う探査機は、 巡航中は深宇宙、地球近傍では2×10⁶ km未満に入る。 どの帯域をどの局面で使うかは、この境界を意識して計画する
■ なぜ深宇宙だけ帯域を分けるのか
第1.1章の数字がそのまま答えである。深宇宙リンクは近地球リンクより数十dB弱い (距離比 4×10⁸ km/4×10⁴ km = 10⁴、自由空間損失で80 dB)。 この二つを同じ帯域に混ぜると、近地球機の強い信号が深宇宙受信を確実に壊す。 だからRRは深宇宙専用の帯域を切り出し、脚注で「深宇宙に限る」と限定している(第1.3章)。 帯域の分離は、電力の桁の分離である。

1.4.3 宇宙運用業務(SO) — 「運ぶ中身」ではなく「機体の維持」

宇宙運用業務(Space Operation Service)は、宇宙機の運用 (テレコマンド・テレメトリ・追跡)のみに関する業務である。 SRとの違いは目的の違いであり、境界は次のように整理できる。

  • 科学探査機のTT&C — 研究目的の一部としてSRで扱われるのが通例
  • 通信衛星・実用衛星のTT&C — 衛星本体の業務(固定衛星業務等)に付随、またはSO

深宇宙ミッションの実務でSOが登場する場面は限られるが、 打上げ直後の初期運用(まだ近地球距離にいる)や射場周辺の追跡設備では SO帯域・近地球SR帯域が使われる。第5.7章で見た「打上げ直後」の周波数計画は、 この区分の重なりの上にある。

1.4.4 地球探査衛星業務(EESS)

地球探査衛星業務(Earth Exploration-Satellite Service)は、 地球観測衛星のデータ伝送・センサ運用のための業務である。 深宇宙ミッションとの関わりは主に帯域の近接で生じる: X帯の8025〜8400 MHzはEESSの下りに広く使われており、 深宇宙下り(8400〜8450 MHz)のすぐ隣である。 地球観測衛星の高速ダウンリンクは強力で数も多く、 深宇宙局にとって現実的な隣接帯域干渉源になる(第4.3章)。 「自分の業務区分」だけでなく「隣の業務区分」を知る必要があるのは、このためである。

1.4.5 電波天文業務(RAS) — 送信しない業務という特殊性

電波天文業務(Radio Astronomy Service)は、宇宙起源の電波の受信のみを行う業務である。 送信局が存在しないため、他業務と干渉の与え合いにならず、一方的に受ける側に立つ。 そして観測対象は自然現象であり、人工信号との区別も回避もできない。 このためRASの保護基準(第3.2章・第4.4章)は全業務の中で最も厳しい水準に設定されている。

深宇宙ミッションとRASの関係は二面ある。

  • 干渉を与えうる側として — 探査機の下り・スプリアスがRAS保護帯域 (例:31.3〜31.8 GHzはKa帯深宇宙下りの近傍)に落ちる構成は、設計段階で避ける(第4.4章)
  • 設備と利害を共有する隣人として — 深宇宙局と電波天文台は、 静かな電波環境を必要とする点で同類であり、サイト選定の論理も共通する (『地上局工学』第7.3章)。規制の場では、静かな帯域を守る側の同盟者でもある

1.4.6 自分のミッションを分類する

章末演習を先取りして、分類の手順を示す。ミッションのリンクごとに行う。

  1. リンクを列挙する — 上り、下り、(あれば)中継・探査機間リンク、着陸機-周回機間リンク
  2. 各リンクの距離域を運用フェーズごとに確認する — 2×10⁶ kmの境界をまたぐか
  3. 目的から業務を当てる — 科学探査のTT&C・データ伝送はSR(深宇宙/近地球)
  4. 特殊なリンクを個別に確認する — 着陸機-周回機のような天体近傍のリンクは、 地球との通信とは別の枠組み(SFCGの周波数計画 — 第6.2章)が発達しつつある
【例:火星探査ミッションの分類】 周回機+着陸機の火星ミッションを考える。
①地球⇔周回機(巡航・火星軌道):距離>10⁷ km — SR(深宇宙)。X帯深宇宙帯域
②地球⇔探査機(打上げ〜地球圏離脱):<2×10⁶ km — 近地球側の帯域で初期運用
③周回機⇔着陸機(UHF近接リンク):火星近傍 — 地球の分配表の外形上はSR扱いだが、 実務はSFCGの近接リンク周波数計画に従う(第6.2章)
一つのミッションに三つの異なる枠組みが同居する。これを一枚の表にしておくことが、 申請(第5.3章:局を数える)と届出の出発点になる。
Q. 「深宇宙」の200万kmという線は、なぜ月の外側に引かれたのか
A. 制度の歴史的経緯を要確認とした上で、技術的な合理性は説明できる: 月ミッション(38万km)と惑星ミッション(数千万km以上)では自由空間損失が40 dB以上違い、 要求される受信性能・保護水準が質的に異なる。 境界をどこに置くにせよ、月と惑星の間のどこかに引く必要があり、 2×10⁶ kmはL2ハロー軌道(約150万km)を近地球側に収める位置にある。 線引きの正確な文言はRR No. 1.177を直接引くこと。
Q. 月ミッションが深宇宙帯域を「ちょっとだけ」使うことはできないのか
A. できない。脚注の「深宇宙に限る」は距離の定義とセットで拘束であり、 月は定義上その外にある。月ミッションの帯域は近地球側で計画する(第2.1章・第6.2章)。 逆に、深宇宙帯域の静けさは、この線引きが守っているものである — 月圏の膨大なトラフィックが深宇宙帯域に入ってこないことの恩恵は、 深宇宙ミッション側から見れば大きい。
Q. アマチュア無線の深宇宙機や、民間の深宇宙ミッションはSRを名乗れるのか
A. 業務の定義は目的(科学・技術の研究)で書かれており、主体の官民は本質ではない。 民間の深宇宙探査でもSRとして扱われた例はある。 ただし個別の判断は主管庁によるので、非典型的なミッションほど早期の相談が要る(第5.2章)。 アマチュア業務として行う宇宙活動は別の業務区分(アマチュア衛星業務)であり、 深宇宙SR帯域は使えない。
■ この章のまとめ
  • 業務区分は用途の説明ではなく分配表上の法的な地位。申請・届出の最初の問いになる
  • 深宇宙=地球から2×10⁶ km以上(RR No. 1.177)。距離による定義である
  • 月(38万km)もL2(150万km)も近地球。深宇宙帯域は使えない
  • 帯域の分離は電力の桁の分離。深宇宙専用帯域は微弱受信を近地球の強信号から守る仕組み
  • SOは機体維持のための業務。科学探査機のTT&Cは通例SRで扱う
  • EESSはX帯深宇宙下りの隣人。現実的な隣接帯域干渉源(第4.3章)
  • RASは受信のみの業務で保護基準が最も厳しい。与える側の配慮同盟者の側面の二面で関わる
  • 分類はリンクごと・運用フェーズごとに行う。一つのミッションに複数の枠組みが同居する
要確認(一次資料)。 ①「深宇宙」の定義の正確な文言(RR No. 1.177)と、各業務の定義(RR第1条)。 ②本章で挙げた帯域の数値(8025-8400、8400-8450、31.3-31.8 GHz等)は第2部で詳述するが、 いずれもRR現行版で確認すること。 ③着陸機-周回機間リンクの扱いはSFCGの勧告類で発展中の領域であり、最新の状況を確認すること(第6.2章)。 付録C参照。
第 II 部 深宇宙に割り当てられた帯域
S帯・X帯・Ka帯。深宇宙に与えられた帯域は驚くほど狭く、それがデータレートの上限を直接決めている。

第2.1章深宇宙帯域と近地球帯域

■ この章で学ぶこと
第2部では、深宇宙に割り当てられた帯域の中身を見る。 本章はその総論として、二つの事実を確立する。 第一に、宇宙研究業務の帯域は深宇宙用と近地球用に分かれており、相互に乗り入れできないこと (第1.4章の距離定義がここで効く)。 第二に、深宇宙に与えられた帯域は合計してもおよそ1 GHz、 主力のX帯下りに至っては50 MHzしかないこと。 3 THzまで広がる電波スペクトルの中で、深宇宙の取り分は0.03%程度である。 この狭さが、データレートの上限(第2.3章)から多ミッション共用(第4.2章)まで、 本書のあらゆる制約の源泉になる。

2.1.1 Category A と Category B

実務では、SFCG・CCSDSの用語で近地球ミッションをCategory A (地球から2×10⁶ km未満)、深宇宙ミッションをCategory B(2×10⁶ km以上)と呼ぶ。 RRの「深宇宙」の定義(第1.4章)と同じ線である。 帯域・スペクトルマスク(第3.4章)・保護基準は、このカテゴリごとに定められている。

2.1.2 割当帯域の一覧

深宇宙(Category B)の主要割当は、S・X・Ka帯の三対に整理される。

方向周波数(MHz)備考
S帯上り2110〜212010 MHz地上IMT(携帯電話)と共用 — 第2.2章
下り2290〜230010 MHz近地球S帯下り(2200-2290)のすぐ上
X帯上り7145〜719045 MHz近地球X帯上り(7190-7235)が隣接
下り8400〜845050 MHzEESS(8025-8400)と近地球(8450-8500)に挟まれる
Ka帯上り34200〜34700500 MHz
下り31800〜32300500 MHz電波天文帯域(31300-31800)のすぐ上 — 第4.4章

対応する近地球(Category A)の主要割当は、 S帯上り2025〜2110/下り2200〜2290、X帯上り7190〜7235/下り8450〜8500、 Ka帯下り25500〜27000などである。 近地球側のほうが広いことに注意 — 利用者数が桁違いに多いからである。

0 GHz 35 GHz 全スペクトルの中の深宇宙帯域(幅は実尺) S X Ka下り Ka上り 拡大:X帯付近(7.0〜8.6 GHz) 7.0 8.6 GHz 深宇宙上り 45MHz 近地球上り EESS下り 375MHz 深宇宙下り 50MHz 近地球 深宇宙の合計:上り 555 MHz + 下り 560 MHz ≈ 1.1 GHz — 3 THzの約0.04% うちX帯下りは50 MHz。世界中の深宇宙ミッションがこの50 MHzを分け合う
図2.1-1 深宇宙割当帯域を実尺で描く。 上段:0〜35 GHzの軸上で、深宇宙帯域(アクセント色)は髪の毛ほどの線にしかならない。 下段:X帯付近を拡大すると、深宇宙下り50 MHzがEESSと近地球割当に挟まれている様子が見える。

2.1.3 なぜ分けるのか — 桁の分離、そして静けさの確保

分離の第一の理由は第1.4章で述べた電力の桁の分離である。 加えて第二の理由がある:深宇宙帯域を「使う資格」を距離で制限することで、 利用者数そのものを抑えている。 近地球には毎年数百機が打ち上がるが、深宇宙ミッションは世界で年数機である。 もし境界がなければ、深宇宙の静かな帯域は近地球ミッションで埋まっていただろう。 狭いが静か — これが深宇宙帯域の設計思想である。

2.1.4 混雑度と将来の逼迫

「静か」は「空いている」を意味しない。X帯下り50 MHzの中には、 運用中の深宇宙ミッションが常時十数機以上おり、各機が数MHz〜十数MHzを占有する。 幾何的に離れていれば同一周波数の再利用も可能だが(第4.2章)、 同じ方向(例:火星)に複数機がいる時代には、火星圏だけで帯域が埋まりつつある。 混雑の実際と対策は第4.2章・第6.2章で扱うが、総論として言えるのは: 帯域は今後増えない前提で設計するということである。 分配表の変更は10年仕事(第1.2章)であり、隣接業務が既に埋まっている以上、 拡張の余地は事実上ない。増えるのはKa帯・光(第6.3章)の利用である。

2.1.5 カテゴリを跨いだ運用

第1.4章の帰結を運用面から整理する。

  • 深宇宙機の打上げ直後(距離<2×10⁶ km)— 深宇宙帯域の使用が制度上まだ成立しない期間がありうる。 初期運用をどの帯域・どの局で行うかは、この境界を意識して計画する(第5.7章)
  • 近地球機が深宇宙帯域を使うこと — 不可。脚注の限定(第1.3章)に反する
  • 深宇宙機が近地球帯域を使うこと — 分配上は近地球帯域の業務条件に従う限り可能で、 初期運用・緊急時にS帯近地球帯域を使う設計は実際にある(第2.2章)

境界またぎの取り扱いは形式的に見えて、届出(第5.4章)の書き方に直結する。 どのフェーズでどの帯域を使うかの表(第1.4章の演習)が、ここでも土台になる。

Q. 1ミッションあたりの「取り分」はどのくらいと考えればよいか
A. 固定の取り分は存在しない(チャネル割当制ではない)。 実態として、X帯下りでは1ミッションが数MHz〜十数MHzを使い、 同時に見える方向の機体数で50 MHzを分け合う。 章末演習のとおり、仮に同一ビーム内に5機いれば1機あたり平均10 MHz — 高レート伝送(第2.3章)には既に苦しい数字である。 この算術が、Ka帯(1機あたり数十〜百MHz級が可能)への移行圧力の正体である。
Q. 深宇宙帯域の一覧に「26 GHz帯」が出てくる資料を見た。あれは何か
A. 25.5〜27.0 GHzは近地球(Category A)の下り帯域であり、 月ミッション・地球観測の高速ダウンリンクに使われる(第6.2章で月圏の文脈で再登場する)。 「Ka帯」という呼び名が深宇宙の31.8〜32.3 GHzと混同されやすいので、 本書では周波数を併記して区別する。帯の通称は業界・文脈で揺れる — 数字で話すこと
Q. なぜ上りと下りで帯域が離れているのか
A. 送受同時運用(フルデュプレックス)のためである。 探査機も地上局も送信しながら受信する。送信の漏れ込みから自局の微弱受信を守るには、 周波数で十分離すのが基本であり(『地上局工学』第4.4章のダイプレクサ)、 上り下りの比はコヒーレントターンアラウンド比(X帯 880/749 — 『電波航法と軌道決定』第2.3章)として規格化されている。 帯域の配置は、測距・ドップラ計測の仕組みとも噛み合って決まっている。
■ この章のまとめ
  • ミッションはCategory A(近地球)とCategory B(深宇宙)に分かれ、帯域・マスク・保護基準が別
  • 深宇宙の主要割当はS(10/10)・X(45/50)・Ka(500/500 MHz)の三対、合計約1.1 GHz
  • X帯下りは50 MHz。世界中の深宇宙ミッションがこれを分け合う
  • 分離の思想は電力の桁の分離利用者数の制限による静けさの確保
  • 帯域は今後増えない前提で設計する。増えるのはKa帯と光の利用
  • 境界(2×10⁶ km)またぎの運用は制度上の扱いが変わる。フェーズごとの帯域計画表を作る
  • 帯の通称は揺れる。周波数の数字で話す
要確認(一次資料)。 本章の帯域表はRR第5条の分配と関連脚注に基づく要約であり、 端点の正確な値・業務区分・条件は必ずRR現行版で確認して自分の表を作ること(第1.3章の手順)。 Category A/Bの区分とカテゴリ別の技術条件はSFCG勧告・CCSDS勧告(401系)の現行版を参照。付録C参照。

第2.2章S帯 — 2 GHz付近

■ この章で学ぶこと
S帯(上り2110〜2120/下り2290〜2300 MHz)は深宇宙通信の出発点となった帯域である。 初期の深宇宙ミッションはすべてS帯で飛び、機器も運用ノウハウも最も枯れている。 しかし現在のS帯は、携帯電話網のただ中に取り残された10 MHzという描像が正確である。 本章では、S帯の物理的な不利(電離層・利得)と環境的な不利(地上業務との共用)を定量的に押さえた上で、 それでもS帯が残る場面 — 緊急時・小型機・射場周辺 — を整理する。 「古いから使わない」ではなく「不利を知った上で限定的に使う」が現代のS帯の位置づけである。

2.2.1 割当の範囲と歴史的経緯

深宇宙S帯は上り下りともわずか10 MHzである(第2.1章の表)。 初期の深宇宙計画がこの帯域を選んだのには理由があった: 当時のマイクロ波技術で安定に扱え、 宇宙雑音(銀河背景)が減り大気雑音がまだ小さい「雑音の谷」に近く、 降雨減衰も実質無視できる。 技術が2 GHzを快適に扱えた時代の、合理的な選択である。 その後の高周波化(X帯→Ka帯)で主役は移ったが、割当自体は維持されている。

2.2.2 物理的な不利① — アンテナ利得と帯域

同じ開口径のアンテナ利得は f² に比例する(『宇宙通信』第1.3章)。 S帯(2.3 GHz)はX帯(8.4 GHz)より周波数が約3.7倍低いので、 同じアンテナで利得が11.2 dB低い。上下リンク双方で効くから、 同じ機材ならリンク全体で20 dB以上不利になる。 さらに使える幅が10 MHzしかないため、高レート伝送は物理的に成立しない。 S帯は本質的に低レートのTT&C用帯域である。

2.2.3 物理的な不利② — 電離層

電離層の群遅延は周波数の二乗に反比例する(『電波航法と軌道決定』第3.2章):

Δτ = \frac{40.3·TEC}{c·f^{2}} ⇔ Δρ = \frac{40.3·TEC}{f^{2}} [m]

TEC = 50 TECU(5×10¹⁷ el/m²、昼間の中緯度でありうる値)のとき、経路長誤差は

周波数電離層による経路長誤差S帯比
S帯2.3 GHz3.8 m1
X帯8.4 GHz0.29 m1/13
Ka帯32 GHz0.020 m1/190

測距・ドップラを使う軌道決定にとって、この差は決定的である。 さらに電離層シンチレーション(振幅・位相の揺らぎ)も低周波ほど強く、 太陽合の通信途絶角もS帯が最も広い(『電波航法と軌道決定』第3.3章)。 航法精度を要求するミッションがS帯を主回線にしない理由は、この物理にある。

2.2.4 環境的な不利 — 携帯電話網との共用

現代のS帯の最大の問題は物理ではなく環境である。 深宇宙上り2110〜2120 MHzは、IMT(携帯電話)の基地局送信帯域と重なって共用されている。 つまり深宇宙局の周辺では、無数の基地局が深宇宙上りと同じ周波数を全力で送信している。

  • 上り(地上局送信)として — 深宇宙局の大電力送信が携帯網に影響しうる側。 地上局周辺での運用条件・調整が必要になる(第4.3章)
  • 下り2290〜2300の受信として — 帯域自体は重ならないが、 強力な地上送信が近傍にあると受信系の飽和・相互変調(『地上局工学』第3.6章)を起こす。 RFI環境の悪化として現れる(『地上局工学』第7.3章)
■ 帰結
S帯の可用性は局のサイトごとに違う。都市圏に近い局ほど環境は悪く、 主要深宇宙局の中にはS帯サポートを縮小・終了したものもある。 S帯を計画に入れるときは、「割当がある」ではなく 「使う予定の局が、その年代に、実際にS帯を運用しているか」を確認すること。 帯域の存在と支援体制の存在は別物である。

2.2.5 それでもS帯を使う場面

以上の不利を踏まえてなお、S帯には残る役割がある。共通するのは 「利得が低くてよい=ビームが広くてよい」場面である。

場面なぜS帯か
打上げ直後・初期運用姿勢確立前の探査機を広いビームで確実に繋ぐ。近地球S帯(2025-2110/2200-2290)の局網が使える
緊急時・セーフモード低利得アンテナ+低レートで最後の命綱を確保。搭載機器が枯れていて信頼性が高い
小型・低コスト機送受信機が安価・低消費電力。高レートを要求しないミッションプロファイル
射場・追跡支援射場系・追跡支援網の既存インフラがS帯ベース

設計上の要点は、これらがすべて「主回線が別にある前提の補助回線」だという点である。 補助回線としてのS帯は、主回線(X/Ka帯)と同時に届出・免許の対象になるので、 手続き上は最初から数に入れておく(第5.3章:局を数える)。

2.2.6 移行の流れ — S帯の将来

深宇宙通信の主役はS帯→X帯(現在)→Ka帯(進行中)と高周波側に移ってきた。 S帯の割当が直ちに消えることは考えにくいが、地上業務側の圧力 (モバイル帯域の拡張要求は常にある — 第6.4章)と局側の支援縮小により、 使える場面は狭まり続けると見るのが安全である。 新規ミッションの計画では、S帯に依存する構成(S帯しか持たない探査機)は 支援局の確保という運用リスクを抱えることを認識しておく。

Q. S帯10 MHzで、実際どこまでのデータレートが出るのか
A. 占有帯域幅を10 MHzに収める前提で、変調・符号化にもよるが桁としては数Mbpsが上限である。 ただし深宇宙S帯を使う場面(緊急時・低利得アンテナ)ではリンク電力のほうが先に律速になり、 実際のレートは数bps〜数kbpsであることが多い。 帯域の狭さより電力の乏しさが効く、という点も補助回線的な性格を表している。
Q. 2 GHz帯が携帯電話と重なっているのに、なぜ分配が両立しているのか
A. 分配表上は複数業務の共用として成立しており(第1.3章:共用は例外でなく原則)、 実際の両立は地理的な分離で保っている。深宇宙局は人口密集地から離れた場所にあり、 局周辺の基地局配置には調整の余地がある。 それでも環境は年々悪化する方向にあり、これが「S帯縮小」の実態である。 共用の一般論は第4.3章で扱う。
Q. 演習のヒント:S帯とX帯の電離層遅延差は航法にどう効くのか
A. 2.2.3項の表の値(3.8 m vs 0.29 m)がそのまま測距バイアスの桁になる。 電離層は時間・空間変動するので、この誤差は較正しても残差が残る。 レンジ精度1 m級を狙う現代の軌道決定(『電波航法と軌道決定』第4部)では、 S帯の電離層残差は主要誤差源になり、X帯では一桁下がる。 デュアル周波数(S+X)でTECを推定して消す手法も同書第3.2章にある。
■ この章のまとめ
  • 深宇宙S帯は上下とも10 MHz。最も古く、機器・運用が枯れた帯域
  • 物理的不利:同一開口でX帯より利得11 dB低、電離層誤差は13倍(3.8 m @50TECU)
  • 環境的不利:上り2110-2120は携帯基地局帯域と共用。局サイトごとに可用性が違う
  • 帯域の存在と支援体制の存在は別物。使う局のS帯支援計画を必ず確認する
  • 残る役割は広ビームでよい場面:初期運用・緊急時・小型機・射場支援
  • いずれも主回線が別にある前提の補助回線。手続きには最初から数に入れる
  • S帯依存の構成は支援局確保という運用リスクを抱える。使える場面は狭まり続ける
要確認(一次資料)。 ①S帯共用の現状(2110-2120 MHz付近の国内割当てとIMT配置)は国内周波数割当計画の現行版で確認。 ②各深宇宙局のS帯支援の現状・計画は各局の公表資料(DSN・ESTRACK・国内局 — 『地上局工学』第8部)で確認。 ③TEC値と電離層モデルはITU-R P.531等の現行版。数値例のTEC=50 TECUは典型値であり保証値ではない。付録C参照。

第2.3章X帯 — 8 GHz付近

■ この章で学ぶこと
X帯(上り7145〜7190/下り8400〜8450 MHz)は現在の深宇宙通信の主力である。 電離層の影響が小さく、降雨にもまだ強く、機器も地上局網も完全に成熟している。 よほどの理由がなければ、新規深宇宙ミッションの本線はX帯から検討が始まる。 本章の主題はその天井である。下り50 MHzという割当幅が、 達成可能なデータレートの上限を直接決めており、 しかもその50 MHzを複数ミッションで分け合う。 「X帯で足りるか」という問いに定量的に答えられるようになることが、本章の目標である。

2.3.1 割当と隣人

X帯深宇宙割当の隣接関係は、第2.1章の図で見たとおり窮屈である。

周波数(MHz)業務本書での扱い
8025〜8400EESS下り(地球観測衛星)隣接帯域干渉の主要相手(第4.3章)
8400〜8450深宇宙SR下り本章
8450〜8500近地球SR下り境界をまたぐ運用(第2.1章)
7145〜7190深宇宙SR上り本章
7190〜7235近地球SR上り

上下の比 8450/7190 ≈ 880/749 はコヒーレントターンアラウンド比として規格化されており、 2ウェイドップラ・測距の基盤になっている(『電波航法と軌道決定』第2.3章)。 X帯を選ぶことは、この測位系一式を選ぶことでもある。

2.3.2 50 MHzの天井 — データレートの上限を計算する

占有帯域幅 B の中に収まる最大シンボルレートは、スペクトル整形(ロールオフ率 α)を使って

R_s ≤ \frac{B}{1+α} ⇒ R_b = R_s · \log_2 M · r

で見積もれる(M:多値数、r:符号化率)。仮に1ミッションがX帯下りの割当全体 B = 50 MHzを独占できたとして:

構成R_s(α=0.35)情報レート R_b
BPSK + LDPC r=1/237 Msps19 Mbps
QPSK + LDPC r=1/237 Msps37 Mbps
QPSK + LDPC r=7/837 Msps65 Mbps
8PSK系 + r=7/8(帯域効率重視)37 Msps約100 Mbps

すなわち独占できても数十Mbps、実際には共用なので1ミッションあたり数〜数十Mbpsが X帯の構造的な天井である。高解像度カメラ・合成開口レーダを積む現代の探査機は この天井に容易に当たる。ここでの選択肢は三つしかない: ①帯域効率を上げる(高次変調+高率符号 — 所要C/N₀が上がるのでリンク電力との交換。『宇宙通信』第2部)、 ②Ka帯へ行く(第2.4章)、③レートを諦めて運用でカバーする(長い可視時間・データ選別)。 周波数の議論がそのままミッション設計の議論になる典型例である。

■ 電力律速か帯域律速か
深宇宙リンクは伝統的に電力律速(帯域は余っていて、C/N₀が足りない)だった。 現代の大型ミッション+大口径局+高率符号の組合せでは、 X帯下りは帯域律速(電力的にはもっと送れるのに幅がない)に入ることがある。 自分のリンクがどちらの領域にいるかで、打つ手(符号を変える/帯域を変える)が逆になる。 リンクバジェットと帯域計算を並べて確認すること。

2.3.3 50 MHzの中の共用 — チャネル配置の実際

50 MHzは、SFCGの場での実務調整(第5.5章)により、 ミッションごとに中心周波数を割り振って共用される。像としては下図である。

8400 8425 8450 MHz 機A(低レート) 機B(高レート・広い) 機C 機D(計画中) 裾は隣のチャネルに重なる — スペクトルマスク(第3.5章)と配置調整(第4.2章)が効く場所
図2.3-1 X帯下り50 MHzの中の複数ミッション(模式図)。 各ミッションのスペクトルが中心周波数をずらして並ぶ。高レート機(B)は広い幅を占め、 裾(サイドローブ)は隣に重なる。破線の新規計画(D)は空きを探して入る — これが第5.5章の調整の中身である。

この図から実務上の含意を引く。 ①広い幅を使う機ほど、置ける場所の自由度が小さい。高レートミッションほど調整を早く始める。 ②裾の重なりは避けられないので、干渉計算は「重なるが害はないか」を問う(第4.2章のI/N評価)。 ③同じ中心周波数の再利用は、天球上の分離(別方向の探査機どうし)があれば成立する。 逆に同一天体圏に集まるミッション群が最も苦しい(第6.2章)。

2.3.4 電波天文・他業務との近接

X帯下りの近傍では、電波天文の連続波観測に使われる帯域や、 メタノールメーザ線(6.7 GHz)・水メーザ線(22 GHz)ほど有名ではないが保護対象の観測が存在する。 また8400〜8450自体が電波天文のVLBI観測(深宇宙機を電波源として使う観測を含む)と共存している。 スプリアス(第5.6章)をRAS保護帯域に落とさない設計は、X帯でも確認事項である(第4.4章)。 主戦場はKa帯(31.3〜31.8 GHzの隣接 — 第2.4章)だが、X帯も無縁ではない。

2.3.5 X帯の当面の位置づけ

Ka帯・光への移行が進んでも、X帯が近い将来に主力の座を完全に譲るとは考えにくい。 理由は三つある。①全天候性 — 降雨減衰が小さく、緊急時・クリティカル運用の回線として残る (第2.4章でKa帯の弱点として再述)。 ②地上局網の互換性 — 世界中の深宇宙局がX帯を装備しており、クロスサポート(『地上局工学』第7.5章)の共通言語である。 ③測位系との結合 — ΔDOR等の観測網・カタログがX帯で整備されている(『電波航法と軌道決定』第2.4章)。 現実的な将来像は「TT&C・航法・緊急系はX帯、大容量データはKa帯/光」という役割分担であり、 新規ミッションの多くがX+Kaのデュアル構成を取る理由もここにある(第2.5章)。

Q. 50 MHzの端(8400 MHz・8450 MHzぎりぎり)に置いてはいけないのか
A. 置きにくい。自分の裾が割当外(EESS帯域・近地球帯域)にはみ出すからである。 帯域外発射の規制(第3.5章)は割当の端で最も厳しく効くので、 実際に使える「中心周波数の置き場」は50 MHzより一回り狭い。 占有帯域幅が広いミッションほどこの目減りが効く — 2.3.2項の天井は、その分さらに低い。
Q. 上り45 MHzの混雑は問題にならないのか
A. 下りより緩い。上りは局から探査機への指令・測距が主で、要求レートが低く占有幅が狭い。 また送信できる局が世界に数か所しかないため、時間・方向の調整がしやすい。 ただし同一局から同一方向への複数機同時アップリンク(火星圏など)では 上りのチャネル配置も調整対象になる(第4.2章・第6.2章)。
Q. 演習のヒント:符号化率を変えると最大レートはどう動くか
A. 2.3.2項の式で r だけを動かせばよい。ただし本当の演習はその先にある: r を上げると所要Eb/N0も上がる(『宇宙通信』第2.2章の符号化利得の裏返し)。 帯域律速なら高率符号が有利、電力律速なら低率符号が有利 — 「最大レート」は帯域と電力の二つの制約の交点で決まることを、 自分のリンクバジェットで確認してほしい。
■ この章のまとめ
  • X帯(7145-7190/8400-8450)は現在の主力。電離層・降雨・成熟度のバランスが最良
  • ターンアラウンド比880/749により測位系一式と結合している
  • 下り50 MHzの天井:独占でも数十Mbps、共用の実際では1機あたり数〜数十Mbps
  • 現代の大型ミッションでは帯域律速に入ることがある。電力律速と打つ手が逆になる
  • 50 MHzの共用は中心周波数の配置調整で回る。広い機ほど早く調整を始める
  • 割当の端は裾のはみ出しで使いにくい。実効的な置き場は50 MHzより狭い
  • 将来像は役割分担:TT&C・航法・緊急はX帯、大容量はKa帯/光。X+Kaデュアルが標準化しつつある
要確認(一次資料)。 ①変調方式・整形フィルタの推奨(CCSDS 401系勧告、SFCGの帯域効率勧告 — 第3.4章)の現行版。 本章のα=0.35、LDPC符号率などは例示であり推奨値そのものではない。 ②実ミッションのチャネル配置の現状はSFCG・各機関の公開情報で確認。 ③VLBI・電波天文との共存条件はITU-R RAシリーズ勧告(第3.2章・第4.4章)。付録C参照。

第2.4章Ka帯 — 32 GHz付近

■ この章で学ぶこと
Ka帯(上り34.2〜34.7/下り31.8〜32.3 GHz)は、深宇宙通信の現在進行形の移行先である。 魅力は明快で、割当幅500 MHz — X帯下りの10倍。 さらに同一開口の利得がX帯より11.6 dB高い。 代償も明快で、降雨に弱く、指向に厳しく、大気に敏感。 つまりKa帯は「平均は良いが分散が大きい」帯域であり、 リンク設計の言葉で言えば、マージン設計が「定数」から「統計」に変わる。 本章ではこの利得と代償を定量的に並べ、可用性という新しい設計変数の扱い方を学ぶ。

2.4.1 何が10倍で、何が11 dBか

X帯下りKa帯下り
割当幅50 MHz500 MHz10倍
同一開口の利得(f²)基準+11.6 dB(32/8.4 GHz)約14.5倍
自由空間損失基準+11.6 dB
晴天時の大気・雑音小さいやや増える
降雨時〜1 dB級数〜十数dB桁違い

自由空間損失の増加は送受アンテナ利得の増加と相殺され (両端の開口が同じなら、リンク全体で +11.6×2 − 11.6 = +11.6 dB の得)、 晴天のKa帯はX帯より明確に有利である。 帯域10倍と合わせて、晴天なら1桁上のデータレートが視野に入る。 問題はこの「晴天なら」が付くことである。

2.4.2 降雨減衰 — 統計としてのリンク

降雨減衰は周波数のおよそ2乗強で増える(『地上局工学』第3.7章)。 X帯で1 dB程度の雨がKa帯では10 dBを超えうる。 重要なのは、降雨は確率現象であり、減衰量は「年間の何%を許容するか」で決まることである。 ITU-R P.618系の統計モデルを使い、可用性 p% に対する所要マージン A(p) を読む:

可用性 99%(年間87.6時間の欠測許容)→ A ≈ 数dB 可用性 99.9%(8.8時間)→ A ≈ 十数dB(温帯多雨地域のKa帯)

マージンをdBで積むほど、晴天時にはそのマージンが「無駄」になる。 ここでKa帯の設計は発想を変える:固定マージンで守るのではなく、 落ちることを許容して運用で回収する。具体的には、

  • 可変データレート — 天候・仰角に応じてレートを切り替え、平均スループットを最大化する
  • データ再送・蓄積 — 探査機側の記録装置を深くし、欠測分を後で回収する
  • クリティカルデータの分離 — 落とせないもの(航法・緊急TT&C)はX帯に残す(第2.3章の役割分担)
■ 発想の転換
X帯のリンク設計は「最悪条件で成立させる」だった。 Ka帯では「年間トータルで持ち帰るデータ総量を最大にする」に変わる。 評価量がマージン(dB)から期待スループット(bit/年)に変わり、 リンクバジェットに気象統計が入る。『宇宙通信』のリンク設計と 『地上局工学』第3.7章の降雨統計を束ねたところに、Ka帯の設計実務がある。

2.4.3 指向の壁 — ビームは開口とともに細る

利得を上げるとビームは細る。半値幅は θ ≈ 21/(f·D) 度(f: GHz、D: m)で、 34 mアンテナのビーム半値幅はX帯で0.074°、Ka帯で0.019°である。 指向誤差 e によるロスは(『地上局工学』第2.6章)

L_p ≈ 12\,(e/θ_{3dB})^{2} [dB]

同じ指向誤差でも、θが1/3.8になれば損失は14倍(dB値で)になる。 Ka帯運用は地上局に対して指向誤差予算の全面的な見直し (風・熱変形・追尾方式 — 同書第2部)を要求し、 探査機側にも高精度の姿勢・アンテナ指向を要求する。 「Ka帯に対応する」とは送受信機を替えることではなく、機械系と制御系を作り直すことに近い。

2.4.4 サイトダイバーシティ

降雨は局地現象である(激しい雨ほど狭い)。 数百km離れた2局が同時に強雨に入る確率は、単独局の確率よりずっと小さい。 これを使うのがサイトダイバーシティ — 複数局で同じパスを支援し、良い方を採る構成である。

P_{joint} ≈ P_1 · P_2 / D_{gain} (D_{gain}:距離・気候相関で決まる利得)

深宇宙網は元々経度分散した複数局(『地上局工学』第8.2章)を持つので、 ダイバーシティは網の構成と相性が良い。 代償は局時間の消費が倍になることで、 ただでさえ逼迫する地上局スケジュール(『地上局工学』第7.1章)との交換になる。 クリティカルイベント(軌道投入など)の Ka帯受信でだけダイバーシティを組む、 という使い分けが現実的である。

2.4.5 移行判断 — Ka帯に行くべきか

X帯からKa帯への移行判断は、次の問いの連鎖で整理できる。

  1. レート要求はX帯の天井(第2.3章:数十Mbps)を超えるか — 超えないならX帯で足りる
  2. 欠測を許容できるデータか — 科学データの大半は再送で回収できる。できないものはX帯に残す
  3. 使う局はKa帯受信に対応しているか(対応予定か) — 局の対応が最大の現実的制約(第2.5章)
  4. 探査機側の指向・熱・機器の成熟度は足りるか
  5. それでも足りなければ光(第6.3章)を検討する段階である

現代の答えは多くの場合「X+Kaのデュアル」になる(第2.3章)。 規制の面から一つ付け加えると、Ka帯はまだ空いている — 500 MHzに対して利用ミッションが少なく、チャネル配置の自由度が大きい。 早く移行するミッションほど良い場所を先に押さえられる、 という第5.4章の先行者の論理が、ここでも働いている。

Q. 31.8-32.3 GHzのすぐ下(31.3-31.8 GHz)が電波天文と聞いた。どう効くのか
A. Ka帯下りの下端は受動業務(電波天文・受動センサ)の保護帯域に隣接しており、 帯域外発射をそこに落とさないことが設計要求になる(第4.4章)。 チャネルを割当の下端近くに置くミッションほどマスク(第3.5章)が厳しく効く。 Ka帯の「空き」は、この端の制約を織り込んで評価すること。
Q. 深宇宙Ka帯にも上り(34.2-34.7 GHz)があるが、使われているのか
A. 下りより利用は少ない。上りを高周波化する動機(大容量アップリンク、高精度測位)が 限られるためで、多くのミッションは上りX帯+下りX/Ka帯の構成を取る。 ただし将来の高精度測距・時刻比較や、探査機への大容量データ配送(ソフトウェア更新等)で 利用は増えると見られる。上り送信設備の整備状況は局ごとに異なるので確認が要る。
Q. 演習のヒント:可用性99%の所要マージンはどう求めるか
A. ①局の位置の降雨統計(ITU-R P.837の雨量強度 R₀.₀₁)を引く。 ②P.618の手順で、仰角・周波数から0.01%超過減衰 A₀.₀₁ を計算する。 ③確率スケーリング式で1%(p=1.0)に換算する。 ④大気ガス・雲・シンチレーション(P.676/P.840)を加える。 『地上局工学』第3.7章に計算例がある。重要なのは仰角依存で、 低仰角パスほど所要マージンが跳ね上がる — Ka帯の運用計画は仰角マスクとセットで作る。
■ この章のまとめ
  • Ka帯は幅10倍(500 MHz)・同一開口で+11.6 dB。晴天なら1桁上のレートが視野に入る
  • 代償は降雨。マージン設計が定数から統計(可用性)に変わる
  • 設計思想の転換:最悪条件で守る → 年間スループットを最大化し、欠測は運用で回収
  • 落とせないデータ(航法・緊急)はX帯へ — X+Kaデュアルの根拠
  • ビームはX帯の1/3.8。指向誤差予算の全面見直しが地上・機上双方に要る
  • サイトダイバーシティは深宇宙網と相性が良いが、局時間2倍との交換
  • Ka帯はまだ空いている。先行者が良いチャネルを押さえる力学は Ka帯でも同じ
  • 下端は受動業務の保護帯域に隣接。端に置くほどマスクが効く
要確認(一次資料)。 ①降雨・大気の統計モデルはITU-R P.618/P.837/P.676/P.840の現行版(版により手順・係数が変わる)。 ②31.3-31.8 GHzの受動業務保護の条件(RR脚注とITU-R RA.769 — 第4.4章)。 ③各深宇宙局のKa帯対応状況(受信・送信別)は各局の公表資料で確認。 本章の数値(0.019°、十数dB等)は典型条件の例示であり、設計には自条件での計算を用いること。付録C参照。

第2.5章帯域選択という設計判断

■ この章で学ぶこと
第2部の締めとして、S・X・Kaの各論を一つの設計判断に束ねる。 帯域選択は「性能の良い帯域を選ぶ」問題ではない。 規制(割当・共用条件)・物理(伝搬・利得)・機器(成熟度・リソース)・ 地上局(対応・スケジュール)・時間(手続きの律速)が絡む多目的のトレードであり、 しかもミッション最初期に、情報が最も少ない状態で決めなければならない (第5.1章:帯域の目星はL−7年)。 本章はそのトレードを表の形式に落とし、結論よりも判断根拠を残す作法までを扱う。 ここで作る表とその根拠が、申請の「開設を必要とする理由」(第5.3章)と 調整の説明資料(第5.5章)にそのまま化ける。

2.5.1 判断に効く要素 — 六つの軸

問い本書の該当
① レート要求ピーク・平均のデータ量はいくらか。欠測を許容できるか第2.3〜2.4章
② 伝搬・物理降雨統計、電離層、太陽合、仰角プロファイル第2.2〜2.4章
③ 規制・調整環境割当幅、混雑度、隣接業務、マスクの厳しさ第1・3・4部
④ 機器成熟度送受信機・アンテナ・指向制御の実績と、質量・電力コスト『宇宙通信』第4部
⑤ 地上局使える局はどれか。対応帯域・スケジュール・費用『地上局工学』第7〜8部
⑥ 航法要求測距・ドップラ・ΔDORの精度要求と帯域の関係『電波航法と軌道決定』

見落とされやすいのは⑤と⑥である。 ⑤は次節で述べるとおり、しばしば他のすべてを支配する。 ⑥は「通信の帯域選択」が同時に「航法系の選択」であることを意味する — ΔDORの精度は信号の広がり幅に比例するので(同書第2.4章)、 Ka帯は航法にとっても魅力である一方、観測網・カタログの整備はX帯が厚い(第2.3章)。

2.5.2 現実的な支配項 — 地上局の対応状況

紙上のトレードでKa帯が勝っても、使う予定の局がKa帯を受けられなければ無意味である。 地上局の帯域対応は局ごと・年代ごとに違い、改修には年単位の計画が要る。 確認すべきは三点:

  • 対応の有無と時期 — 自ミッションの運用年代に、その帯域の送信・受信が使えるか(改修計画込み)
  • 性能 — G/T・EIRP・対応レート・記録装置(第5.7章の実通試験まで見据えて)
  • スケジュール — 対応局が1局しかなければ、その局の混み具合が自ミッションの可視時間を決める

クロスサポート(他機関局の利用 — 『地上局工学』第7.5章)を含めて選択肢を洗うと、 「X帯はどこでも受かるが、Ka帯は特定の局に縛られる」という非対称が現れるのが普通である。 この非対称はミッションの運用柔軟性そのものなので、トレード表に明示的に載せること。

2.5.3 トレードオフ表のテンプレート

判断を表に落とす。行が評価軸、列が候補構成である。 候補は単一帯域ではなく構成(組合せ)で立てるのがこつである。

評価軸案1:X単独案2:X+Ka案3:S+X
ピークレート△ 数十Mbps天井◎ Kaで1桁上△ Xの天井
全天候性(クリティカル運用)◎(X側で確保)
初期運用・緊急系○ X低利得系○ 同左◎ S帯広ビーム
航法(測距・ΔDOR)◎ 実績厚い◎+(Ka高精度の余地)
機器の質量・電力・実績◎ 最軽量△ 2系統ぶん増える
地上局対応の自由度◎ ほぼ全局△ Ka対応局に依存○(S帯縮小に注意 — 第2.2章)
調整の見通し(混雑・マスク)△ X帯は混む○ Kaは空いている△ S帯環境悪化
手続き・開発の追加コスト◎ 最小△ 2帯域ぶんの調整・試験

この表はテンプレートであり、◎○△の埋め方はミッション要求で全部変わる。 大容量科学ミッションなら案2が、技術実証の小型機なら案1や案3が浮上する。 表の価値は結論ではなく、どの軸を重く見たかを明示することにある。

■ 原則
帯域選択は「後から変えられない度」が最も高い設計判断の一つである。 変調や符号は打上げ後でも(機上ソフト次第で)動かせるが、 帯域はRF機器・アンテナ・地上局契約・国際調整のすべてに縛られ、 設計凍結後の変更は事実上ミッションのやり直しに近い。 だからこそ最初期に、幅(第5.1章の包絡)を持たせて決め、 判断の前提を文書に残す — 前提が崩れたことを検知できるように。

2.5.4 複数帯域併用の設計

X+Kaデュアル(現代の標準解)を組むときの設計上の要点を挙げる。

  • 役割の分離を明文化する — TT&C・航法・緊急はX、大容量科学データはKa(第2.3〜2.4章)。 「どちらでも送れる」設計は、運用規則が曖昧になり調整(第5.5章)でも説明しにくい
  • 同時送信の整合 — X/Ka同時下りは探査機の電力・熱と、 地上局の同時受信能力(『地上局工学』第3.1章の広帯域フィード)に依存する
  • 手続きは2帯域ぶん — 届出・調整・測定・実通試験がそれぞれ両帯域で要る。 第5部の工程が並列に2本走ると考えて計画する
  • 片系運用の成立性 — Ka系が失われてもミッション最低限が成立するか(Xのみで の縮退運用)。この検討が、そのままクリティカルデータの分離設計になる

2.5.5 判断根拠を残す — 将来の自分への手紙

帯域選択の文書(トレード表+根拠)は、後年これだけの場面で再利用される。

  1. 免許申請の「開設を必要とする理由」「周波数選定の理由」(第5.3章)
  2. 調整の場での「なぜこの帯域・この幅が必要か」の説明(第5.5章)
  3. 設計変更時の影響評価 — 前提(レート要求・局対応)が変わったとき、 判断が覆るかどうかを差分で検査できる
  4. 次期ミッションの検討の出発点(第5.8章:記録は次のミッションの速度を決める)

逆に、根拠のない「X帯で行く」だけの記録は、 数年後に「なぜKaにしなかったのか」という問いに答えられず、 同じトレードを一からやり直すことになる。 結論は1行で書けるが、価値があるのは残りの10ページ(根拠)のほうである。

Q. 小型・低予算の深宇宙機はどう選ぶべきか
A. 小型機は④機器と⑤地上局の制約が支配的になる。 現実解は「X帯単独+既製の深宇宙トランスポンダ」が基本線で、 理由は機器の入手性と、どの局でも受かる運用柔軟性である。 レートは諦め、データ選別(機上処理)で科学成果を守る設計になる。 S帯単独は局の支援縮小リスク(第2.2章)があるため、新規設計では勧めにくい。
Q. トレード表で点数化(重み付き合計)はすべきか
A. 慎重に。点数化は「重み」に判断を隠すので、 重みの根拠を示せないなら◎○△と文章の根拠のほうが誠実である。 とくに全天候性のような閾値型の要求(満たすか満たさないか)は加点方式に馴染まない。 表は意思決定の道具ではなく説明の道具と割り切るのがよい。 意思決定そのものは、閾値要求で足切りした後の少数案の比較で行う。
Q. 光通信はこのトレードにいつ入ってくるのか
A. 「Ka帯でも足りない」レート要求が見えたときと、 技術実証そのものが目的のとき(第6.3章)。 現時点の光はRF回線の置き換えではなく追加であり、 TT&C・航法・悪天候時のバックボーンとしてRF(少なくともX帯)は残る。 トレード表に光を足すときは、「免許不要・調整の枠組みが別」という 規制面の特殊性(第6.3章)を軸③に反映させること。
■ この章のまとめ
  • 帯域選択は六軸(レート・伝搬・規制・機器・地上局・航法)の多目的トレード
  • 現実には地上局の対応状況が支配項になりやすい。対応・性能・スケジュールの三点を確認
  • 候補は単一帯域でなく構成(X単独/X+Ka/S+X…)で立てる
  • 帯域は最も後から変えられない設計判断。最初期に幅を持たせて決め、前提を文書化する
  • デュアル構成は役割分離の明文化片系縮退の成立性が要点。手続きは2本並走する
  • トレード表は説明の道具。結論より根拠が資産であり、申請・調整・次期検討で再利用される
要確認(一次資料)。 本章のトレード表の◎○△は一般傾向の例示であり、実ミッションでは各軸を自条件で再評価すること。 地上局対応状況(帯域・G/T・改修計画)は各局の最新の公表資料・支援協定に拠る。 『宇宙通信』第6.2章の設計ウォークスルーと併読し、リンクバジェットと帯域選択を往復させるのが実務の型である。付録C参照。
第 III 部 規制の中身
無線通信規則・ITU-R勧告・SFCG勧告。変調指数を一つ動かした瞬間に適合性が変わる、というところまで技術と規制を接続する。

第3.1章無線通信規則(RR)の構造と条文の引き方

■ この章で学ぶこと
第3部では規制の中身に入る。その最初は一次資料を自分で引く基礎体力である。 無線通信規則(RR)は数千ページに及ぶ条約文書であり、 通読するものではなく引くものである。 引けるようになるには、全体の構造(どこに何があるか)と、 条文番号の記法(「No. 11.44」とは何か)を知っていればよい。 本章を読み終えれば、本書がこれまで参照してきたRRの条項 (9.1、11.44、第5条の脚注…)を、自分で原文に当たって確認できるようになる。 孫引きで仕事をしない — これが本書で最も重要な作法である。

3.1.1 RRとは何か — 法的な位置づけ

RRは国際電気通信連合(ITU)の基本文書の一部であり、 ITU憲章・条約を補完する業務規則として、加盟国を拘束する条約文書である(第1.2章)。 改正できるのはWRC(世界無線通信会議)だけであり、 WRCのたびに改訂版が発行される。「RRを引く」とは、 特定の版(例:Edition of 2024)の特定の条項を引くことである。 版を言わない引用は、引用として不完全である。

3.1.2 全体の構造 — どの巻に何があるか

部分中身深宇宙実務での使用頻度
第1条〜第8条(総則・分配)用語の定義(Art.1)、技術特性(Art.3)、周波数分配(Art.5)常用
第9条〜第14条(手続き)調整(Art.9)、通告・登録(Art.11)、審査・異議常用(第5.4章)
第15条〜第22条(運用)干渉(Art.15)、監視(Art.16)、遭難通信、宇宙業務の運用(Art.22)干渉事象時・PFD制限
付録(Appendices)届出データ項目(AP4)、調整の閾値(AP5)、電力・帯域の定義(AP1〜3)届出・調整の実務で常用
決議・勧告(Resolutions)WRCの決議。将来議題・経過措置改正の追跡(第5.8章)

実務でRRを開く場面の9割は、Art.1(定義)・Art.5(分配)・Art.9/11(手続き)・ Art.21/22(PFD等の技術条件)・AP4/AP5(届出・調整)である。 この六つの在り処さえ覚えれば、RRは巨大だが怖くない。

3.1.3 条文番号の記法 — 「No. 11.44」の読み方

RRの条文は「条番号.段落番号」の形の通し番号(provision number)で参照される。 「No. 11.44」は第11条の第44段落、「No. 5.465」は第5条に属する脚注465である。 この記法には実務上の利点がある:版が変わっても番号の安定性が高く、 国際的な文書・会合で誤解なく特定できる。 本書でも一貫してこの記法を使ってきた(No. 9.1、No. 11.44 — 第5.1章・第5.4章)。

■ 引き方の型
条項を引くときは「RR No. 11.44 (Ed. 2024)」のように番号と版を併記し、 要旨を自分の言葉で書いたうえで、判断に効く箇所は原文を確認する。 翻訳・解説記事の要約だけで設計判断をしない。 要約は情報を落とすために存在する — 落ちた部分に自分の論点があるかどうかは、 原文しか教えてくれない。

3.1.4 定義条項(Art.1)がなぜ最重要か

意外に思われるかもしれないが、実務で最も紛争を防ぐのは定義条項である。 本書がすでに使った例だけでも:

  • 「深宇宙」(No. 1.177) — 2×10⁶ kmの距離定義。月が近地球になる根拠(第1.4章)
  • 「電波」の上限(3 THz) — 光通信が枠外になる根拠(第5.2章・第6.3章)
  • 業務の定義(宇宙研究業務・宇宙運用業務…) — 分配表の各欄の意味そのもの(第1.4章)
  • 「有害な干渉」(harmful interference) — 単なる干渉との区別。 保護・是正を主張できるのは有害な干渉である(第4.1章)
  • 技術用語 — 占有帯域幅・必要帯域幅・スプリアス発射・帯域外発射(第3.5章・第5.6章の土台)

議論が噛み合わないときは、たいてい同じ語を違う定義で使っている。 定義に戻るのが最短の解決である。国際調整(第5.5章)で計算の前提を揃える作業も、 突き詰めれば定義合わせである。

3.1.5 第5条の構造(再訪)と技術条件の条項

第5条の読み方は第1.3章で扱った(列=骨格、脚注=実質)。 ここでは第5条から先への接続を示す。 脚注はしばしば「Art.21/22参照」「決議○○参照」「勧告ITU-R SA.○○○に従う」と外を指す。 とくに:

  • Art.21 — 地上業務と宇宙業務の共用のための技術条件(地表PFD制限など — 第3.6章)
  • Art.22 — 宇宙業務相互の条件
  • AP4 — 届出(API・調整・通告)で提出すべきデータ項目の定義。 第5.4章で「提出様式」と呼んだものの中身
  • AP5 — どの局と調整が必要かの判定基準(第5.4章の調整要否判定)

つまりRRの中では第5条が入口で、技術条件と手続きへ枝が伸びる。 自分の帯域について、第5条の該当行 → 脚注 → 参照先条項・勧告、 と辿った結果を一枚にしたものが、そのミッションの「規制の地図」になる。 章末演習はこの地図づくりである。

3.1.6 版の管理 — 改正に追随する仕組み

WRCごとにRRは改訂される。実務での版管理の型は次のとおり。

  1. ミッションの「規制の地図」に、依拠した版と確認日を記録する(本書の一貫した作法)
  2. WRC開催後、改訂版の発行を待って差分を確認する — 自分の帯域・条項に変更があったか。 WRC最終文書(Final Acts)の段階で早めに把握できる
  3. 変更があれば影響評価 — 既存局への経過措置の有無を含めて(第5.8章の定常業務)

変更は突然には来ない。WRCの議題は数年前から公表され、 各国・各機関の準備検討(第1.2章)を経て会議に至る。 追跡の起点は「次回WRCの議題のうち自分に関係するもの」の一覧であり、 これは主管庁・機関の周波数部門が整理しているのが普通である。 個人で全部を追う必要はないが、どの議題が自分に効くかの判断は技術者にしかできない。

Q. RRは英語で読むしかないのか
A. ITUの公用6言語で正文が発行される(日本語はない)。 実務は英語版で行うのが標準である。 国内法令(電波法体系)に翻訳・反映された部分は日本語で読めるが、 国内法とRRは別の文書であり、対応は一対一ではない(第1.2章・第5.2章)。 国際調整の場で根拠になるのはRR原文だけである。
Q. 条項番号は本当に安定しているのか
A. 高い安定性があるが、絶対ではない。WRCで条項の追加・削除・renumberが起きることはある。 だから番号と版をセットで引くのである。 古い文書のNo.を現行版で確認するときは、番号の一致だけでなく内容の一致まで見ること。
Q. 決議(Resolution)と勧告(Recommendation)はどう違うのか
A. WRCの決議はRRの一部として拘束力を持ちうる(手続き・経過措置・将来議題の指示など)。 ITU-R勧告は研究委員会の技術文書で原則任意 — ただしRRから参照されると拘束になる(次章)。 さらにWRCが発する「勧告」もあり、紛らわしい。 文書種別を確かめる癖をつけること。「ITUの文書」という括りで扱うのは粗すぎる。
■ この章のまとめ
  • RRは条約文書。改正はWRCのみ。引用は条項番号+版で行う
  • 常用はArt.1(定義)・Art.5(分配)・Art.9/11(手続き)・Art.21/22(技術条件)・AP4/AP5の六つ
  • 「No. 11.44」=第11条第44段落。脚注は「No. 5.465」のように第5条に属する
  • 定義条項が最重要。議論が噛み合わないときは定義に戻る
  • 第5条が入口、脚注から技術条件(Art.21/22)と手続き(AP4/5)へ枝が伸びる。 辿った結果が自ミッションの規制の地図になる
  • 版管理:依拠した版と確認日を記録し、WRCごとに差分を確認する
  • 孫引きで仕事をしない。要約は情報を落とすためにある — 論点は原文で確認する
要確認(一次資料)。 RR現行版はITUから無償で入手できる(付録C)。 本章で挙げた条項の割り振り(Art.21のPFD等)は構造の説明であり、 具体的な適用条項は自分の帯域について第5条から辿って特定すること。 次回WRCの議題一覧と国内の検討状況は総務省・関係機関の公表資料で確認する。

第3.2章ITU-R勧告 — SAシリーズとRAシリーズ

■ この章で学ぶこと
RR(前章)が「枠」だとすれば、技術的な中身の多く — 保護基準の数値、干渉計算の方法、 共用の条件 — はITU-R勧告に書かれている。 勧告は原則として任意の技術文書だが、RRから参照される・調整の共通言語になる、 という二つの経路で実質的な拘束力を持つ。 本章では深宇宙実務で使う勧告群 — SAシリーズ(宇宙応用)とRAシリーズ(電波天文) — を「それぞれ何の問いに答える文書か」という形で地図にする。 番号を暗記する必要はない。問いから文書へ辿れることが目標である。

3.2.1 勧告の作られ方と効力

勧告はITU-Rの研究委員会(SG — 宇宙関係はSG7)が作る(第1.2章)。 各国・機関の寄与文書を基に作業部会で起草され、承認手続きを経て発行される。 改訂されると「SA.1157-1」のように枝番が付く — 引用時は枝番まで書く。

効力の整理は第1.2章のとおり:原則任意、ただしRRから参照された範囲で拘束。 加えて実務上は第三の効力がある — 調整の場の共通言語としての効力である。 二国間・機関間の干渉協議で「どの方法で計算するか」から交渉していては終わらない。 「ITU-R SA.○○○の方法・基準で評価する」という共通の土俵があるから、 協議は数値の比較に集中できる(第5.5章:計算の前提を揃える)。 任意の文書が事実上の標準として機能する構図である。

3.2.2 SAシリーズの地図 — 問いから文書へ

SAシリーズは宇宙応用業務(SR・SO・EESS)に関する勧告群である。 深宇宙実務で繰り返し使うものを、答えている問いの形で整理する。

問い答える勧告(例)本書の該当
深宇宙リンクはどこまでの干渉なら耐えられるか(保護基準SA.1157(深宇宙の保護基準)第4.1章の基準値の出所
宇宙研究業務全般の保護基準はSA.609(近地球SRの保護基準)第4.1章
深宇宙と他業務は同じ帯域を共用できるか(共用研究SA.1016系(共用の実現可能性)第4.3章
深宇宙システムの標準的な諸元・要求は何か(ヒューリスティクスSA.1014(深宇宙の通信要求)干渉計算の相手方諸元
調整・干渉評価にどのアンテナパターンを使うかSA.509等(基準放射パターン)第4.2章のオフアクシス利得

この表は入口の地図であり、番号・内容とも現行版での確認が前提である(章末の要確認)。 使い方の型はこうである:干渉解析書(第5.9章)の「前提」の節に、 適用した勧告の番号・枝番・適用箇所を明記する。 これで解析の土俵が読み手と共有され、検証可能性(第5.9章の三条件)が立つ。

3.2.3 RAシリーズ — 電波天文の保護

RAシリーズは電波天文業務に関する勧告群で、深宇宙実務では主に 「与える側」としての適合確認(第1.4章・第4.4章)で使う。中心になるのは:

  • RA.769(保護基準) — 電波天文観測が有害な干渉を受けるレベルの定義。 連続波観測・スペクトル線観測ごとに、極めて低い閾値(受信電力束密度)が表になっている。 第4.4章の計算はこの表と突き合わせる
  • RA.1513 — 保護基準を超えてよい時間率(データ損失の許容割合)の考え方。 「常に閾値以下」ではなく統計的な適合評価を可能にする

RA.769の閾値は、深宇宙リンクの受信電力(第1.1章:−154 dBW)よりさらに桁違いに低い。 世界で最も弱い信号を扱う業務(RAS)の保護水準は、 二番目に弱い業務(深宇宙SR)から見ても異次元である — この感覚を持っておくと、第4.4章の計算結果に驚かなくて済む。

3.2.4 勧告が拘束になる経路(まとめ)

ITU-R 勧告 原則は任意の技術文書 経路① RRからの参照(脚注・条項が勧告を指定) → その範囲で条約上の拘束 経路② 調整・審査の共通言語(AP5の判定、BRの審査、二者協議) 事実上の標準として機能 経路③ 国内制度・機関標準への取り込み(技術基準・設計標準) → 国内法・組織内規範として個別に拘束
図3.2-1 「任意」の勧告が効いてくる三つの経路。 設計者の実感としては、経路②が最も日常的である — 勧告に従わない解析は、正しくても相手に検証してもらえない

3.2.5 改訂を追う

勧告はWRC周期と独立に随時改訂される。追い方の要点:

  1. 自ミッションの「規制の地図」(第3.1章)に、依拠した勧告の番号・枝番・確認日を載せる
  2. ITU-Rの公表情報で改訂を確認する。SG7関連は数も少なく、年1回の棚卸しで足りる
  3. 改訂が出たら差分を読む — 保護基準の数値・計算法の変更は、 提出済みの解析の再検証を要する場合がある(第5.9章:版が古いという差し戻し類型)
Q. 勧告は無償で読めるのか
A. ITU-R勧告は現在、ITUのサイトから無償で入手できる(付録C)。 入手の障壁は低いので、手元に置くべきは要約記事ではなく勧告本体である。 なおSFCG勧告(次章)は公開範囲が異なるので注意。
Q. SA.1157のような保護基準は、どうやって決まった数値なのか
A. 根拠は技術的である:想定リンク(アンテナ・雑音温度・変調)に対し、 性能劣化を許容限度(例:雑音温度上昇の○%)に抑える干渉電力を逆算したものが基本になっている。 つまり保護基準は第4.1章のΔT/T・I/N計算の出力を、閾値として固定したものである。 この由来を知っていると、基準の適用範囲(どんなリンクを守る前提か)を誤らない。
Q. 勧告に従うと不利になる場合、独自の方法で解析してよいか
A. 二段構えにする。まず勧告の方法での結果を示し、 そのうえで「勧告の前提が自ケースに合わない点」を明示して補足解析を並べる。 勧告の結果を出さずに独自解析だけ出すと、検証の土俵がなくなり協議が進まない(経路②の裏返し)。 勧告の前提より現実が有利であることを示して合意に至る例は実務に普通にある — ただし出発点は常に共通の土俵である。
■ この章のまとめ
  • 技術的な中身(保護基準・計算法・共用条件)は勧告にある。RRは枠、勧告が中身
  • 効力の三経路:①RR参照で拘束、②調整の共通言語、③国内・機関標準への取り込み
  • SAシリーズ=宇宙応用。保護基準(SA.1157系)・共用研究・基準パターンが三本柱
  • RAシリーズ=電波天文。RA.769の閾値は深宇宙から見ても異次元に低い
  • 保護基準の正体はΔT/T・I/N計算を閾値として固定したもの(第4.1章)
  • 引用は番号+枝番+確認日。年1回の棚卸しで改訂を追う
  • 独自解析は勧告の結果と並べて出す。共通の土俵を先に踏む
要確認(一次資料)。 本章で挙げた勧告番号(SA.609、SA.1014、SA.1016、SA.1157、SA.509、RA.769、RA.1513)は 執筆時点の知識に基づく代表例であり、番号・枝番・現行の内容は必ずITU-Rの一次資料で確認してから 文書に引用すること。番号の記憶違い・改訂の見落としは第5.9章の差し戻し類型そのものである。 SG7の現行の勧告一覧から「問い→文書」の自分の地図を作り直すのが確実である。付録C参照。

第3.3章SFCGの位置づけと意思決定

■ この章で学ぶこと
本書にはすでに何度もSFCGが登場した — 全体工程の律速(第5.1章)、 実質調整の場(第5.4〜5.5章)、公式体系の脇に立つ調整体(第1.2章)。 本章はその本体の説明である。SFCG(Space Frequency Coordination Group: 宇宙周波数調整グループ)は各国宇宙機関の集まりであり、 その勧告に法的拘束力は一切ない。 それなのに、深宇宙ミッションの設計を実際に縛っているのは、 RRよりもSFCG勧告であることが多い。 「拘束力がないのに、なぜ最も効くのか」— この一見逆説的な構図を理解することが、 本章の目的である。理解すれば、SFCGとの付き合い方(第5.5章)の意味が変わって見える。

3.3.1 SFCGとは何か

SFCGは1979年に設立された、宇宙機関間の周波数調整のための会合体である。 NASA・ESA・JAXAをはじめ、宇宙活動を行う各国・各地域の機関が参加する。 重要な特徴を国家間機関(ITU)と対比して押さえる(第1.2章の表の再掲・拡張)。

ITU(WRC/ITU-R)SFCG
構成員国家(主管庁)宇宙機関(実際に周波数を使う当事者)
文書RR(条約)/勧告勧告(Recommendation)・決議(Resolution)
効力RRは拘束拘束力なし(機関の自発的遵守)
関心の範囲全無線業務宇宙業務の周波数だけ
速度WRC周期3〜4年年次会合+会期間の作業
参加者の顔ぶれ外交官・規制当局+技術者ほぼ全員が実務技術者

最後の行が本質である。SFCGの席に着いているのは、 互いのミッションの周波数計画を実際に担当している技術者たちであり、 議論は具体的なミッション・具体的な周波数・具体的な干渉計算で進む。 ITUが「業務」を扱う場だとすれば、SFCGは「ミッション」を扱う場である。

3.3.2 何を決めているか — SFCG勧告の中身

SFCG勧告は、RRの枠の内側を細分する。代表的な対象:

  • 帯域の使い方の申し合わせ — どの帯域をどの種のミッションが優先的に使うか、 チャネル配置の指針(第2.3章の50 MHzの中の秩序)
  • スペクトルマスク・帯域効率 — Category A/Bごとの放射マスク(第3.4〜3.5章)。 RRより厳しく、実務ではこちらが効く
  • 保護基準の運用 — ITU-R勧告の基準を機関間調整でどう適用するか
  • 新領域の周波数計画 — 月・火星近傍のリンク(近接リンク周波数計画 — 第6.2章)のように、 RRがまだ細かく規定していない領域の秩序づくり

とくに最後の項目に注目してほしい。規制の空白地帯に最初の秩序を作るのはSFCGである。 月圏の周波数計画(第6.2章)はその現在進行形の実例で、 SFCGでの申し合わせが先に走り、必要に応じて後からITUの制度が追う。

3.3.3 なぜ拘束力なしで守られるのか

理由は三層ある。浅い順に:

  1. 相互性 — 深宇宙コミュニティは狭く、今回ルールを破った機関は、 次回自分が調整される側に回ったとき協力を得られない(第5.5章の暗黙律と同じ力学)。 無限回繰り返しゲームでは裏切りが割に合わない、という古典的な構図である
  2. 自己利益との一致 — SFCG勧告の多く(マスク・帯域効率)は 「全員が守ると全員の帯域が広く使える」型の規範であり、守ること自体が自分の利益になる
  3. 実質的な強制点の存在 — 拘束力がなくても、守らないミッションは調整が成立しない。 調整が成立しなければITU手続き(第5.4章)が進まず、地上局の支援(クロスサポート — 『地上局工学』第7.5章)も得られない。法的制裁の代わりに、 協力の停止という事実上の制裁が機能している
■ 見方を変える
「SFCG勧告は任意だから、守るかどうかは選べる」は形式的には正しいが、実務的には誤りである。 深宇宙ミッションは他機関の地上局・追跡支援・干渉協力なしには飛ばせない。 SFCGの規範を守ることは、このコミュニティの相互支援網に参加するための会費であり、 会費を払わない選択は「一機関だけで全部やる」選択と等価である。 それが可能な機関は存在しない。

3.3.4 会合の進み方と勧告の作られ方

年次会合を軸に、おおむね次のサイクルで回る(第5.5章の実務側から見た記述と対になる)。

  1. 機関からの寄与文書(新規ミッション計画、干渉事象の報告、勧告の改訂提案)の提出
  2. 会合での審議 — 技術的な議論と、勧告案の起草・修正
  3. コンセンサスによる採択 — 多数決ではなく全会一致型。 一機関でも強い異議があれば持ち帰りになる。遅いが、採択されたものは実効性が高い (全員が「自分も合意した」規範だから — 3.3.3項の力学の入口)
  4. 会期間の作業部会で継続検討

コンセンサス制は、第5.1章の律速の議論と繋がっている。 合意形成に時間がかかる場だからこそ、提出が一会合遅れることの損失が大きい

3.3.5 ITU-Rとの関係 — 対立ではなく分業と還流

SFCGとITU-R(SG7)は競合機関ではない。実態は人的にも内容的にも連続している: SFCGに出ている機関の技術者が、自国代表団の一員としてSG7・WRC準備にも関わるのが普通である。 内容の流れとしては、

  • SFCGでの機関間の申し合わせ・共用検討が、ITU-R勧告の技術的な種になる(下から上への還流
  • ITU-R勧告・RRの枠が、SFCG勧告の外枠を与える(上から下への枠

第1.2章の図でSFCGを「公式三層の脇」に描いたのはこのためである。 脇にいるが孤立しておらず、公式体系との間に双方向の管が通っている。

3.3.6 日本の参加と、技術者が関わる場面

日本からは宇宙機関が参加し、国内の関係機関・主管庁と連携して臨む。 個々のミッションの技術者がSFCGに直接出ることは少ないが、 関わりは間接的でも濃い

  • 自ミッションの周波数計画・諸元は、機関の周波数担当を通じてSFCGに提出される(第5.5章の提出物)。 その原稿を書くのは設計者である
  • SFCG勧告(マスク・帯域使用)は、機関経由で設計要求として降ってくる。 要求の出所がSFCGだと知っていれば、根拠を原文まで遡れる
  • 他機関との干渉協議(第5.5章)の技術資料は、SFCGの場で使われる前提で作る

章末演習(自ミッションに効くSFCG勧告の列挙と設計要求への翻訳)は、 この「降ってきた要求の出所を遡る」訓練である。

Q. SFCG勧告は誰でも読めるのか
A. ITU-R勧告(無償公開 — 第3.2章)とは事情が異なり、 SFCGの文書は公開範囲に制限があるものが含まれる。 入手経路は参加機関経由が基本になる。 公開範囲の現状は一次情報で確認すること(章末の要確認)。 引用時の扱い(外部公開文書に書いてよいか)も機関の周波数担当に確認するのが安全である。
Q. 商業深宇宙ミッションが増えたら、機関の集まりであるSFCGの秩序は保てるのか
A. 本書の射程で答えれば:現在の秩序は「当事者が少数で、全員が繰り返しゲームの中にいる」 ことに依存している(3.3.3項)。商業参入で当事者が増え多様化すれば、 相互性の力学は弱まりうる — これは第6.4章で扱う将来課題の一つである。 当面の実務としては、非機関ミッションも機関経由でこの秩序に接続するのが現実解である(第5.5章)。
Q. SFCGとCCSDSはどう違うのか
A. 扱う層が違う。SFCGは周波数(電波を出す権利と条件)、 CCSDSは通信方式(変調・符号・プロトコルの標準)を扱う。 両者は連携しており、たとえば帯域効率の良い変調の標準化(CCSDS)と その使用の推奨(SFCG)は対になっている(『宇宙通信』第2部、第3.4章)。 設計者から見ると、CCSDS標準を採ることがSFCG適合の近道になる場面が多い。
■ この章のまとめ
  • SFCGは宇宙機関の調整体。ITUが「業務」を扱う場なら、SFCGは「ミッション」を扱う場
  • 勧告に法的拘束力はないが、相互性・自己利益・協力停止という事実上の制裁で守られる
  • SFCG規範の遵守は相互支援網への会費。払わない選択肢は実在しない
  • RRの枠の内側を細分し、規制の空白地帯(月・火星近傍)に最初の秩序を作る
  • コンセンサス採択ゆえに遅い — 一会合の遅れが大きい(第5.1章の律速)
  • ITU-Rとは分業と還流の関係。SFCGの検討がITU-R勧告の種になる
  • 設計者にはSFCG勧告が設計要求として降ってくる。出所を原文まで遡れること
要確認(一次資料)。 ①SFCGの現行の参加機関・組織・会合周期(SFCG事務局の公表情報)。 ②勧告・決議の一覧と公開範囲 — 文書の入手・引用の可否は機関の周波数担当に確認すること。 ③設立年・沿革等の記述は執筆時点の知識に基づく。外部文書に引用する際は一次情報で確認のこと。 付録C参照。

第3.4章主要SFCG勧告 — 帯域使用・スペクトルマスク・保護基準

■ この章で学ぶこと
前章でSFCGの性格を押さえたので、本章は中身 — 設計を実際に縛っている勧告群 — を設計者が使える形に翻訳する。SFCG勧告の主要な系統は三つ: 帯域の効率的使用(変調の縛り)、放射スペクトルマスク(裾の縛り)、 ミッション間の保護(干渉の縛り)である。 三つは独立ではなく、「狭い帯域を多数で使う」という一つの目的の三側面である。 本章では各系統の考え方と使い方を示し、 具体的なマスクの数式的な扱い・自スペクトルとの照合は次章(第3.5章)で行う。

3.4.1 三系統の全体像

系統何を縛るか設計のどこに効くか
① 帯域の効率的使用使ってよい変調・帯域幅の上限・チャネル配置変調方式の選定(『宇宙通信』第2.1章)
② スペクトルマスク搬送波から離れた所の放射の上限(dBc)整形フィルタ・増幅器の動作点(第3.5章)
③ 保護基準の運用他ミッションに与えてよい干渉の上限チャネル配置・運用調整(第4.2章・第5.5章)

三つの分業を一言で言えば:①が「幅を取りすぎるな」、②が「はみ出すな」、 ③が「隣を壊すな」である。①②は自分のスペクトルの形の話なので設計段階で完結し、 ③は相手がいる話なので調整(第5.5章)に持ち込まれる。

3.4.2 帯域の効率的使用 — 変調への介入

50 MHz(X帯下り — 第2.3章)を分け合うために、SFCGは 帯域を浪費する変調の使用を制限する方向の勧告を持つ。趣旨を設計者の言葉にすると:

  • 高レート伝送では帯域効率の良い変調(フィルタ付きQPSK系、GMSK等)を使うこと — 矩形波BPSKのような裾の広い変調で広帯域を占有しない
  • サブキャリア方式(PCM/PSK/PM)の使用は低レートに限る — サブキャリアはスペクトルを広げる古典的な要因(第3.5章で定量化する)
  • 必要帯域幅は要求データ量に対して正当化できる幅に留める

CCSDSの変調・符号化標準(『宇宙通信』第2部)はこの要請と整合するように作られており、 CCSDS標準構成を採ることがSFCG適合の実務的な近道になる(第3.3章Q&A)。 逆に、独自変調・レガシー機器の再利用を考えるときは、 この系統の勧告との適合を個別に確認する必要がある。

3.4.3 スペクトルマスク — 「はみ出すな」の定量化

マスクは、搬送波近傍から離調オフセットに応じて放射PSDの上限を定めた折れ線である。 Category A(近地球)とCategory B(深宇宙)で別のマスクが定められており、 深宇宙用のほうが厳しい — 深宇宙帯域の隣人は微弱受信の同業者だからである(第2.1章)。

周波数オフセット(必要帯域幅で規格化) dBc マスク(模式) 自スペクトル(0 dBc基準) 裾がマスクに触れる 帯域外領域の境界 スプリアス領域
図3.4-1 マスクと自スペクトルの照合(模式図)。 マスク(破線)は搬送波からのオフセットに対する上限。 自スペクトル(実線)の裾がどこでマスクに最接近するかが適合性の急所であり、 それは変調指数・整形・増幅器の非線形で動く(第3.5章)。 実際のマスクの折れ点の数値は必ず勧告原文から転記すること。

マスクとの照合で設計者が押さえるべき性質は三つ。

  1. マスクは相対値(dBc)で書かれることが多い — 送信電力を上げても適合性は変わらないが、 隣接ミッションへの絶対的な干渉電力は増える。マスク適合と干渉評価(第4部)は別物である
  2. 裾はマスクの「近く」を通る — 現実の設計はマスクに対して余裕満々にはならない。 余裕を数dBに管理する精密な作業になる(第3.5章)
  3. 測定で示せなければならない — マスク適合の最終証明は測定(第5.6章)。 測定できる形(RBW・検波の指定)で設計余裕を見積もる

3.4.4 ミッション間の保護 — 「隣を壊すな」

三つ目の系統は、深宇宙ミッション間・近地球ミッションとの間の干渉の上限である。 技術的な基礎はITU-R勧告の保護基準(SA.1157系 — 第3.2章)と共通で、 SFCGはその機関間での運用 — 誰がいつ計算し、超えそうなときどう調整するか — を担う(第5.5章の実務そのもの)。 設計者にとっての入口は単純で、自分の送信が第4.1章の保護基準を超える相手がいないかを チャネル配置・幾何・運用の三軸で確認することである(第4.2章)。

3.4.5 勧告を設計要求へ翻訳する手順

第3.3章で「SFCG勧告は設計要求として降ってくる」と述べた。 降ってくるのを待たず、自分で翻訳する手順を示す。これが章末演習の型である。

  1. 棚卸し — 自ミッションのカテゴリ(A/B — 第2.1章)と帯域に効く勧告を列挙する (機関の周波数担当経由で現行一覧を入手)
  2. 数値の抽出 — 各勧告から、設計に効く数値(マスク折れ点・帯域上限・基準値)を 原文から転記する。転記元(勧告番号・版・節)を必ず添える
  3. 要求文への変換 — 「離調○○以上で−○○dBc以下」のように、 検証可能な要求文(Systems-Engineeringの要求記述の流儀)に直す
  4. 検証方法の割付け — 各要求に、解析(第3.5章)か測定(第5.6章)かの検証手段を対応させる
  5. 要求管理への登録 — 出所つきでミッションの要求ツリーに載せる。 勧告が改訂されたら(第3.2章の棚卸し)、ここから影響が追える
■ 原則
規制文書のまま設計はできない。要求文に翻訳して初めて設計に使える。 翻訳を怠ると、規制適合は「最後にまとめて確認する項目」になり、 不適合の発見が試験段階(第5.3章:最も高くつく時期)にずれ込む。 翻訳しておけば、適合性は他の技術要求と同じ仕組みで日常的に検証される。 規制を特別扱いしないこと — それが一番安全な扱い方である。
Q. マスクを満たせば、隣のミッションへの干渉は心配しなくてよいのか
A. いいえ(3.4.3項の性質1)。マスクは「行儀の下限」を揃えるもので、 全員がマスクを守っても、配置と幾何によっては保護基準を超える干渉は起こりうる。 だから③の系統(個別の干渉評価と調整 — 第4.2章・第5.5章)が別に存在する。 マスク適合=干渉問題の解決、ではない。逆に、マスク不適合はほぼ自動的に調整不成立を意味する。
Q. レガシー機器(過去ミッションの設計流用)が現行勧告に合わない場合は?
A. まず定量化する — どの項目にどれだけ足りないか。 そのうえで機関の周波数担当と相談することになるが、 勧告は新規設計に対する規範であり、流用の可否はケースバイケースの調整事項になる。 「前のミッションで飛んだ実績がある」は、勧告が改訂されていれば通用しない。 流用検討の初期にこの確認を入れておくと、後の手戻りを防げる。
Q. 帯域効率の勧告と、電力律速のリンク(第2.3章)は矛盾しないか
A. 良い質問である。電力律速の深宇宙リンクでは低次変調+低率符号が有利で、 これは帯域を広く使う方向に働く。勧告の趣旨は「正当化できない浪費をするな」であり、 リンク成立に必要な帯域を使うこと自体は正当である。 重要なのは、その正当化(リンクバジェットと帯域の対応)を 文書で示せること(第5.9章)— 「なぜこの幅が要るのか」に数字で答えられれば、調整は通る。
■ この章のまとめ
  • SFCG勧告の三系統:①幅を取りすぎるな(帯域効率)、②はみ出すな(マスク)、③隣を壊すな(保護)
  • ①②は設計段階で完結、③は相手のいる調整事項
  • CCSDS標準構成の採用が適合の実務的な近道
  • マスクは相対値(dBc)。マスク適合と干渉評価は別物
  • 深宇宙(Category B)マスクは近地球(A)より厳しい。隣人が微弱受信の同業者だから
  • 勧告は要求文に翻訳して要求管理に載せる。規制を特別扱いしないのが最も安全
  • 各要求に検証手段(解析=第3.5章/測定=第5.6章)を割り付ける
要確認(一次資料)。 本章は勧告の構造と使い方を示した。マスクの折れ点・帯域上限・保護基準値などの数値は 一切本文に書いていない — 必ずSFCG勧告の現行版原文から転記すること(入手は第3.3章Q&A参照)。 帯域効率・変調に関する対応するCCSDS文書(401系)・ITU-R勧告もあわせて確認する。付録C参照。

第3.5章スペクトルマスクと帯域外・スプリアス領域

■ この章で学ぶこと
本書の表題的な主張 —「変調指数を一つ動かした瞬間に適合性が変わる」— を、 本章で実際に数式の上で確かめる。 マスク(第3.4章)に対する適合性は、変調方式・変調指数・パルス整形・増幅器の非線形という 通信系設計の中枢パラメータで決まる。 つまり規制適合は書類仕事ではなく変調設計そのものである。 深宇宙で今も広く使われるPCM/PSK/PM(残留搬送波方式)を主な題材に、 スペクトルの成分ごとの電力配分を計算し、 変調指数を振ったときにマスクとの関係がどう動くかを見る。

3.5.1 用語の整理 — 四つの領域

規制上、送信スペクトルは搬送波からの距離で領域分けされる(定義はRR Art.1 — 第3.1章)。

用語定義の要旨縛るもの
必要帯域幅 B_Nその通信に必要十分な帯域幅領域境界の基準になる
占有帯域幅 OBW全電力の99%を含む幅(第5.6章)許容値との比較対象
帯域外領域 (OoB)B_N の縁から±250% B_N まで変調の裾 — マスクで縛る
スプリアス領域それより外高調波・寄生 — 減衰量規定で縛る(第5.6章)

本章の主戦場は帯域外領域である。ここに落ちるのは回路の不具合ではなく 変調の数学的必然としての裾であり、設計でしか制御できない。

3.5.2 PCM/PSK/PMのスペクトル — 電力はどこに配られるか

データでサブキャリア(周波数 f_sc の方形波または正弦波)をBPSK変調し、 それで搬送波を位相変調(変調指数 m rad)するのがPCM/PSK/PMである (方式の意味は『宇宙通信』第2.1章)。方形波サブキャリアの場合、送信電力 P_T は次のように配られる:

残留搬送波:P_c = P_T·\cos^2 m データ側波帯(全体):P_d = P_T·\sin^2 m

そしてデータ電力は、サブキャリアの奇数次高調波(±f_sc, ±3f_sc, ±5f_sc, …)の位置に、

n次高調波の電力比:\frac{8}{π^2}·\frac{\sin^2 m}{n^2} (n = 1, 3, 5, …)

という比で分配される(各高調波の周りに、データレートで決まる sinc² 形の裾が付く)。 1/n² は遅い減衰である — 13次高調波でも基本波の−22 dBしか落ちない。 サブキャリア方式のスペクトルが「櫛の歯」状に遠くまで延びる理由がこれであり、 帯域効率の勧告(第3.4章)がサブキャリアを低レート限定に追いやった理由でもある。

3.5.3 変調指数を動かすと何が起きるか

f_c からのオフセット(f_sc 単位) dBc +1 +3 +5 マスク(模式) 搬送波 cos²m ±f_sc(データ) ±3f_sc(−9.5dB) ±5f_sc(−14dB) ±7f_sc −17dB m を上げる → 搬送波↓・全側波帯↑(櫛全体が持ち上がる)→ 高次側波帯がマスクに近づく
図3.5-1 PCM/PSK/PM(方形波サブキャリア)のスペクトルとマスク(模式図)。 搬送波と±奇数次高調波の櫛。1/n²の遅い減衰のため、 高次側波帯が帯域外領域まで延びてマスク(破線)と衝突しうる。 変調指数 m を上げると搬送波が下がり櫛全体が持ち上がる — これが「変調指数一つで適合性が変わる」の機構である。

数値で確かめる。m = 1.2 radから1.4 radに上げると:

m = 1.2 radm = 1.4 rad変化
搬送波電力 cos²m−8.8 dBc−15.4 dBc−6.6 dB(追尾余裕が減る)
データ電力 sin²m−0.6 dBc−0.13 dBc+0.5 dB(リンクは得)
7次側波帯((8/π²)sin²m/49)−18.5 dBc−18.0 dBc+0.5 dB(マスクへ接近)

リンク設計者は「データに電力を寄せたい」ので m を上げたがる。 追尾設計者は「搬送波を残したい」ので下げたがる(『宇宙通信』第3部の搬送波追尾)。 そしてマスクは高次側波帯を通じて m の上限をもう一つ与える。 変調指数は、リンク・追尾・規制の三者が引っ張り合う一点であり、 0.1 radの変更でも三方向への影響を確認する必要がある。 これが本書の表題的な主張の正体である。

■ 測距側波帯
測距信号(レンジングトーン — 『電波航法と軌道決定』第2.2章)を同時に載せると、 その変調指数ぶんの側波帯がさらに加わり、テレメトリ側波帯との相互変調積も生じる。 複数信号の同時変調では、成分ごとの電力配分(Bessel関数の積で書ける)を全部数え、 最大の合成構成でマスク照合すること。「テレメトリ単独では適合していた」は通らない — 規制が見るのは実際に放射される波形である。

3.5.4 サプレストキャリア方式とパルス整形

高レート伝送(第2.3章)ではサブキャリアをやめ、搬送波を直接BPSK/QPSK等で変調する。 このとき裾を決めるのはパルス整形である。 矩形パルスのPSDは sinc²形で裾が f⁻² でしか落ちず、マスク適合はほぼ不可能である。 ロールオフ付きフィルタ(SRRC等)やGMSKの連続位相性により、 裾は急峻に落ち、占有幅は R_s(1+α) に収まる(第2.3章の式)。 整形の設計そのものは『宇宙通信』第2.1章に譲り、規制側の要点だけ言えば: マスク適合の主導権は整形フィルタが握っており、 「どの整形を使うか」はマスクから逆算して決まる

3.5.5 スペクトル再成長 — 増幅器が裾を復活させる

ここまでの計算は線形システムの話である。実際の送信系の最終段は 効率を優先して飽和近くで動く(『宇宙通信』第4部、『地上局工学』第4.1章)。 非線形増幅は、フィルタで一度落とした裾を復活させる — スペクトル再成長である。 振幅変動のある信号(フィルタ付きQPSK等)ほど再成長が大きく、 3次相互変調に対応する裾が占有帯域の外側に持ち上がる。

  • 対策の軸は三つ:バックオフ(効率と交換)、振幅一定に近い変調(GMSK・OQPSK系)、 プリディストーション(複雑さと交換)
  • マスク照合は増幅器通過後のスペクトルで行う。 設計解析では増幅器の非線形モデル(AM/AM・AM/PM)込みでPSDをシミュレートし、 最終確認は実測(第5.6章)で行う

3.5.6 適合確認の手順(設計段階)

  1. 送信する全信号構成(テレメトリ・測距・ビーコン、モードごと)を列挙する(第5.9章の網羅)
  2. 各構成の線形PSDを計算する(本章の式+整形フィルタ)
  3. 増幅器非線形を通したPSDを求める(再成長込み)
  4. 適用マスク(第3.4章 — 原文から転記した折れ点)に重ね、最小余裕とその周波数を記録する
  5. 余裕が目標(例:3 dB — 測定不確かさと経年を見込む)を下回る構成は、 m・整形・バックオフのいずれかを調整して再計算する
  6. 結果を文書化する(第5.9章のスペクトル記述の型)。測定(第5.6章)との照合まで追跡できる形で
Q. 正弦波サブキャリアなら高調波は出ないのでは?
A. 正弦波サブキャリアの場合、側波帯はBessel関数 Jₙ(m) に従って f_sc の整数倍に現れる。 方形波の1/n²よりずっと速く落ちるので裾は有利になる — 引き換えに、 同じデータ電力を得るのに必要な機上ハードウェアの構成が変わる。 深宇宙の慣行では用途により両方が使われており、方式選択自体がマスク適合設計の一部である。 いずれの場合も成分の電力配分を数えてから照合する手順は同じである。
Q. マスクにどれだけの余裕を持たせるべきか
A. 決める要素は三つ:測定不確かさ(第5.6章 — 較正精度で±1 dB程度は普通)、 機器の経年・温度変動、モデル誤差(特に増幅器非線形)。 合計で数dBの設計余裕を置くのが常識的な線である。 ゼロ余裕の設計は、測定の日の機嫌で合否が変わる設計であり、検査(第5.3章)に持ち込めない。
Q. 演習のヒント:変調指数3通りでの判定は何を見ればよいか
A. m ∈ {0.8, 1.2, 1.4} などで、①cos²m/sin²m の配分、②高次側波帯のレベル(3.5.3項の表の形式)、 ③搬送波追尾に必要な最小P_c(『宇宙通信』第3部のループSNR要求から逆算)を並べる。 マスクだけでなく③も並べるのが本演習の狙いである — m の可動域は上下から挟まれていることを自分の数字で確認してほしい。
■ この章のまとめ
  • 帯域外領域の裾は変調の数学的必然。設計でしか制御できない
  • PCM/PSK/PM:搬送波 cos²m、データ sin²m、方形波サブキャリアでは奇数次高調波に 1/n² 配分
  • 1/n²は遅い — 高次側波帯が帯域外領域まで延び、マスクと衝突する
  • m を上げると櫛全体が持ち上がる。変調指数はリンク・追尾・規制の三者が引っ張り合う一点
  • 複数信号(測距併用)は最大の合成構成で照合する。相互変調積も数える
  • 高レート系はパルス整形が裾を決め、増幅器の再成長が裾を復活させる。照合は増幅器通過後で
  • マスク余裕は数dBを設計目標に(測定不確かさ+経年+モデル誤差)
  • 手順:全構成列挙 → 線形PSD → 非線形込み → マスク照合 → 余裕管理 → 文書化
要確認(一次資料)。 ①領域境界(±250% B_N)と必要帯域幅の算定法はRR付録・ITU-R SM系勧告の現行版で確認。 ②マスクの折れ点はSFCG勧告原文(第3.4章)から転記。 ③PCM/PSK/PMの電力配分式はCCSDSの変調文書・各機関の設計ハンドブックと突き合わせて使うこと。 本章の数値例(m=1.2/1.4の表)は式からの計算例であり、実設計では自分の全信号構成で再計算する。付録C参照。

第3.6章PFD制限と電力制限

■ この章で学ぶこと
第3部の締めは、マスク(周波数方向の縛り)と対をなす空間方向の縛り — 電力束密度(PFD)の制限である。 PFD制限は「宇宙から地表に降らせてよい電力の上限」であり、 同じ帯域を使う地上業務(固定・移動 — 第1.3章の共用相手)を守るために課される。 結論を先に言えば、深宇宙探査機の下りは距離のおかげでPFD制限にまず引っかからない。 引っかかるのは近地球側と、そして地上局の上り送信(別の枠組みで縛られる)である。 「自分はどちら側の縛りを受けるのか」を判定できるようになることが本章の目標である。

3.6.1 PFDという量

電力束密度(power flux-density)は、単位面積を通過する電力である。 距離 d にある送信源(EIRP)が作るPFDは

PFD = \frac{EIRP}{4πd^2} [W/m^2] = EIRP_{dBW} − 10\log_{10}(4πd^2) [dBW/m^2]

規制上のPFD制限は参照帯域幅あたり(例:dBW/m²/4kHz、dBW/m²/1MHz)で書かれる。 自分の放射との比較では、送信PSDのうち参照帯域幅に入る電力でEIRPを取り直す:

PFD_{ref} = PFD_{total} + 10\log_{10}\!\left(\frac{B_{ref}}{B_{occ}}\right) (電力が一様に分布する近似)

スペクトルに搬送波線(第3.5章の残留搬送波)がある場合は一様近似が使えず、 最悪の参照帯域窓 — 搬送波を含む窓 — で評価する。 マスク照合(第3.5章)と同じく、規制は常に最悪窓を見る。

3.6.2 なぜ課されるか — 共用の反対側から見る

第1.3章で見たとおり、深宇宙下り8400〜8450 MHzは固定・移動業務との共用である。 地上マイクロ波回線の受信機から見れば、宇宙からの電波は空から降ってくる干渉である。 PFD制限は「宇宙側は、地上受信機の雑音床を乱さない程度までしか地表を照らしてはならない」 という形で共用を成立させる仕掛けであり、RRの技術条件条項(Art.21系 — 第3.1章)に 帯域・仰角ごとの数値が表になっている。 仰角依存(低仰角ほど厳しい)が付くのは、地上回線のアンテナが水平方向を向いているためである。

3.6.3 深宇宙下りはなぜ引っかからないのか — 計算

火星距離(4×10⁸ km)の探査機が、EIRP +61 dBW(第1.1章の例)で地球を照らすとき:

PFD = 61 − 10\log_{10}(4π·(4×10^{11})^2) = 61 − 213 = −152 [dBW/m^2]

これは典型的なPFD制限値(−150〜−140 dBW/m²/4kHz級)より十分低く、 しかも全帯域の合計でこの値である。 4×10¹¹ mという距離が、いかなる現実的なEIRPをも無害化する — 第1.1章で「深宇宙は与える心配が小さい」と述べた根拠の定量版である。

送信源距離地表PFDの桁PFD制限との関係
深宇宙機(火星)4×10⁸ km−152 dBW/m²余裕で下回る
深宇宙機(月付近を通過中)4×10⁵ km−92 dBW/m²要確認の領域に入る
低軌道衛星(近地球)1×10³ km−40 dBW/m²級制限が設計を縛る

表の2行目が実務の落とし穴である。深宇宙機も打上げ直後・スイングバイ時は地球の近くにいる。 距離が3桁縮めばPFDは60 dB上がる。 地球近傍フェーズでの送信モード(EIRPを絞る、高利得アンテナを地球に向けない等)の計画は、 PFD適合の観点からも確認しておくこと(第2.1章の境界またぎ、第5.7章の初期運用)。

3.6.4 上りの縛り — PFDではなく運用の保安

地上局の上り送信(20 kW級 — 『地上局工学』第4.1章)には、PFD制限とは別系統の縛りがかかる。

  • 他業務・他局への干渉回避 — 静止軌道帯への照射制限、近傍の受信局・電波天文への配慮(第4.3〜4.4章)
  • 航空機・人体の保安 — ビーム内の電力密度は航空機の航行・人体防護の基準で縛られ、 送信中の空域管理・立入管理が運用条件になる(『地上局工学』第4.2章)
  • 免許の指定事項 — 空中線電力そのものが指定される(第5.2章)

つまり下りは「地表を照らしすぎるな」(PFD)、上りは「空を照らす行為の管理」(保安・運用条件) という別の論理で縛られる。混同すると、確認すべき文書を取り違える。

3.6.5 実際に問題になる場面のチェックリスト

  1. 地球近傍フェーズの下り — 打上げ直後・スイングバイ。距離とEIRPからPFDを計算し、 該当帯域の制限(仰角依存込み)と比較。必要なら送信計画側で対処
  2. 近地球帯域の使用(第2.2章のS帯初期運用等) — 近地球側の制限が適用される
  3. 上り送信の運用条件 — 指向マスク・出力制限・空域手順が免許・調整の条件として付く。 運用手順書への落とし込み(第5.5章の合意展開と同じ流儀)
  4. 届出書類のPFD欄 — API・通告のデータ項目(AP4 — 第5.4章)にPFD関連の記載があり、 ここに書いた値が調整・審査の前提になる。最悪フェーズ(最短距離)で書いたかを確認
Q. PFD制限とマスク(第3.5章)はどう使い分けるのか
A. 直交する縛りである。マスクは周波数軸上の形(自帯域の外にはみ出すな)、 PFDは空間軸上の強さ(地表を照らしすぎるな)。 両方を満たして初めて適合であり、片方の余裕はもう片方に流用できない。 文書(第5.9章)でも別々の節で示す。
Q. 制限を超えそうなとき、送信を止める以外の手はあるか
A. PFDは EIRP−10log(4πd²) なので、動かせるのはEIRPと幾何である。 具体的には:低利得アンテナへの切替え(EIRP↓)、送信PSDの平坦化 (搬送波線を立てない変調構成 — 参照帯域窓での最悪値が下がる)、 地球指向を避ける姿勢・タイミング計画。 打上げ直後は機体側の自由度が小さいので、設計段階で近傍フェーズの送信構成を決めておくのが正道である。
Q. 演習のヒント:局のEIRPから地表PFDを出すとは?
A. 上り側の練習である。20 kW+73 dBi(EIRP≒116 dBW)のビームが、 仰角10°で空に向かうとき、ビームの通り道以外の地表(サイドローブ照射)のPFDを、 アンテナパターン(『地上局工学』第1部)のオフアクシス利得で計算する。 主ビームの数値の大きさと、サイドローブでの急落の両方を体感するのが狙いである。 保安基準(人体防護)との比較まで行えば、第4.2章(『地上局工学』)の運用制約の由来が分かる。
■ この章のまとめ
  • PFD=EIRP/(4πd²)。制限は参照帯域幅あたり・仰角依存で書かれ、最悪窓で評価する
  • 目的は共用の成立:宇宙側は地上受信機の雑音床を乱すなという仕掛け
  • 深宇宙距離ではPFDは制限を桁で下回る。距離が最強の適合手段
  • 落とし穴は地球近傍フェーズ(打上げ直後・スイングバイ)。距離3桁減=PFD60dB増
  • 上りは別系統:保安・運用条件・指定事項で縛られる。下りとの混同に注意
  • 届出のPFD欄は最悪フェーズ(最短距離)で書く
  • マスクは周波数軸、PFDは空間軸。両方満たして適合
要確認(一次資料)。 ①PFD制限の具体値(帯域・仰角・参照帯域幅ごと)はRRの技術条件条項(Art.21系)の現行の表から転記すること。 本章の「−150〜−140 dBW/m²/4kHz級」は桁の目安であり規定値ではない。 ②上り送信の保安基準(電波防護指針・航空関係の調整)は国内の現行規定を確認(『地上局工学』第4.2章)。 ③届出データ項目(AP4)のPFD関連欄の現行様式。付録C参照。
第 IV 部 干渉の計算
干渉を感覚ではなく数値で語るための部。同一ビーム内の複数機、地上業務との共用、電波天文との共存を扱う。

第4.1章干渉解析の枠組み — I/N・ΔT/T・保護基準

■ この章で学ぶこと
第4部は干渉を「感覚」ではなく数値で語るための部である。 本章はその共通言語を作る。干渉の定量化は結局二つの量 — I/N(干渉電力対雑音電力比)とΔT/T(等価雑音温度上昇率) — に帰着し、 両者は同じものの二つの表現である。 保護基準(第3.2章)はこの量に対する閾値として与えられ、 閾値を超えるかどうかの計算はリンクバジェットの変形にすぎない。 つまり『宇宙通信』のリンク計算ができる読者は、干渉計算の道具を既に持っている。 本章では道具の使い方を干渉向けに組み替え、 調整(第5.5章)と文書(第5.9章)で通用する標準手順に仕立てる。

4.1.1 干渉は雑音である — I/NとΔT/T

受信機に混入した干渉電力 I は、それが雑音状(自リンクと相関がない広がった信号)であるかぎり、 雑音床の上昇として作用する。雑音の言葉(『宇宙通信』第1.4章、『地上局工学』第3.4章)で書けば、 干渉は等価的な温度上昇 ΔT をもたらす:

ΔT = \frac{I_0}{k} (I_0:受信機入力での干渉PSD [W/Hz]、k:ボルツマン定数)

これを系雑音温度 T_sys で規格化した ΔT/T と、 雑音電力比 I/N は同じ量の別表現である:

\frac{I}{N} = \frac{I_0 B}{k T_{sys} B} = \frac{ΔT}{T} ⇒ I/N_{dB} = 10\log_{10}(ΔT/T)
ΔT/TI/N雑音床の上昇 10log(1+ΔT/T)感覚
1%−20 dB0.04 dBほぼ検知できない
6%−12.2 dB0.25 dB調整要否の古典的な閾値(第5.4章 AP5)
10%−10 dB0.41 dBリンクマージンの目減りとして見える
100%0 dB3 dBリンク設計の前提が崩壊

この表が示す重要な直観:保護基準はリンクが「壊れる」レベルよりずっと手前に引かれている。 ΔT/T=6%は雑音床0.25 dBの上昇にすぎない。 それでも閾値なのは、深宇宙リンクのマージンが元々薄く(第1.1章)、 かつ干渉源は将来増えることはあっても減らないからである。 基準の哲学は「壊れる前に止める」ではなく「気づける最小レベルで管理する」に近い。

4.1.2 干渉電力の計算 — リンク式の変形

干渉源(送信EIRP、送信PSDの形)から被干渉受信機への混入電力は、 通常のリンク式に三つの補正を加えた形で書ける:

I_0 = EIRP_{tx}(θ_t) − L_{fs} − L_{atm} + G_{rx}(θ_r) − L_{pol} + Δ_{band} [dBW/Hz]
  • EIRP_tx(θ_t) — 干渉源のオフアクシスEIRP密度。主ビームが被干渉局を向いていない場合、 サイドローブの利得(基準パターン — 第3.2章のSA.509系)で評価する
  • G_rx(θ_r) — 被干渉側のオフアクシス受信利得。同様にサイドローブで受ける場合が多い
  • Δ_band(帯域整合) — 干渉源のPSDのうち、被干渉受信帯域に落ちる割合。 周波数がずれていれば(第3.5章のマスクの領域で受ける)、この項が大きな負の値になる

通常のリンク計算との違いは、両端の利得が主ビーム値でなく角度の関数になることと、 周波数の重なりが明示的に入ることだけである。 幾何(角度)と周波数(重なり)— この二軸が干渉計算の自由度であり、 回避策(第5.5章の時間・指向・周波数・電力)はすべてこの式のどれかの項を動かしている。

4.1.3 時間率 — 「常に」ではなく「何%の時間」

干渉の幾何は動く(探査機も惑星も地球も動く)。したがって適合性は 「基準値を超える時間が、全時間の p% 以下」という統計形式で判定される。 保護基準(SA.1157系、RA.1513 — 第3.2章)には基準値とセットで許容時間率が書かれている。 実務上の含意:

  • 解析は最悪瞬間だけでなく時間分布を出す — 軌道・運用計画から幾何の時系列を回す
  • 「まれに超えるが時間率内」は適合である。最悪値だけ見て諦めない
  • 逆に、臨界運用(第5.5章の暗黙律)と重なる「まれ」は、時間率で許されても運用調整の対象になる。 統計適合と運用実害は別の判断である

4.1.4 単一干渉源と集合干渉

保護基準は通常、全干渉源の合計(aggregate)に対する上限と、 単一干渉源(single-entry)への配分の二層で運用される。 新しい干渉源は「合計の残り予算」ではなく単一エントリ枠で審査される — さもないと早い者が予算を食い尽くす。 自分の解析でも、相手から見た自分は「多数の干渉源の一つ」であることを忘れず、 single-entry の枠で自分を律するのが調整の作法である。

4.1.5 標準手順 — 五段の型

以上を、文書の型(第5.9章の五段構成と同じ)に落とす。

  1. 前提 — 両局の諸元(出所つき)、適用基準(勧告番号・版・基準値・時間率)、評価する参照帯域
  2. 幾何 — 位置・角度の時系列。最悪幾何の特定と、その発生頻度
  3. 計算 — 4.1.2項の式を各項の表で。オフアクシス利得の出所(実測か基準パターンか)を明示
  4. 結果 — I/N(またはΔT/T)の分布と時間率。基準との比較、余裕をdBで
  5. 感度 — 支配項の特定。前提±3dBで結論が変わるか
■ 原則
干渉計算の誤りの大半は、式ではなく前提で起きる。 典型は:参照帯域の不一致(PSDと電力の混同 — 『地上局工学』第3.4章のQ&Aと同型)、 オフアクシス利得の楽観(実パターンは基準パターンより悪い方向にも外れる)、 偏波整合の重複計上、最悪幾何の見落とし。 第5.5章で述べた「数字が合わないのは前提の相違」の内訳がこれである。 前提を表にして最初に固める — 五段の型の第一段が「前提」なのは、そのためである。
Q. 干渉が雑音状でない場合(搬送波線が自分の帯域に立つ等)はどうする
A. 4.1.1項の「干渉=雑音」の等価は崩れ、より深刻になりうる。 狭帯域の干渉線は、受信機のループ(搬送波追尾 — 『宇宙通信』第3部)を偽ロックさせたり、 特定のサブキャリア・シンボルレートと干渉縞を作ったりする。 この場合はI/Nでの評価に加えて、受信処理への個別影響(追尾・同期・復号)を評価する。 保護基準の適用可否も含めて、雑音状を仮定してよいかをまず確認すること。
Q. ΔT/T=6%という閾値はどこでも使ってよいのか
A. いけない。6%は調整要否の入口判定(第5.4章のAP5系の考え方)として古典的な値だが、 業務・帯域・文脈で閾値は異なる(深宇宙の保護基準、RASのRA.769はそれぞれ別の値と形式を持つ)。 「どの文書のどの閾値を適用するか」自体が解析の前提であり、 取り違えは差し戻し(第5.9章)の典型である。数値は必ず適用文書から転記する。
Q. 演習のヒント:I/N計算はどこから手を付けるか
A. 4.1.2項の式の各項を、出所つきの表として埋めるだけである(第5.9章の「電卓で追える」形式)。 干渉源のEIRPとスペクトル → 幾何からθ_t・θ_r → パターンから利得 → 距離からL_fs → 周波数の重なりからΔ_band → I_0 → I/N。 最初の一回は必ず手計算(表計算)でやること。 ツールに入れるのはそれからでよい — 支配項がどれかを体で知っている人だけが、 ツールの出力の異常に気づける
■ この章のまとめ
  • 雑音状の干渉は雑音床の上昇。I/N = ΔT/T(同じ量の二表現)
  • ΔT/T=6% = I/N=−12.2 dB = 床上昇0.25 dB — 基準は「壊れる」よりずっと手前にある
  • 干渉電力はリンク式+三補正:オフアクシス送信・オフアクシス受信・帯域整合
  • 回避策はすべてこの式のどれかの項(幾何・周波数・電力・時間)を動かしている
  • 適合判定は時間率つき。最悪瞬間でなく分布で評価する。ただし統計適合と運用実害は別判断
  • 基準は合計と単一エントリの二層。自分はsingle-entry枠で律する
  • 誤りの大半は前提(参照帯域・パターン・偏波・幾何)。前提の表を最初に固める
要確認(一次資料)。 ①適用する保護基準の値・形式・時間率(SA.609/SA.1157系、調整閾値はRR AP5)は現行版から転記。 本章の6%・−12.2 dB等は枠組み説明のための古典値であり、適用値は文書ごとに確認すること。 ②基準アンテナパターン(SA.509系等)の適用条件。 ③集合干渉とsingle-entryの配分の現行の考え方。付録C参照。

第4.2章帯域内干渉 — 同一ビーム内の複数機

■ この章で学ぶこと
火星に周回機・着陸機が同時に何機も滞在する時代の中心問題を扱う。 出発点は幾何の計算である:地上局のビームは細い(第2.4章)が、 惑星距離まで延ばすとfootprintは天体系全体を覆うほど広い。 つまり火星圏の全機は、地球の局から見て常に同一ビーム内にいる。 空間分離が原理的に使えない以上、分離の手段は周波数と時間しか残らない — これが第2.3章のチャネル配置と第5.5章の運用調整の物理的な根拠である。 本章では幾何を定量化し、相互干渉のI/N計算(第4.1章の道具)を同一ビーム条件に適用する。

4.2.1 ビームは細いが、footprintは巨大である

開口径 D、周波数 f の半値ビーム幅は θ ≈ 21/(fD) 度(第2.4章)。 距離 d でのビームの物理的な広がり(半値幅の直径)は W = d·θ である:

局・帯θ (HPBW)火星距離 3×10⁸ kmでの W比較対象
34 m・X帯0.074°約39万 km火星の衛星軌道・全周回機:半径数万km以内
34 m・Ka帯0.019°約10万 kmそれでも火星系全体が入る
54 m・X帯0.047°約25万 km同上

結論は明快である:どの局のどの帯でも、火星系の全宇宙機は同一ビーム内にいる。 月(38万km — 近地球側だが同じ幾何問題を持つ)でも、 ビーム幅数百〜数千kmに対して月周回軌道群は容易に同居する。 「アンテナを別の機に向けて分離する」という直観は、惑星間距離では機能しない。

地上局 ビーム半値幅 0.074°(34m・X帯) 火星 周回機A 周回機B 着陸機系 周回機C footprint ≈ 39万km — 火星系全体が入る 距離 3×10⁸ km
図4.2-1 地上局ビームと火星系の幾何(模式・縮尺非現実)。 ビームの開き角は極小でも、惑星距離での物理幅は数十万kmに達し、 火星圏の全機(アクセント点)が常時同一ビーム内にいる。 分離は幾何では作れない — 周波数と時間で作る。

4.2.2 何が起きるか — 上りと下りで別の問題

下り(局の受信)上り(局の送信)
状況ビーム内全機の信号が同時に受信系へ入る1本の上りがビーム内全機に届く
主な問題チャネルが重なれば帯域内干渉。強い機が弱い機を踏む他機の受信機が意図しない上りに応答する危険(誤コマンド・偽ロック)
主な対策チャネル配置(周波数分離)+レベル管理チャネル分離+コマンド体系の識別+運用時間調整

下り側の「強い機が弱い機を踏む」構図を数値にする。 火星周回機(近火点の中継機、EIRP大)と、遠方の小型機(EIRP小)が 同じ局に近接チャネルで届くとき、受信電力差は容易に20〜30 dBになる。 このとき弱い機のリンクにとって、強い機のスペクトルの裾(第3.5章のマスクの領域)は それ自体が有意な干渉源になる — マスク(−30 dBc級の裾)でも、 元の信号が30 dB強ければ裾は自信号と同レベルで降ってくる。 チャネル間隔の設計は、この電力差まで織り込んで行う。

4.2.3 相互I/Nの計算 — 同一ビーム条件の簡略化

同一ビーム内の相互干渉は、第4.1章の一般式が簡略化される: 両機とも地上局アンテナの主ビーム利得で受かる(オフアクシス補正が消える)ため、

I/N = \frac{EIRP_{int} − L_{fs,int} + G_{rx} − N_0 + Δ_{band}}{ } (全項dB、N_0 = 10\log_{10} kT_{sys})

実質的な変数はΔ_band(周波数の重なり)だけになる。 干渉機のPSDのうち被干渉機の受信帯域に落ちる成分 — すなわち チャネル間隔とスペクトルの裾(第3.5章)の関数 — が全てを決める。 幾何でも電力でも逃げられない同一ビーム条件は、 裏を返せば「計算が単純で、答えがチャネル配置に一意に帰着する」条件でもある。

【例:チャネル間隔をどう決めるか】 干渉機:受信電力 −120 dBm、占有幅 10 MHz、離調Δfでの裾レベル M(Δf) dBc(マスク準拠)。
被干渉機:受信帯域 1 MHz、N_0から求めた帯域内雑音 −140 dBm、保護基準 I/N ≤ −12 dB。
要求:−120 + M(Δf) + 10log(1/10) ≤ −140 −12 ⇒ M(Δf) ≤ −22 dB… 裾がこのレベルまで落ちる離調が最小チャネル間隔になる。
受信電力差が10 dB開けば要求は M ≤ −32 dBに厳しくなる — 間隔は電力差に連動する。 これが「チャネル表は一度作って終わりではなく、新規機のたびに引き直す」理由である(第5.5章)。

4.2.4 分離の三手段の実際

  1. 周波数分離(基本) — 上の例の要領でチャネル間隔を設計する。 50 MHz(X帯下り — 第2.3章)の中での「席替え」はSFCGの場の実務そのもの
  2. 時間分離 — チャネルが足りない・臨界運用が重なるときの補完。 コストが低く効果が確実(第5.5章の回避策の順序)
  3. 符号・識別による分離 — 上りの誤応答対策として、コマンド体系の機体識別・ 受信機の捕捉範囲の設計で「聞き分ける」。周波数計画と搭載設計の接点になる

なお下り側には協調の技術もある:一つの局アンテナで複数機を同時受信する MSPA(Multiple Spacecraft Per Aperture)系の運用は、同一ビーム問題を 「どうせ全機入るなら全機受けてしまう」と逆手に取ったものである(『地上局工学』第7.1章)。 干渉管理と資源共有は同じ幾何の裏表である。

4.2.5 周波数計画の作り方 — 天体圏単位で考える

以上から、混雑天体圏の周波数計画の型が出る。

  1. 在圏機の棚卸し — 運用中・計画中の全機のチャネル・占有幅・EIRP・運用期間を表にする (SFCGの場の情報 — 第5.5章の提出物が相互にこの表を作る)
  2. 受信電力の揃い方を見る — 電力差の大きいペアを特定する(間隔要求が厳しい組)
  3. 新規機の席を決める — 4.2.3項の計算で全ペアの間隔要求を満たす場所を探す。 無ければ時間分離・レベル管理を併用する
  4. 臨界イベントの重なりを運用調整に回す(第5.5章の暗黙律)

この計画は天体圏ごとに閉じる — 火星圏の表と金星圏の表は独立である (方向が違えば局のビームが別 — 空間分離が復活する)。 混雑が最も深刻な月圏については、専用の周波数計画の枠組みが発達しつつある(第6.2章)。

Q. 探査機同士は近いのだから、探査機のアンテナ同士でも干渉するのでは?
A. する。周回機-着陸機の近接リンク(UHF等 — 第1.4章)同士、 近接リンクと地球リンクの帯域が干渉する構図は月・火星圏の現実の課題であり、 地球からのビームの話(本章)とは別枠の、天体近傍のローカルな周波数計画として扱う(第6.2章)。 本章の枠組み(I/N計算・チャネル設計)はそのまま使える — 幾何が「同一ビーム」から 「同一天体圏」に変わるだけである。
Q. 受信電力差30 dBというのはどこから来るのか
A. 距離(近火点対遠日点で往復2倍以上)、EIRP(中継機の高利得アンテナ対小型機の中利得)、 運用モード(高レート対セーフモード)の積である。 同じ「火星圏の機」でも受信電力は一様ではない — この分散が大きいほどチャネル設計は難しくなる。 計画表(4.2.5項)に受信電力の欄が要るのはこのためである。
Q. 演習のヒント:何機まで同時に入るか、の見積り方
A. ①footprint(本章の表)を確認 — 全機入る。 ②よって答えは幾何でなく周波数軸にある:50 MHz ÷(平均占有幅+所要間隔)が「席数」の桁になる。 占有幅5 MHz・間隔要求5 MHzなら約5席。 ③時間分離・MSPA・Ka帯移行(第2.4章)で席数がどう変わるかまで論じられれば、 第6.2章の月圏の議論を先取りしたことになる。
■ この章のまとめ
  • 惑星距離ではビームfootprintが数十万km — 天体圏の全機が常時同一ビーム内
  • 空間分離は原理的に使えない。分離は周波数と時間で作る
  • 下り:全機が同時に受信系へ。強い機の裾が弱い機を踏む(電力差20〜30 dBは普通)
  • 上り:1本が全機に届く。誤応答対策(識別・捕捉設計)が搭載側の要求になる
  • 同一ビームではI/N計算が簡略化し、チャネル間隔とマスクの裾が全てを決める
  • チャネル間隔は電力差に連動。新規機のたびに計画表を引き直す
  • 周波数計画は天体圏単位で閉じる。月圏は専用の枠組みへ(第6.2章)
  • MSPA系の同時受信は同一ビーム問題の裏返しの活用
要確認(一次資料)。 ①在圏機のチャネル・諸元の現況はSFCG・各機関の公表情報から(執筆時の想定で計画を作らない)。 ②マスクの裾レベルM(Δf)はSFCG勧告原文(第3.4章)から。 ③MSPA系運用の可否・条件は使用する局の支援仕様による。 本章の数値例(電力差・席数)は構造を示す例示である。付録C参照。

第4.3章隣接帯域と地上業務との共用

■ この章で学ぶこと
前章は同業者(深宇宙機どうし)の干渉だった。本章は異業種との共用 — 同一帯域を分け合う地上業務(固定・移動)と、隣の帯域の強力な隣人(EESS等)である。 深宇宙局は地上から見れば「極端に敏感な受信機」(第1.1章)であり、 共用検討ではほぼ常に守られる側に立つ。 守られる側の実務とは、①自分の脆弱さを定量的に示し、 ②距離と地形という地理的な緩和を最大限使い、 ③新規業務の割当提案に対して技術的な根拠で条件を付けることである。 鍵になる計算は一つ — 「この干渉源は、どこまで近づいてよいか」(所要離隔距離)である。

4.3.1 二種類の脅威 — 同一帯域と隣接帯域

同一帯域(co-channel)隣接帯域(adjacent)
相手の例8400-8450を共用する固定・移動業務(第1.3章)8025-8400のEESS下り、近傍のレーダ・IMT
混入の経路相手の主放射が直接、自受信帯域に入る①相手の帯域外放射が自帯域に落ちる
②相手の主放射が自受信系を飽和・歪ませる
効き方雑音床上昇(I/N — 第4.1章)①は同左。②は非線形(相互変調・感度抑圧 — 『地上局工学』第3.6章)
対策の軸地理的分離・周波数調整①相手側マスク+自側フィルタ ②RF前段の耐性・フィルタ

見落とされやすいのは隣接帯域の経路②である。 相手がマスクを完全に守っていても(=経路①が管理されていても)、 強い帯域外信号が受信機のLNAを非線形領域に押し込めば、 自帯域の受信は歪みで壊れる。これはI/Nの計算では捉えられず、 受信系の耐入力(1dB圧縮点・IP3 — 『地上局工学』第3.6章)との比較で評価する。 共用検討では「相手の放射」と「自分の耐性」の両方の勘定が要る。

4.3.2 所要離隔距離の計算

地上干渉源(EIRP_i、自局方向)に対し、許容干渉電力 I_max(保護基準から逆算 — 第4.1章)を 満たすために必要な伝搬損失は

L_{req} = EIRP_i + G_{rx}(θ) − I_{max} [dB]

これを距離に翻訳する。自由空間伝搬なら L_fs = 32.4 + 20log f_MHz + 20log d_km だが、 地上-地上の伝搬は自由空間よりずっと複雑で、 回折(地形遮蔽)・大気ダクト(異常伝搬で遠くまで届く)・時間率依存を含む 伝搬モデル(ITU-R P.452系)で評価するのが標準である。数字の感覚として:

【例:所要損失の桁】 干渉源 EIRP_i = +20 dBW(地上マイクロ波局のサイドローブ級)、 局の受信サイドローブ G_rx = 0 dBi、 I_max = −190 dBW(保護基準相当の桁)とすると、 L_req = 20 + 0 + 190 = 210 dB
X帯の自由空間損失が210 dBに達するのは d ≈ 900 km — 見通し内では絶対に達成できない。 この計算が示すのは、深宇宙局の保護が成立するのは自由空間ではなく 地形遮蔽と地球の丸みのおかげだ、ということである。 山の陰の回折損失は数十dBを稼ぎ、所要離隔は数十km〜百km台まで縮む。 深宇宙局が山間・盆地に置かれる理由(『地上局工学』第7.3章)の定量版がこれである。

4.3.3 干渉等高線 — サイト周辺の地図として持つ

実務では、局を中心に「この線の内側にこの種の送信源が来ると保護基準を超える」という 干渉等高線(coordination contour)を、地形データ+伝搬モデルで計算して地図にしておく。 等高線は方位で大きく歪む — 開けた方向には遠くまで延び、山で遮られた方向では縮む。 この地図が、次の三つの実務の共通基盤になる:

  1. 新規免許への意見 — 等高線内に新しい地上局の免許申請が来たときの技術的根拠
  2. 自局のRFI監視の重点方位(『地上局工学』第7.3章)
  3. 制度的な保護の交渉 — 局周辺の周波数利用への条件付けを求める際の資料

4.3.4 移動局・航空機・レーダという動く相手

固定局は等高線で管理できるが、動く相手はそうはいかない。

  • 移動業務(IMT端末・基地局) — S帯(第2.2章)の主要問題。 個々の端末は弱いが数が膨大で、集合干渉(第4.1.4項)として評価する
  • 航空機・衛星からの照射 — 地形遮蔽が効かない上空からの経路。 機上レーダ・衛星下り(隣接EESS等)は、まれだが強い間欠干渉として現れる(第4.5章の切り分け対象)
  • レーダ — パルス状の強力な信号。平均電力は小さくても ピークで受信系を飽和させる(4.3.1項の経路②)。I/Nでなくピーク耐性で評価する

4.3.5 共用検討の進め方 — 守られる側の作法

新規の地上業務の割当・免許が自局の周辺・隣接帯域に提案されたとき(第1.3章Q&Aの「割り込み」)、 守られる側として取る手順:

  1. 脆弱性の定量化を先に済ませておく — 自局の保護要件(I_max・耐入力)と干渉等高線。 提案が出てから計算を始めるのでは、意見提出の期限に間に合わない
  2. 相手の諸元を入手し、標準モデルで評価する — 伝搬はP.452系、 相手のマスク・配置は提案文書から。共通の土俵(第3.2章の経路②)で計算する
  3. 条件付きの共存案を出す — 全面反対より、 「この方位・この距離・このマスクなら共存可能」という技術的条件の提示が通りやすく、 またコミュニティの信頼を保つ(第5.5章の作法と同じ)
  4. 合意条件を監視に載せる — 共存条件が守られているかは自局のRFI監視で確認し、 逸脱は記録して指摘する(第4.5章)
■ 原則
守られる権利は、主張し続けた者にしか残らない。 一次業務の地位(第1.3章)は自動的には機能しない — 意見を出さなければ「支障なし」と扱われ、既成事実が積み上がる。 等高線の維持・提案の監視・意見の提出という地味な定常業務(第5.8章)が、 10年後の局の電波環境を決める。
Q. 探査機側(宇宙にいる側)は地上業務からの干渉を受けないのか
A. 上り帯域(7145-7190)への地上業務の混入が探査機の受信に届く経路は存在するが、 距離(数億km)が全てを減衰させるので実害はまず生じない。 共用問題の主戦場は圧倒的に地上局の受信側である。 例外は地球近傍フェーズ(第3.6章の裏返し)で、 打上げ直後の探査機は地上の強い電波環境の中を通過する — 初期運用の受信設計で考慮する。
Q. 大気ダクトとは何か。なぜ共用検討で出てくるのか
A. 大気の屈折率の逆転層に電波が捕捉され、地平線を越えて異常に遠くまで伝わる現象である。 発生は気象依存(時間率数%以下)だが、発生時の伝搬損失は通常より数十dB小さい。 共用検討が時間率つき(P.452系は時間率を引数に持つ)なのはこのためで、 「普段は届かないが年に数日届く」干渉源が、保護基準の時間率(第4.1.3項)を食う。 海沿い・盆地の局では特に効く。
Q. 演習のヒント:離隔距離の計算はどこまで簡略化してよいか
A. 練習としては、①自由空間で L_req に届く距離(上限の目安)、 ②球面回折だけ入れた場合、③主要な山を一枚ナイフエッジ回折で入れた場合、の三段で計算し、 値が桁で変わることを確認するのがよい。 実務の提出資料では標準モデル(P.452系)一択である — 簡略計算は自分の直観のために使い、 文書には共通の土俵の結果を書く(第5.9章)。
■ この章のまとめ
  • 脅威は同一帯域(直接混入)と隣接帯域(帯域外放射+受信系の非線形)の二種
  • 隣接の経路②(飽和・相互変調)はI/Nでは捉えられない。耐入力との比較で評価する
  • 所要損失は容易に200 dB超 — 保護は距離ではなく地形遮蔽で成立している
  • 地上-地上伝搬は自由空間で評価しない。P.452系+地形データが標準の土俵
  • 干渉等高線を平時に整備しておく。新規提案への意見・監視・交渉の共通基盤になる
  • 動く相手(移動局・航空機・レーダ)は集合干渉・間欠干渉・ピーク耐性でそれぞれ別評価
  • 共用検討では条件付き共存案を出すのが通り筋。全面反対は最後の手段
  • 守られる権利は主張し続けた者にしか残らない — 定常業務(第5.8章)として回す
要確認(一次資料)。 ①地上-地上の干渉評価の伝搬モデル(ITU-R P.452系)の現行版と適用条件。 ②本章の数値例(EIRP・I_max・210 dB)は桁の説明用。実評価は自局の保護要件と相手諸元で行う。 ③干渉等高線・調整距離の制度的な扱い(国内の運用)は主管庁に確認。 ④受信系の耐入力仕様は自局の実測・仕様書から(『地上局工学』第3.6章)。付録C参照。

第4.4章電波天文との共存

■ この章で学ぶこと
前章まで深宇宙ミッションは「守られる側」だった。本章では立場が反転する。 電波天文業務(RAS)は深宇宙よりさらに敏感な、送信しない業務(第1.4章)であり、 深宇宙ミッションはRASに対しては干渉を与えうる側に立つ。 とくにKa帯下り(31.8-32.3 GHz)は電波天文の保護帯域(31.3-31.8 GHz)の真隣であり、 帯域外放射・スプリアスの管理(第3.5章・第5.6章)がそのまま共存条件になる。 同時に、深宇宙と電波天文は設備・技術・利害を共有する隣人でもある。 この二面性 — 加害しうる側としての義務と、同盟者としての協力 — を扱う。

4.4.1 RASの感度 — 異次元の保護基準

電波天文の観測対象(宇宙背景・分子線・パルサー)は、深宇宙探査機の信号より さらに桁違いに弱い。長時間積分(数百〜数千秒)と広い帯域で雑音を叩いて初めて見える信号であり、 保護基準(RA.769 — 第3.2章)は「積分後の測定に系統誤差を与えないレベル」として定義される。 その閾値は、受信電力束密度で−250 dBW/m²級(帯域・観測種別で異なる)という、 通信の感覚では冗談のような低さになる。

比較地表での電力束密度の桁
深宇宙機の下りが地表に作るPFD(第3.6章)−152 dBW/m²
RASの保護閾値(桁の目安)−250 dBW/m²級
約100 dB

この表の意味を正確に読むこと:深宇宙機の主放射がRAS帯域に落ちたら、 保護基準を100 dB近く超過する。 だから主放射は絶対にRAS帯域に置かれないよう分配されている(第1.3章の脚注の仕事)。 現実の問題は主放射ではなく、裾とスプリアスである。 −60 dBcのスプリアスでも、RAS閾値との比較ではまだ40 dB足りない — という計算が成り立ちうるのが、この共存の難しさである。

4.4.2 Ka帯の隣人 — 31.3-31.8 GHz

深宇宙Ka帯下り(31.8-32.3 GHz)の直下、31.3-31.8 GHzは受動業務 (電波天文・受動センサ)の保護帯域である(第2.4章)。設計への含意:

  • チャネルを割当の下端(31.8 GHz付近)に置くほど、裾が保護帯域に落ちやすい。 マスク適合(第3.5章)に加えて、RAS保護の観点の照合が要る
  • スプリアスの発生源リスト(第5.6章)に「RAS帯域に落ちる組合せ」の欄を作る — 局発・逓倍列・相互変調積が31.3-31.8に落ちる構成は設計段階で排除する
  • 探査機は空にいるので地形遮蔽(第4.3章)が使えない。 幾何的な緩和は「電波望遠鏡の主ビームに入る時間率」だけであり、 RA.1513の時間率評価(第3.2章)で適合を示す形になる

4.4.3 適合計算の型

自機のスプリアス(EIRP密度 S_spur [dBW/Hz]、RAS帯域内)に対する評価は、 PFD換算(第3.6章の式)との比較で単純に書ける:

PFD_{spur} = S_{spur} + 10\log_{10} B_{ref} − 10\log_{10}(4πd^2) と RA.769閾値 の比較

距離 d が深宇宙(>2×10⁶ km)なら213 dB以上の減衰が効き、 多くの場合ここで適合が示せる。厳しいのは地球近傍フェーズ(第3.6章と同じ構図)と、 地上局の上り送信である。局の20 kW送信のスプリアスが、 同じ山域にある電波天文台に地形経由で届く経路(第4.3章の地上-地上伝搬)は、 距離の救いがない分だけ現実的な問題になる。

■ 上り送信とRAS — 最も具体的な共存問題
深宇宙局と電波天文台は、どちらも「静かな山あい」を選ぶ(第4.3章)。 その結果、物理的にご近所になることが多い。 局の送信スプリアス・サイドローブが天文台の帯域に落ちれば、 それは相手の観測データの汚染として即座に現れる。 共存の実務は:送信スペクトルの実測共有、観測スケジュールとの時間調整、 指向マスク(天文台方向への低仰角送信の制限)の運用である。 これは国際調整ではなく同じ谷の隣人との日常の調整であり、 関係が良好かどうかが双方の運用効率を直接左右する。

4.4.4 電波保護区域 — 制度による静けさの確保

電波天文の側は、観測所周辺の電波利用を制度的に制限する電波保護区域(radio quiet zone)を 持つことがある(国・サイトにより制度は多様)。深宇宙局にとってこの制度は:

  • 手本 — 自局周辺の保護(第4.3章の等高線の制度化)の先行例として
  • 制約 — 保護区域の近くに局・設備を新設する場合、自分が規制される側になる
  • 同盟 — 静かな帯域・地域を守る規制議論(WRC — 第6.4章)での協力相手として

4.4.5 協力関係 — VLBIという共有地

対立の構図だけで終わらせないために、協力の実態を記す。 深宇宙航法のΔDOR(『電波航法と軌道決定』第2.4章)は、 電波天文のVLBI技術・クェーサーカタログ・相関処理をそのまま使う。 逆に、探査機の電波は電波天文にとって較正源・実験対象になり、 深宇宙局のアンテナがVLBI観測網に参加する例も多い(『地上局工学』第8.1章)。 掩蔽・惑星レーダのような電波科学は、両コミュニティの境界そのものである。

人・設備・技術が行き来する関係は、周波数の交渉にも効く。 RASとの共存条件の協議は、顔の見える技術者同士の調整として行われることが多く、 第5.5章の相互性の力学がここでも働く。 「規制で守られた敵」ではなく「同じ静けさを必要とする隣人」— この認識が実務の出発点である。

Q. RA.769の閾値は本当に守れるのか。100 dB足りない例まで挙げていたが
A. 守るべき対象を正確に読むことが答えになる。RA.769の閾値は RAS帯域内での値であり、深宇宙機の主放射はそこにない(分配が分けている)。 問題になるのはRAS帯域に落ちるスプリアスだけで、 これは設計(発生源の排除)と距離(213 dB)で管理できる範囲にある。 さらに時間率(主ビーム通過の頻度 — RA.1513)が緩和として効く。 「主放射で100 dB超過」は、分配の分離がなぜ絶対か(第1.3章の脚注)の説明であって、 現実の設計課題は「スプリアスで数十dBの余裕を確保する」ことである。
Q. 電波天文側は深宇宙機の存在を知っているのか。こちらから知らせる必要は?
A. 知らせる経路が制度化されている:IUCAF等を通じた天文側の周波数コミュニティとの連携、 SFCG・ITU-R(RAシリーズはSG7の一部門 — 第3.2章)での相互参加である。 強い電波源(探査機)の軌道・周波数の情報は観測計画の側でも使われる。 ミッション側の実務としては、機関の周波数担当経由で標準の届出(第5部)を確実にやることが、 そのまま天文側への通知になる。
Q. 演習のヒント:自局スプリアスのRAS適合はどう計算するか
A. 上り送信側の練習として:①送信スペクトルの実測(第5.6章)からRAS帯域内のEIRP密度を読む。 ②天文台までの伝搬損失を地形込みで計算する(第4.3章のP.452系)。 ③受信側のPFDに換算してRA.769の該当閾値と比較する。 ②の地形遮蔽が数十dBを稼ぐ構図は第4.3章と同じである — 同じ計算道具が、守られる側でも与える側でも使えることを確認してほしい。
■ この章のまとめ
  • RASは送信しない・最も敏感な業務。保護閾値は深宇宙PFDよりさらに約100 dB低い
  • 主放射の分離は分配(脚注)が保証。現実の課題は裾とスプリアスの管理
  • Ka帯下りの直下(31.3-31.8 GHz)が保護帯域。下端チャネルほど照合が厳しい
  • スプリアス発生源リストにRAS帯域に落ちる組合せの欄を作り、設計段階で排除する
  • 探査機側は距離(213 dB)と時間率(RA.1513)で適合を示す。厳しいのは地球近傍と局の上り
  • 局と天文台は同じ谷の隣人。日常の時間・指向調整が共存の実務
  • VLBI・ΔDOR・電波科学で人と設備が行き来する協力関係が、交渉の土台でもある
要確認(一次資料)。 ①RA.769の閾値(帯域・観測種別ごとの表)とRA.1513の時間率の現行値 — 本章の「−250 dBW/m²級」は 桁の目安であり、計算には現行版の該当行を転記すること。 ②31.3-31.8 GHzの保護条件(RR脚注)。 ③近隣天文台との調整の現状・窓口は局ごとの実務に拠る。 ④電波保護区域の制度は国・サイトごとに異なる — 該当サイトの現行制度を確認。付録C参照。

第4.5章干渉事象の実際 — 検出・切り分け・報告

■ この章で学ぶこと
第4部の締めは、計算ではなく起きてしまったときの話である。 運用中のある日、受信SNRがいつもより悪い — それは干渉かもしれないし、 機上の異常、地上設備の劣化、天候、あるいは単なる予測のずれかもしれない。 干渉事象への対応は技術よりも手順が効く領域である: 観測を固定し、仮説を距離の近い順に潰し、記録を残し、しかるべき先に報告する。 本章はこの手順をフローチャートとして与える。 あわてて「干渉だ」と騒ぐことも、逆に気のせいとして流すことも、どちらも高くつく — 事象を証拠にできるかどうかが、この領域の技術力である。

4.5.1 兆候 — 干渉はどう見えるか

干渉の現れ方は経路(第4.1〜4.4章)ごとに違う。監視データ上の典型的な症状:

症状疑われる型最初に見るもの
SNRの緩やかな劣化(数dB・継続)雑音床上昇型(I/N型 — 広帯域源)システム雑音温度の記録・スペクトル
SNRの周期的な劣化(毎日同じ時刻・同じ仰角)幾何依存の外来源(地上局・衛星の通過)時刻・方位仰角との相関
突発的な同期外れ・偽ロック狭帯域線スペクトル型(第4.1章Q&A)受信スペクトルの線成分
特定モード・特定レートだけ異常干渉縞型(干渉源と自信号の構造の相互作用)モードと症状の対応表
パルス状のバースト誤りレーダ型(第4.3章)時間波形・誤りの時間分布

共通の前提は基準線である(第5.7〜5.8章)。 「いつもよりN dB悪い」を言うには「いつも」の定量記録が要る。 パスごとの残差(実測SNR−予測SNR)を常時記録している局では、 干渉検出は残差の異常検知としてほぼ自動化できる。

4.5.2 切り分けのフローチャート

異常検知(残差が閾値超え) → まず観測を固定・記録開始 ① 予測は正しいか? (軌道・天候・仰角・機上モード) No 予測の修正で終了 Yes(予測は正しい) ② 自局起因か? (較正・設定・自局設備のスプリアス) Yes 自局の是正で終了 (記録は残す) No(外来) ③ 機上起因か? (別の局・別のパスでも再現するか) Yes 機上異常として 別系統へ(第5.8章) No ④ 外来干渉として特定へ (方位・時刻・周波数の三点で絞る) 記録・報告(4.5.4〜4.5.5項) 相手の特定 → 調整 or 主管庁ルート
図4.5-1 干渉切り分けのフロー。 仮説は「直せるものが近い順」— 予測→自局→機上→外来 — に潰す(第5.7章の作法と同じ)。 どの出口に抜けても記録は残す。今回の「気のせい」の記録が、次回の切り分けを一段速くする。

フローの各判定に使う具体的な技:

  • ①予測:残差の符号と形。天候(第2.4章)は仰角・周波数依存、機上モード変更はテレメトリで裏が取れる
  • ②自局:減衰器テスト(第5.6章 — 測定器歪みの判別と同じ)、 アンテナを空の別方向に振って症状が残るか(残れば自局内)、較正記録の確認
  • ③機上:別の局での同時・後続パスで再現するか。再現すれば機上、 特定の局だけなら地上側。クロスサポート網(『地上局工学』第7.5章)が切り分け装置として効く
  • ④外来:症状の時刻・方位仰角・周波数の三点相関。 毎日同じ恒星時なら天体・衛星、同じ地方時なら人間活動、 特定方位なら地上固定源(第4.3章の等高線と突き合わせる)

4.5.3 スペクトルの証拠化

外来と判定したら、次は証拠として通用する記録を作る(第5.6章の測定の規律がここで再登場する)。

  1. スペクトルの保存 — 干渉成分が見える設定(RBW・スパン・検波を記録)でのスペクトログラム。 オープンループ記録(『地上局工学』第6.2章)があれば生データを残す
  2. 時刻の正確な記録 — 開始・終了・変動。相手の運用ログとの突き合わせに使う
  3. 方位の拘束 — 可能ならアンテナを振って強度の方位依存を取る(粗い方探になる)
  4. 影響の定量化 — I/N換算(第4.1章)、失われたデータ量、影響を受けた運用

4.5.4 発生源の特定と交渉

証拠が揃ったら発生源を絞る。候補空間は本書がすでに整理してある: 同業(深宇宙機 — 第4.2章のチャネル表)、隣接業務(第4.3章の等高線と免許データベース)、 上空経路(衛星・航空機 — 軌道・航跡カタログとの照合)。 特定できたら、相手に応じて経路が分かれる:

相手経路性格
他の深宇宙ミッション機関間・SFCGルート(第5.5章)技術者同士の調整。速い
国内の地上業務主管庁(総務省)ルート免許制度上の是正。制度的
他国の業務・衛星主管庁経由の国際ルート(RR Art.15 — 第3.1章)MIFR記載(第5.4章)が立場の根拠になる

第4.2〜4.4章で繰り返した相互性がここで最後に効く: 普段の調整で誠実なミッションの申し立ては、速く動く。 逆に、自分が「与えた側」と指摘されたときの対応(即時の事実確認・データ開示・是正)が、 次に受けた側に回ったときの扱いを決める。

4.5.5 報告と記録の規律

  • 報告のタイミング — 有害な干渉(第3.1章の定義)と判断した時点で、 特定が済んでいなくても第一報を出す。「特定してから報告」は遅い
  • 報告の中身 — 4.5.3項の証拠一式+影響の定量化。感情と推測を混ぜない
  • 事象データベース — 結果が「気のせい」でも1件として記録する。 頻度・傾向の統計が、等高線の更新(第4.3章)・共用条件の交渉・ 次期ミッションの設計(第5.8章:記録が次の速度を決める)の材料になる
Q. 症例演習:毎日ほぼ同じ時刻に数分間、広帯域に床が上がる。何を疑うか
A. 「同じ時刻」がどの時刻系かをまず確定する(4.5.2項④)。 地方時に固定なら人間活動(近隣の機器・定時運転の設備)。 恒星時にずれていくなら天体(太陽・銀河中心がサイドローブに入る — 『地上局工学』第3.4章)。 軌道周期なら特定衛星の通過。時刻系の同定だけで候補が三分の一になる — これが記録に正確な時刻が要る理由である。
Q. 症例演習:特定の1機の下りだけSNRが悪く、他機は正常。干渉か
A. 干渉なら周波数選択的なはず — その機のチャネル近傍だけの現象かをスペクトルで確認する。 チャネル表(第4.2章)で近接機の運用状況を照合し、 同時に「その機だけの共通要因」(距離・モード・機上異常)を機上テレメトリで潰す。 全機共通の設備を通る場所(フィード・LNA)の異常なら全機に出るはずなので、 「1機だけ」という事実自体が切り分け情報である。
Q. 干渉を受けたが、相手は規則上は適法(マスク内・時間率内)だった。打つ手は?
A. 第4.1章の区別(統計適合と運用実害は別)がここで効く。 是正の請求は難しいが、運用調整の依頼はできる — 臨界運用の時間帯の情報共有・回避は、適法性と無関係に成立する協力である(第5.5章の暗黙律)。 また事象の記録は、次回の保護基準・共用条件の見直し(第6.4章)での技術的根拠になる。 「適法だから泣き寝入り」ではなく「制度の外の調整と、制度の次の改訂」の二正面で動く。
■ この章のまとめ
  • 干渉対応は技術より手順。あわてず、観測を固定し、記録を開始する
  • 切り分けは直せる順:予測 → 自局 → 機上 → 外来(フローチャート)
  • 検出の前提は基準線(残差の常時記録)。検出は異常検知として自動化できる
  • 症状の型(緩慢・周期・突発・モード依存・パルス)が干渉源の型を示す
  • 外来判定後は証拠化:スペクトル(設定込み)・正確な時刻・方位依存・影響の定量化
  • 時刻系(地方時/恒星時/軌道周期)の同定が候補を一気に絞る
  • 報告経路は相手で決まる:SFCGルート/国内主管庁/国際(Art.15)。第一報は特定前に
  • 「気のせい」も記録する。事象データベースが等高線・交渉・次期設計の資産になる
  • 適法な相手には運用調整と制度改訂の二正面で動く
要確認(一次資料)。 ①有害な干渉の定義と国際的な是正手続き(RR Art.15)の現行条文。 ②国内の混信申告の窓口・手続き(総務省の現行運用)。 ③自局の残差監視・オープンループ記録の実装は局の設備仕様に拠る(『地上局工学』第6章)。付録C参照。
第 V 部 手続きの実務
本書の中核。打上げまでの全体工程から、予備免許・設備測定・落成検査・打上げ後の実通試験と本免許発給まで、順番どおりに扱う。

第5.1章打上げまでの全体工程 — 何を、どの順番で

■ この章で学ぶこと
ここから本書は「規制を知る」から「規制を通す」に移る。 周波数に関わる作業は、国際手続・国内手続・技術検証という性質の違う三本の線が同時に走り、 それぞれ別の相手・別の締切・別の成果物を持つ。 本章ではこの三本を一枚の時系列に並べ、どれが律速になるかを特定する。 結論を先に言えば、律速はほぼ常に国際手続であり、 しかもそれは「書類を書く時間」ではなく他国の返事を待つ時間である。 ここを読み終えたとき、打上げ日から逆算していつ何を始めるかが決まる。

5.1.1 三本の線 — 相手が違えば時計も違う

周波数の仕事を一列のToDoリストで管理しようとすると、必ず破綻する。 性質がまったく違う三種類の作業が混ざっているからである。

相手成果物時間を支配するもの
国際手続ITU無線通信局(BR)、他国主管庁API・調整要求・通告、国際周波数登録原簿への記載他国の応答。自分では縮められない
国内手続総務省(総合通信局)予備免許 → 落成検査 → 免許審査期間と設備の完成時期
技術検証自分(と試験設備)測定成績書、干渉解析書、適合性の根拠ハードの成熟度。設計変更で巻き戻る

三本は独立ではない。国内手続には技術検証の成果物が要り、 国際手続には国内手続で凍結した諸元が要る。 そして国際手続だけが、自分の努力では速くならない。 この非対称性が、以下すべての議論の出発点である。

■ 原則
自分で縮められる工程と、縮められない工程を分けよ。 縮められない工程(他国調整・ITUの処理・年1回しかない会合)は、 前倒しでしか吸収できない。縮められる工程(測定・書類作成)は後ろに寄せてよい。 スケジュールが破綻するチームは、この二つを同じ重みで扱っている。

5.1.2 全体像 — 一枚のガント

典型的な深宇宙ミッション(科学衛星、X帯上下+Ka帯下り)を例に、 打上げ日Lを基準とした逆算工程を示す。

L−7y L−5y L−3y L−2y L−1y 打上げ L 国際手続 API 作成・提出 調整 (CR/C)・各国協議 ← ここが律速 → SFCG 提出・年次会合 通告 → 登録原簿記載 国内・技術 予備免許 申請→取得 設備測定・落成検査 ITU 使用開始期限 — API受理から7年(RR No. 11.44)
図5.1-1 周波数関連工程の全体像。 上三段が国際手続、下二段が国内手続と技術検証。 アクセント色の帯が律速工程である。打上げ後(Lの右)に伸びる帯は実通試験と本免許。 横軸の目盛は年。全体が約7年に及ぶことに注意。

この図から読み取るべきことは三つある。 第一に、周波数の仕事はミッションのどの作業より早く始まる。 機体の設計が固まる前に、帯域と諸元の骨格を決めなければならない。 第二に、国際手続の帯が最も長い。 第三に、国内手続は打上げの2〜3年前まで出てこない。 「まず総務省に相談すればよい」という順序ではないのである。

5.1.3 律速はどれか

工程ごとに、成果物・提出先・所要期間・律速かどうかを整理する。

工程提出先成果物所要期間の目安律速
帯域の目星・初期干渉解析(社内)周波数計画の初版数か月
API(事前公表資料)主管庁経由でITU-BRAPI情報の公表作成1〜3か月+BR処理
調整(CR/C)・各国協議他国主管庁調整の完了・合意年単位
SFCGへの提出・調整SFCG(年次会合)会合での了承会合が年1回
通告 → 登録原簿記載主管庁経由でITU-BR国際的な保護の獲得BRの処理待ち
予備免許申請 → 予備免許総務省予備免許(電波法第8条)審査期間
無線設備の測定(自社・試験設備)測定成績書設備完成後
落成届 → 落成検査総務省(第10条)検査合格日程調整
打上げ → 実通試験 → 免許総務省(第12条)免許状L〜L+数か月

律速が◎の二つには共通点がある。どちらも「待ち」であり、要員を増やしても短くならない。 SFCGの会合が年1回である以上、資料の提出が一日遅れて次の会合に回れば、そこで1年が失われる。 他国調整も同じで、こちらが督促できる相手ではない。

【会合を一回逃すという事故】 L−4年の会合に諸元を出す計画だったが、機体側の設計変更でEIRPが確定せず、提出を見送ったとする。 次の機会はL−3年。ここで了承が得られなければ、実質の確定はL−2年になる。
一方、国内の予備免許申請には確定した諸元が要る。 結果として国内手続が丸ごと後ろにずれ、設備測定と落成検査が打上げ直前の最も忙しい時期に重なる。 周波数の遅延は周波数の中で完結せず、必ず別の工程を押す。

5.1.4 概念検討フェーズ(L−7年〜L−5年)— 帯域の目星

この時期にやるべきことは、帯域を選び、桁で諸元を置き、APIを出すことである。 精密さは要らない。要るのは後で大きく動かさないことである。

  • S帯/X帯/Ka帯のどれを上り・下りに使うか(第2.5章の判断)
  • おおよそのEIRP、帯域幅、変調方式、G/T
  • 同じ帯域を使う既存・計画中のミッションの棚卸し(第4.2章)
  • APIの作成と、主管庁経由での提出

APIは使用開始の7年前より早くは出せず、2年前より遅くならないことが望ましいとされる(RR No. 9.1)。 そして受理から7年以内に使用を開始しなければ、その届出は失効する(RR No. 11.44)。 早すぎても遅すぎても損をする、という設計になっている。

■ 実務上の注意
ITUに書類を出すのは主管庁であり、機関や事業者ではない。 日本であれば総務省がBRに提出する。 したがって「ITUへの提出期限」は実質的に「総務省への提出期限」からさらに前倒しになる。 社内の締切を国際締切と同一視してはいけない。

5.1.5 基本設計フェーズ(L−5年〜L−3年)— 諸元の凍結

ここが本当の山場である。国際調整とSFCGへの提出が並行して走り、 そのどちらもが「動かさない諸元」を要求する

提出する諸元は、干渉計算に必要な量である。典型的には次の通り。

分類諸元効く先
周波数中心周波数、占有帯域幅、チャネル配置帯域内・隣接帯域干渉(第4.2〜4.3章)
電力EIRP、送信電力、アンテナ利得・パターンPFD制限(第3.6章)、I/N(第4.1章)
変調変調方式、変調指数、シンボルレート、符号化スペクトルマスク(第3.5章)
軌道軌道要素、可視条件、運用期間幾何条件、電波天文との共存(第4.4章)
地上局局位置、アンテナ径、仰角制約地上業務との共用(第4.3章)

本書の主題である「変調指数を一つ動かした瞬間に適合性が変わる」という事態は、 まさにこのフェーズで起きる。 調整済みの諸元を後から変えると、変更の大きさによっては調整をやり直すことになる。 機体側の設計変更が周波数の再調整を引き起こすかどうかは、 この段階で判断基準を決めておくべきである。

【凍結とは何を凍結することか】 「諸元を凍結する」とは、値を一つに固定することではない。 申告した範囲の中に収め続けることである。 EIRPを「最大 ○○ dBW」と申告したなら、その下で動かすのは自由である。
したがって実務的なコツは、初期申告で現実的な幅を確保しておくことにある。 幅を取りすぎれば干渉解析が厳しくなり調整が難航する。 狭く取りすぎれば設計変更のたびに再調整になる。この幅の設定が、周波数担当者の腕の見せどころである。

5.1.6 詳細設計・製造フェーズ(L−3年〜L−1年)— 国内手続の開始

国際側の見通しが立った段階で、国内手続に入る。日本の場合、電波法の枠組みは 申請 → 審査 → 予備免許 → 工事落成 → 落成検査 → 免許という順序をとる(第5.2〜5.3章で詳述)。

  • 予備免許の申請(工事設計、無線設備の諸元、運用計画)
  • 予備免許の取得。以後、この設計に沿って製造・試験を進める
  • 無線設備の測定 — 周波数偏差、占有帯域幅、スプリアス発射(第5.6章)

ここで注意すべきは、予備免許の工事設計と、ITUに申告した諸元は一致していなければならないという点である。 両者は別の書類だが、同じ物理的な無線機を記述している。 片方だけ更新して不整合を残すのは、この工程で最も多い事故である。

5.1.7 射場・打上げフェーズ(L−1年〜L)

設備が完成したら落成届を出し、検査を受ける。合格すれば免許が発給される。 ただし人工衛星局は特殊で、設備が地上にあるうちに検査し、実際の電波発射は打上げ後になる。 この時間差の扱いが、地上の無線局と決定的に違うところである(第5.3章・第5.7章)。

打上げ当日は、射場の管制設備・追跡局・上段の送信機など、 自分のミッション以外の無線設備も同じ空間で動く。 打上げ時の周波数運用計画は、射場側との調整事項である。

5.1.8 打上げ後(L〜L+数か月)— 実通試験と本免許

初期捕捉に成功したら、実際の通信で性能を確認する。 ここで測るのは、地上試験では測れなかった量である。

  • 実際の受信電力とリンクマージン(設計値との差)
  • 実際の占有帯域幅とスペクトル形状(マスクへの適合)
  • 他ミッションとの干渉の有無

結果を踏まえて免許が確定し、運用フェーズの周波数管理(第5.8章)に移る。 なおITU側の「使用開始」の通告も、この時期に行う。 7年の期限はここで止まる。

5.1.9 逆算スケジュールの作り方

実務では、次の順で組むとよい。

  1. 打上げ日Lを置く(暫定でよい。ただし動く前提で作る)
  2. 律速工程から先に置く — SFCG会合の開催時期と、他国調整に要する期間
  3. そこから逆算してAPI提出時期を決め、7年期限に収まるか検算する
  4. 国内手続を、設備の完成時期に合わせて後ろから置く
  5. バッファを工程の間ではなく、律速工程の前に置く
■ バッファの置き方
各工程に均等にバッファを配ると、律速工程の「待ち」には効かない。 バッファは、待ちが始まる直前に置く。 すなわち「SFCG会合の資料提出期限の手前」「他国への調整要求の発出前」である。 ここに1か月の余裕があれば会合を一回逃さずに済み、それは1年の余裕に化ける。 逆に、測定や書類作成にバッファを積んでも、失うのは高々その日数である。

打上げ日が後ろにずれた場合は、単純に全体を後ろにずらしてはいけない。 7年期限はAPIの受理日から数えるので、打上げが遅れるほど期限に近づく。 ずれが大きいときは、期限までの残余を必ず確認すること。

Q. 相乗り小型衛星でも、この工程を全部通るのか
A. 通る。規模は違っても、国際手続・国内手続の枠組みは同じである。 ただし深宇宙帯域を使わない近地球ミッションなら、扱う帯域も調整相手も変わる(第2.1章)。 「小さいから簡単」ではなく「小さくても年単位」と理解しておくこと。 むしろ小規模チームほど、この7年の工程を知らずに着手して詰む。
Q. 帯域を後から追加したくなったら
A. 追加分について手続きをやり直すことになる。 APIから始めるか調整からで済むかは変更の性質によるが、いずれにせよ年単位の追加である。 だから第2.5章の帯域選択では、「使うかもしれない帯域」を初期に含めておくかどうかが判断事項になる。 含めれば調整の手間が増え、含めなければ後から足せない。
Q. 打上げが7年期限に間に合わなくなったら
A. 届出が失効する。再度出し直すことになり、しかもその間に他のミッションが同じ帯域を先に押さえている可能性がある。 期限の延長が認められる場合の条件は一次資料で確認すること。 実務的には、期限に対する残余を毎年の定例で確認する仕組みを作っておくのが正しい。
Q. 国際手続と国内手続、どちらを先に始めるべきか
A. 国際が先である。国内手続は設備の実体を審査するので、設計が固まらないと進まない。 一方、国際手続は概念段階の諸元でも着手でき、しかも一番時間がかかる。 「国内の相談から入る」順序は直感的だが、工程上は逆になる。
■ この章のまとめ
  • 周波数の仕事は国際手続・国内手続・技術検証の三本。相手も締切も成果物も違う
  • 全体は約7年に及ぶ。ミッションのどの作業よりも早く始まる
  • 律速は他国調整とSFCG会合。どちらも「待ち」であり、要員では縮まらない
  • 会合を一回逃すと1年失う。これが工程上の最大のリスク
  • APIは使用開始の7年前より早くは出せず、受理から7年以内に使用開始しないと失効(RR No. 9.1 / 11.44)
  • ITUへの提出者は主管庁。社内締切は国際締切よりさらに前倒しになる
  • 諸元の凍結とは値の固定ではなく申告した幅に収め続けること。幅の設定が腕の見せどころ
  • 予備免許の工事設計とITU申告諸元の不整合が、国内工程で最も多い事故
  • バッファは工程間に均等配分せず、待ちが始まる直前に置く
  • 打上げ延期時は全体を後ろにずらすのではなく、7年期限への残余を必ず検算する
要確認(一次資料)。 本章の工程表・所要期間は、構造と順序を示すための目安である。 実際の値は必ず一次資料で確認し、参照した版と確認日を明記すること。 ①ITU側の手続と期限は無線通信規則(RR) Article 9 および Article 11(特に No. 9.1、No. 11.44)の最新版。 ②国内手続の根拠条文と標準処理期間は電波法および総務省の公表資料。 ③SFCGの会合時期・資料提出期限はSFCG事務局の公表情報。 ④予備免許・落成検査の運用は総合通信局により細部が異なることがある。 いずれも改正される。付録Cの一次資料索引を起点にすること。

第5.2章国内手続① 電波法と免許の枠組み

■ この章で学ぶこと
前章で工程の全体像を掴んだので、ここからは国内手続に入る。 日本で電波を出すための法的な骨組みは、免許人・無線局・無線設備・無線従事者という四つの軸でできている。 この四つは別々の概念であり、それぞれに別の要求がかかる。 工学の側から入ってきた人が最初につまずくのは、 「無線設備」と「無線局」が同じものではないという点である。 本章ではこの区別から始めて、深宇宙ミッションが関わる局種別を整理し、 次章の具体的な手続(予備免許→落成検査→免許)に入るための土台を作る。

5.2.1 電波法の構造 — 何を守らせる法律か

電波法の目的は第1条に置かれている。要旨は「電波の公平かつ能率的な利用を確保して公共の福祉を増進する」ことである。 この一文は形式的に見えるが、実務では効いてくる。 免許の審査で問われるのは「技術的に動くか」だけではなく、 その周波数をあなたが使うことが妥当かだからである。

周波数は有限であり(第1.1章)、誰かに与えれば他の誰かは使えない。 だから国内手続は、技術基準への適合という技術審査と、 周波数を割り当ててよいかという資源配分の判断の二つを同時に行う。 前者は測定と計算で決着するが、後者は決着しない。 ここが国際調整(第5.4〜5.5章)と地続きになっている部分である。

■ 用語の起点 — 電波とは
電波法上の「電波」は、300万MHz(=3 THz)以下の周波数の電磁波と定義される。 この定義は第6.3章で効いてくる。光通信の波長は3 THzよりはるかに高いため、 電波法上の「電波」に当たらない。免許不要という別世界が生まれる理由はここにある。

5.2.2 無線局とは何か — 設備と人の総体

電波法における「無線局」は、無線設備と無線設備の操作を行う者の総体である。 装置だけでも、人だけでも無線局ではない。免許はこの総体に対して与えられる。

無線局(電波法 第2条) 無線設備 操作を行う者 設備だけでは無線局ではない 免許人 免許 無線設備の技術基準 無線従事者の資格 指定事項 周波数・空中線電力 識別信号 ほか
図5.2-1 電波法の四つの軸。 免許は無線局という総体に対して与えられ、 無線設備には技術基準が、操作を行う者には資格が、それぞれ別途かかる。 さらに免許には指定事項が付き、そこに書かれた範囲でしか運用できない。

この構造から二つの実務的な帰結が出る。

  • 設備を買ってきただけでは電波は出せない。操作体制まで含めて免許の対象である
  • 免許には指定事項が付く。周波数・空中線電力・識別信号・運用許容時間などが具体的に書かれ、 そこから外れた運用は免許の範囲外になる

指定事項の存在は、第5.1章で述べた「諸元の凍結」が国内側にも現れるということを意味する。 ITUに申告した諸元と、免許に指定された諸元と、実機の性能。この三つは一致していなければならない。

5.2.3 無線局の種別 — 深宇宙ミッションが関わるもの

無線局には多数の種別があり、種別ごとに適用条項と手続の重さが違う。 深宇宙ミッションで関係するのは主に次のものである。

種別実体典型的な設置場所手続の重さ
人工衛星局探査機に搭載された送受信系探査機(打上げ後は宇宙空間)重い。国際調整が必須
地球局宇宙局と通信する地上の局深宇宙局、追跡局重い。大電力・大開口
実験試験局科学・技術の発達のための実験等を行う局科学衛星・研究用地上設備目的により変わる
陸上移動局 等射場・試験場の連絡用射場、組立棟軽い

注意すべきは、これらが排他的な分類ではないことである。 科学衛星に搭載された送受信系は、人工衛星に開設される局であると同時に、 科学の発達のための実験を目的とする局でもある。 どの種別で申請するかは、目的と運用実態から決まる。 過去の同種ミッションがどう扱われたかを確認するのが最も確実である。

【局を数える】 一つのミッションで免許を要する無線局は一つではない。典型的には次のように分かれる。
①探査機の送受信系(人工衛星局)
②深宇宙局(地球局)— 局ごとに別の免許。複数局を使うなら複数必要
③射場での機体チェックアウト用の設備
④打上げ時の追跡用設備
それぞれ申請時期も担当部署も違う。第5.1章のガントに、この分だけ線が増えると考えてよい。 「衛星の免許」を一本の作業だと思っていると、工程の見積りを外す。

5.2.4 免許人は誰か

免許人は無線局を開設する主体であり、法的な責任を負う。 深宇宙ミッションでは、機関・大学・企業が単独または連携して関わるため、 誰が免許人になるかを早い段階で決めておく必要がある。

これは形式的な問題ではない。免許人は次のすべてに責任を持つ。

  • 指定事項の遵守と、逸脱時の報告
  • 無線設備の維持(技術基準に適合し続けること)
  • 操作体制の確保(第5.2.5項)
  • 干渉が生じた場合の対応(第4.5章)

共同ミッションでは、探査機の免許人と地上局の免許人が別ということが普通に起きる。 国際協力ミッションでは、相手国の局を使う場合もある。 このとき誰がどの局の責任を負うかは、技術的な分担とは別に定めなければならない

5.2.5 無線設備の技術基準

無線設備には技術基準が定められており、免許の審査ではこれへの適合が問われる。 深宇宙ミッションで実際に効いてくるのは、次の三つである。

項目何を制限するか本書の該当章
周波数の許容偏差指定された周波数からのずれ第5.6章(測定)
占有周波数帯幅の許容値全電力の99%が含まれる帯域幅第3.5章・第5.6章
スプリアス発射・不要発射の強度必要帯域外に漏れる電力第3.5章・第5.6章

この三つは、そのまま落成検査で測る項目になる(第5.6章)。 つまり技術基準は抽象的な要求ではなく、最終的に測定値と突き合わせられる具体的な数値である。 設計段階から測定の実現性を考えておくべき理由がここにある。

■ 規制の二重構造
深宇宙ミッションには国内の技術基準国際的な保護基準・マスクの両方がかかる。 両者は独立に定められており、厳しいほうが実効的な制約になる
国内基準に適合していても、SFCG勧告のスペクトルマスク(第3.4章)を満たさなければ 国際調整で問題になる。逆もある。 設計の制約条件を書き出すときは、必ず両方を並べて、どちらが効いているかを明示すること。

5.2.6 無線従事者 — 操作する人の資格

無線設備の操作には資格が要る。これが四つ目の軸である。 大電力・大開口の地球局は、要求される資格の等級が高くなる。

実務で問題になるのは、資格者の人数と配置である。 深宇宙ミッションの運用は長期間・24時間体制になりうるため、 シフトを組んでも要件を満たせる人数が必要になる。 これは打上げの直前に慌てて用意できるものではない。 第5.1章のガントに、資格取得のリードタイムという線をもう一本足しておくべきである。

5.2.7 免許が要らない場合との対比

電波を出すのに免許が要らない、あるいは手続が軽い枠組みも存在する。 深宇宙ミッションはそのいずれにも当てはまらないが、 なぜ当てはまらないのかを理解しておくと、規制の設計思想が見える

枠組み成立する理由深宇宙が当てはまらない理由
微弱無線設備電界強度が極めて小さく、干渉を与えない大電力を送信する
特定小電力・技適型式が標準化され、個別審査が不要一品物。標準型式が存在しない
包括免許・登録局同型の局を多数開設する形態に対応局数が少なく、個別に諸元が違う
光通信3 THz超で電波法上の「電波」でない—(第6.3章で扱う)

整理すれば、手続を軽くできるのは「干渉を与えないと事前に分かっている」か「標準化されている」場合である。 深宇宙ミッションはどちらでもない。一品物の大電力設備を、国際的に共用される狭い帯域で使う。 手続が重いのは、対象が重いからである。

Q. 探査機の送信機は宇宙にあるのに、なぜ日本の電波法が適用されるのか
A. 免許人が日本にあり、日本の主管庁を通じて国際的な届出を行うからである。 無線局の「設置場所」が国外・宇宙空間であっても、免許の枠組みからは外れない。 むしろどの国の主管庁を通すかは、国際手続における立場そのものである(第5.4章)。
Q. 海外の地上局を使う場合、日本の免許は要るか
A. その局の免許はその国の制度に従う。日本の免許ではカバーされない。 国際協力で相手国の局を使う場合、相手側が自国で免許を持っていることが前提になる。 ただし探査機側(人工衛星局)の免許は日本で必要であり、 そこに「通信の相手方」としてどの局を書くかという問題が生じる。 使う可能性のある局は、あらかじめ申請に含めておくのが実務上の定石である。
Q. 指定事項から外れた運用をしてしまったら
A. 免許の範囲外の運用であり、法的には問題になる。 重要なのは気づいた時点で記録し、報告することである。 深宇宙ミッションでは、探査機の異常により意図しない周波数・電力で送信が続く事態がありうる。 この場合の対応手順は、運用フェーズの周波数管理(第5.8章)としてあらかじめ決めておく。 「起きてから考える」で間に合う類の事象ではない。
Q. 予備免許の前に電波を出して試験したい
A. 電波暗室内での試験など、外部に電波を出さない形であれば無線局の運用には当たらない。 屋外で放射する試験を行うなら、それ自体が免許または相応の手続を要する。 試験計画を立てる段階で、どの試験がどの枠組みに入るかを仕分けておくこと。 ここを曖昧にしたまま日程を組むと、試験の直前に止まる。
■ この章のまとめ
  • 電波法の目的は公平かつ能率的な利用。審査は技術適合と資源配分の二本立て
  • 電波法上の「電波」は3 THz以下。光通信が別世界になる根拠
  • 無線局=無線設備+操作を行う者の総体。装置だけでは無線局ではない
  • 免許には指定事項(周波数・空中線電力・識別信号ほか)が付き、その範囲でしか運用できない
  • ITU申告諸元・免許の指定事項・実機性能の三つが一致していなければならない
  • 一ミッションで免許を要する局は複数。探査機・地球局・射場設備をそれぞれ数えること
  • 技術基準の実効は周波数偏差・占有帯域幅・スプリアスの三項目。そのまま検査項目になる
  • 国内技術基準と国際マスクは独立。厳しいほうが効く。両方並べて明示する
  • 無線従事者は人数と配置が問題。資格取得のリードタイムを工程に入れる
  • 手続が軽くなるのは「干渉しないと分かっている」か「標準化されている」場合。深宇宙はどちらでもない
要確認(一次資料)。 本章は枠組みの構造を示すことを目的としており、条文番号・定義・技術基準の具体値は必ず一次資料で確認すること。 ①電波法および電波法施行規則における無線局の種別の定義と適用条項。 ②周波数の許容偏差・占有周波数帯幅の許容値・スプリアス発射の強度の許容値(無線設備規則等)。 ③無線従事者の資格と操作範囲。 ④実験試験局として申請するか否かの判断は、過去の同種ミッションの扱いを含めて確認すること。 いずれも改正される。参照した版と確認日を本文に残すこと。付録C参照。

第5.3章国内手続② 予備免許・落成検査・本免許

■ この章で学ぶこと
本書で最も「知らないと詰む」章である。 免許は一段階では出ない。申請して審査を受け、まず予備免許で工事を許され、 設備が完成したら検査を受け、それに通って初めて免許が出る。 この多段構造を知らずに「打上げの半年前に申請すればよい」と考えると、確実に間に合わない。 本章では各段階で何が許され、何がまだ許されないのかを明確にし、 検査で何を見られるか、どこで差し戻されやすいかまで踏み込む。 測定の中身そのものは第5.6章に譲る。

5.3.1 全体の流れ

まず全体像を見る。重要なのは箱の並びではなく、各段階で自分に何が許されているかである。

免許申請 第6条 審査 第7条 予備免許 第8条 工事・落成届 第10条 落成検査 第10条 免許 第12条 この段階で許されること 電波は出せない・工事もできない 工事ができる。ただしまだ電波は出せない 運用開始 人工衛星局:検査時点で設備は地上にある。 実際の電波発射は打上げ後(第5.7章)
図5.3-1 免許手続の段階と、各段階で許されること。 予備免許は「電波を出してよい」という許可ではない。工事に着手してよいという許可である。 人工衛星局ではさらに、検査と実際の電波発射のあいだに打上げが挟まる。
■ 最も多い誤解
「予備免許が出た=ほぼ通った」ではない。 予備免許は工事設計の妥当性を認めたものであって、完成品の性能を認めたものではない。 落成検査で測定値が基準を外せば、そこで止まる。 予備免許の段階で安心して測定計画を後回しにするのが、国内手続で最も多い事故である。

5.3.2 申請書に何を書くのか

免許申請では、おおむね次の事項を記載する(電波法第6条)。 工学の側から見ると、後半の技術項目に目が行きがちだが、 審査で問われるのは前半の目的・理由の部分でもある

記載事項実務上の中身効く先
目的何のための無線局か局種別の決定(第5.2.3項)
開設を必要とする理由なぜこの周波数が必要か資源配分の判断
通信の相手方・通信事項どの局と、何を通信するか使う地上局を列挙(第5.2.4項)
無線設備の設置場所局の所在。人工衛星局では軌道幾何条件・干渉解析
電波の型式・周波数変調方式の分類記号と中心周波数第3.5章(マスク)
希望する運用許容時間いつ電波を出すか共用条件(第4.3章)
工事設計送信機・空中線・給電系の諸元技術審査、落成検査

「開設を必要とする理由」は形式的な項目に見えるが、 第5.2.1項で述べたとおり審査には資源配分の判断が含まれる。 同じ帯域を求める他の申請がありうる以上、 なぜこの帯域でなければならないかを技術的に説明できることが必要である。 第2.5章の帯域選択の議論は、そのままここで使える。

5.3.3 予備免許で指定されること

審査を通ると予備免許が与えられ、同時に次の事項が指定される(電波法第8条)。

  • 工事落成の期限 — この日までに設備を完成させ、落成届を出す
  • 電波の型式および周波数
  • 識別信号
  • 空中線電力
  • 運用許容時間

このうち工程上いちばん効くのが工事落成の期限である。 期限までに完成しなければ、原則として手続をやり直すことになる。 探査機の開発は遅れるものであり、「予備免許を早く取りすぎる」ことにもリスクがある。 早く取れば安心という単純な話ではない点に注意すること。

【予備免許を取る時期の判断】 早く取る利点:国内手続の不確実性を早期に潰せる。国際手続との整合を早く確認できる。
早く取る欠点:工事落成の期限が早く来る。設計変更のたびに変更手続が要る。
したがって適切な時期は、工事設計が実質的に凍結し、かつ完成時期の見通しが立った時点である。 第5.1章のガントで予備免許がL−3年付近に置かれているのは、この条件を満たす最も早い時期がそこだからである。

5.3.4 工事設計の変更

予備免許の後に設計を変えたくなることは、必ず起きる。 変更の扱いはその大きさによって二段階になっている。

変更の性質手続
軽微な変更届出電気的特性に影響しない部品変更 等
それ以外あらかじめ許可空中線電力の変更、周波数の変更、空中線の変更 等

ここで第5.1章の議論が戻ってくる。 周波数や空中線電力の変更は、国内では変更許可、国際では再調整を引き起こしうる。 すなわち一つの設計変更が二方向に波及する。 設計変更の影響評価の中に、「周波数手続への影響」という欄を必ず作っておくこと。 機体側のレビューでこの欄が空のまま通ってしまうのが、典型的な失敗である。

5.3.5 落成届と検査 — 何を見られるか

設備が完成したら落成届を出し、検査を受ける(電波法第10条)。 検査で見られるのは無線設備だけではない。第5.2.2項の四つの軸がそのまま検査項目になる

検査の対象見られること準備するもの
無線設備技術基準への適合。実際に測定する測定成績書、測定系(第5.6章)
無線従事者資格の種別と員数資格者の名簿・免許証
時計・業務書類備え付けが必要なもの各種書類
設置状況申請どおりに設置されているか系統図、設置場所の実体

技術的に問われるのは、第5.2.5項で挙げた三項目である。

測定項目何を確認するか詳細
周波数の偏差指定周波数からのずれが許容範囲内か第5.6.2項
占有周波数帯幅全電力の99%が入る帯域幅が許容値以内か第5.6.3項
スプリアス発射・不要発射帯域外への漏れが許容値以内か第5.6.4項
空中線電力指定値に対して許容偏差内か第5.6.5項
■ 鉄則
検査で初めて測る、ということをしてはならない。 同じ項目を、同じ測定系で、事前に自分で測っておく。 検査は「基準を満たしていることを確認する場」であって「性能を発見する場」ではない。 事前測定で外れていれば、そこには対策の時間がある。検査で外れれば、日程がやり直しになる。
深宇宙局の場合、測定系そのものの構築に時間がかかる。 測定系の準備を工事の一部として工程に入れておくこと。

5.3.6 免許状と、そこに書かれること

検査に合格すると免許が与えられ、免許状が交付される(電波法第12条)。 免許状には、識別信号・電波の型式および周波数・空中線電力・運用許容時間などが記載される。 これが第5.2.2項でいう「指定事項」の最終形であり、運用の法的な境界線になる。

免許には有効期間がある。期間満了後も運用を続けるには再免許の手続が要る。 深宇宙ミッションは運用期間が長く、しかも延長運用が常態である。 当初計画の運用期間だけを見て免許期間を考えていると、 探査機がまだ健全なのに免許が切れるという事態になりうる。 再免許の時期は、ミッション運用計画とは別の時計で管理すること(第5.8章)。

5.3.7 よくある差し戻しと、その回避

差し戻しの原因なぜ起きるか回避
書類間の不整合申請書・工事設計・系統図・ITU申告が別々に更新される諸元表を一本化し、そこから各書類を生成する
通信の相手方の記載漏れ後から使う地上局が増える使う可能性のある局を初めから含める
占有帯域幅の見積り不足変調指数・符号化の影響を計算していない第3.5章の計算を設計段階で回す
スプリアスの実測超過電力増幅器の非線形、電源系の漏れ事前測定。第5.6章
資格者の員数不足運用体制の検討が遅い資格取得のリードタイムを工程に入れる

五つのうち四つが「情報の不整合」または「検討の遅さ」であり、技術的な難しさではない。 これは重要な観察である。国内手続で詰まる原因の大半は、管理の問題である。

【諸元表を一本化するということ】 周波数・帯域幅・EIRP・空中線利得・変調諸元といった量は、 申請書、工事設計、ITU申告、SFCG提出資料、干渉解析書、リンクバジェットにそれぞれ書かれる。 これらを個別に管理すれば、必ずどこかがずれる。
対策は単純で、正となる諸元表を一つ決め、他はすべてそこから引くことである。 更新はその表だけで行い、変更履歴を残す。この仕組みがあるかどうかが、工程の後半で効いてくる。

5.3.8 変更・再免許・廃止

免許取得後も手続は続く。運用中に生じる主なものは次の三つである。

  • 変更 — 周波数・空中線電力・設置場所などを変えるとき。国際側への影響も同時に評価する
  • 再免許 — 有効期間満了時。延長運用が見込まれるなら早めに準備する
  • 廃止 — ミッション終了時。ITU側の登録の扱いも併せて整理する(第5.8章)

また、免許取得後には定期検査が行われる。 地球局は地上にあり続けるので実施できるが、 人工衛星局は設備が宇宙にあるため、地上の無線局とは扱いが異なる。 この差の具体的な扱いは一次資料で確認すること。

Q. 人工衛星局は、宇宙にある設備をどうやって検査するのか
A. 打上げ前、設備が地上にあるうちに検査する。 これが人工衛星局の手続が地上局と決定的に違う点である。 したがって検査の時期は射場作業の前に来る。第5.1章のガントで検査がL−数か月に置かれているのはそのためである。
そして実際に電波を出すのは打上げ後なので、そこで初めて分かることが残る。 その確認が実通試験(第5.7章)である。
Q. 予備免許の期限に間に合いそうにない
A. 早めに相談すること。期限が来てから報告するのが最悪である。 探査機の開発遅延は珍しいことではなく、事前に見通しを共有していれば取りうる手はある。 遅延そのものより、遅延の報告が遅いことのほうが問題になる。
Q. 検査は自分で測るのか、検査官が測るのか
A. 実施形態は局種別や制度によって異なり、 登録を受けた事業者による点検の結果を用いる仕組みもある。 いずれの形であっても、自分で事前に測っておくべきことは変わらない。 具体的な実施方法は、所轄の総合通信局に早い段階で確認すること。
Q. 地上局を新設せず、既存局を使う場合はどうなるか
A. その局が既に免許を持っているなら、新規の免許は不要である。 ただし新しい周波数や新しい相手方を追加するなら変更手続が要る。 「既存局を使うから手続は要らない」と考えて工程から落とすのは典型的な抜けである。 既存局側の免許内容を早い段階で確認し、追加が必要な項目を洗い出すこと。
■ この章のまとめ
  • 免許は一段階では出ない。申請 → 審査 → 予備免許 → 工事・落成届 → 検査 → 免許
  • 予備免許は「電波を出してよい」ではなく「工事してよい」という許可
  • 予備免許では工事落成の期限が指定される。早く取りすぎると期限が早く来る
  • 申請では技術諸元だけでなく「開設を必要とする理由」も問われる。資源配分の判断があるため
  • 設計変更は軽微なら届出、それ以外はあらかじめ許可国際側の再調整も同時に評価する
  • 検査は無線設備・無線従事者・書類・設置状況を見る。四つの軸がそのまま検査項目
  • 技術項目は周波数偏差・占有帯域幅・スプリアス・空中線電力。第5.6章で扱う
  • 検査で初めて測るな。測定系の構築を工事の一部として工程に入れる
  • 差し戻しの大半は書類間の不整合。正となる諸元表を一本化して全書類をそこから引く
  • 深宇宙は延長運用が常態。再免許を運用計画とは別の時計で管理する
  • 人工衛星局は設備が地上にあるうちに検査し、電波発射は打上げ後になる
要確認(一次資料)。 本章は手続の構造と実務上の勘所を示すものであり、 条文番号・検査の実施方法・許容値・有効期間は必ず一次資料で確認し、確認日を明記すること。 ①電波法第6条〜第12条(申請・審査・予備免許・落成検査・免許)および関係する施行規則。 ②工事設計の変更に関する区分(届出で足りる範囲と許可を要する範囲)。 ③落成検査および定期検査の項目・実施方法、登録検査等事業者制度の利用可否。 ④免許の有効期間と再免許の申請時期。 ⑤人工衛星局における検査の扱い。地上局との差は制度上の重要点であり、所轄の総合通信局への確認を推奨する。 付録C参照。

第5.4章ITUへの届出 — API・調整・通告

■ この章で学ぶこと
国内の免許(第5.2〜5.3章)が「日本国内で電波を出してよい」という許可だとすれば、 ITUへの届出は「この周波数の使用を国際的に認知させ、保護を受ける」ための手続である。 手続はAPI(事前公表)→ 調整 → 通告という三段で進み、 最後に国際周波数登録原簿(MIFR)に記載されて完結する。 本章ではこの三段の各々で何を提出し、何を得て、何を失いうるかを追う。 結論を先に言えば、この手続の本質は「早い者勝ちの秩序化」であり、 年単位の時間がかかるという事実そのものが設計制約になる。

5.4.1 なぜ届出で「権利」が生まれるのか

まず原理を押さえる。ITUは周波数を「配分」するが(第1.3章)、 配分は業務への割り当てであって、特定のミッションへの割り当てではない。 同じ深宇宙帯域を、どの国のどのミッションが使ってもよい。 では複数のミッションがぶつかったら、どちらが守られるのか。

答えは「先に手続を終えて登録原簿に記載された局」である。 MIFRに記載された割当ては、国際的な承認を得て、 後から来る局に対して保護を主張できる。 逆に、記載のない運用は保護を主張できない。 つまりITU手続は、許可を「もらう」手続ではなく、 自分の使用を既成事実として国際的に確定させる手続である。 第5.1章で「国際が先」と述べた理由も、突き詰めればこの早い者勝ちの構造にある。

■ 原則
ITUは審判であって警察ではない。 BR(無線通信局)は書類を審査し記載するが、干渉を取り締まる実力部隊を持たない。 MIFRの記載が与えるのは「干渉を受けたときに、相手国に対して是正を求める国際法上の立場」である。 その立場すら持たない局は、干渉されても文句を言う場所がない。 これがMIFRに記載する実務的な意味のすべてである。

5.4.2 三段の手続 — 全体像

API(事前公表) RR 9.1 — こう使いたい 各国が 意見提出 調整 影響を与える国と合意 合意成立 通告 RR Art.11 — 使います MIFR 記載 国際的な保護の獲得 BRが審査:技術基準・調整完了の確認 不備なら差し戻し(=月単位の損失) API受理 → 使用開始の期限:7年(RR 11.44)。超えると届出は失効する 全体で数年。うち調整(アクセント色)が最長 — 相手のある工程だから
図5.4-1 ITU手続の三段構造。 API「こう使いたい」→ 調整「影響を受ける国と合意する」→ 通告「使います」の順で進み、 BRの審査を経てMIFRに記載されて完結する。 時間を支配するのは中央の調整である。

三段のそれぞれを、提出・審査・結果の順に見ていく。

5.4.3 API — 事前公表資料

APIは「このような衛星ネットワークを計画している」という国際社会への予告である。 主管庁がBRに提出し、BRが国際周波数情報回章(BR IFIC)で公表する。 各国はこれを見て、自国の局への影響を検討し、意見を出す。

APIに書く内容は概略でよい。軌道、周波数帯、電力束密度の見積りなど、 他国が「自分に影響があるか」を判定できる程度の情報である。 第5.1章で述べたとおり、提出時期には両側の制約がある: 使用開始予定日の7年前より早くは受理されず、 受理から7年以内に使用を開始しなければ失効する(RR No. 11.44)。

【APIの位置づけを取り違えない】 APIは「審査に通す」書類ではない。BRはAPIの技術的妥当性を審査しない。 公表して各国の目に晒すことがAPIの機能である。
したがってAPIの品質とは、正確さよりも「後の調整・通告と矛盾しない包絡を切れているか」である。 APIに書いた範囲より外側の運用は、後段の手続で問題になる。 第5.1章の「幅の設定」の議論が、最初に効くのがここである。

5.4.4 調整 — 最も時間がかかる段

調整は、自局の運用が既存局・先行計画局に有害な干渉を与えうる場合に、 相手国と個別に合意する手続である。 どの局と調整が必要かの判定には、RRに定められた基準 (PFDの閾値、ΔT/T > 6% など。第4.1章で扱った量がここで使われる)が適用される。

実務の流れは次のようになる。

  1. 調整資料(CR/C)を主管庁経由でBRに提出。BR IFICで公表される
  2. 影響を受けると考える国が、期限内に調整要求を出してくる
  3. 相手国・相手ネットワークごとに個別協議。技術的な回避策(時間分割、 周波数オフセット、指向制約、電力制限)を積み上げて合意を作る
  4. 全相手との合意が揃えば調整完了

時間を支配するのはステップ3である。相手は一国とは限らず、 合意の材料は干渉計算(第4部)そのものである。 ここで第4部の計算力が外交の道具になる。 「ΔT/Tがこれだけだから調整不要のはず」「このオフセットならI/Nが基準内」という 定量的な提案ができるチームは、調整が速い。

■ 深宇宙ミッションの実情
深宇宙帯域は使用者が少なく、調整相手は主要宇宙機関にほぼ限られる。 このため正式のITU調整より先に、SFCG(第3.3章・第5.5章)の場で実質的な調整が済んでいることが多い。 SFCGでの了承は法的拘束力を持たないが、当事者がほぼ全員その場にいるので、 ITU手続は「SFCGで合意済みの内容を法的に確定させる」性格を帯びる。 だからSFCGの会合を逃すことが、ITU手続の遅延に直結する(第5.1章の律速の正体)。

5.4.5 通告とMIFR記載

調整が済んだら、通告(RR Article 11)で「実際に使用する」ことをBRに届け出る。 BRはここで初めて実質審査を行う。見られるのは主に二点である。

  • 技術基準への適合 — RRの該当条項(PFD制限など)を満たしているか
  • 調整の完了 — 必要な調整が済んでいるか

審査に通れば MIFR に記載され、記載日をもって国際的な保護の起点となる。 通らなければ差し戻され、再提出になる。 差し戻しからの再提出は月単位の損失なので、 通告の前に主管庁と記載内容を精査しておくのが実務の定石である。

もう一つ、忘れられがちな締めの手続がある。 実際に使用を開始したら、その旨をBRに確認する(使用開始の通知)。 第5.7章の実通試験の完了と対になる作業であり、これで7年の時計が止まる。

5.4.6 主管庁経由という経路 — 機関側の準備

繰り返しになるが、ITUに対して行為をするのは常に主管庁(日本では総務省)である。 機関・大学・企業は、主管庁に対して資料を用意する立場になる。 この構造が実務に与える影響は三つある。

影響中身対策
締切の前倒し主管庁側の確認・翻訳・提出作業の分だけ、社内締切は早まる主管庁との定例の場を早期に作る
書式の変換提出は電子的な所定様式。設計資料からの転記で誤りが入りやすい諸元表の一本化(第5.3章)から自動生成する
やり取りの往復BRからの照会は主管庁経由で届き、回答も主管庁経由で返す照会対応の応答期限を社内で決めておく

特に照会対応は軽視されやすい。BRからの照会に答えないまま放置すれば、 手続は止まり、最悪の場合は届出の失効につながる。 「提出したら終わり」ではなく「記載されるまでが手続」である。

5.4.7 費用と手数料

衛星ネットワークの届出には、BRのコスト回収の仕組みとして手数料がかかる。 金額は届出の種類・規模で変わるため一次資料で確認すべきだが、 重要なのは支払わなければ届出が取り消されるという点である。 技術でも外交でもない、純粋に事務的な失効事由が存在する。 予算と支払いの担当を、工程表の中に明記しておくこと。

Q. APIを出せば、その帯域を「予約」できるのか
A. できない。APIは予告であって権利ではない。 保護の起点はあくまでMIFRへの記載である。 ただし調整の場では、手続の先行者として扱われるという実質的な意味はある。 「APIを出したから安心」でも「APIはただの紙」でもなく、 手続上の順番待ちの列に並んだ状態と理解するのが正確である。
Q. 調整がまとまらなかったらどうなるのか
A. まず技術的な回避策を尽くす(時間分割・周波数オフセット・電力制限・指向制約)。 それでも合意に至らない場合の手続的な出口はRRに定めがあるが、 深宇宙の実務ではSFCGの場で当事者間の運用調整に落とし込むのが通例である。 深宇宙帯域のコミュニティは狭く、全員が「次は自分が調整される側」であることを知っている。 この相互性が、明文の強制力より強く働く。
Q. 軌道が変わったら(例:打上げ延期で遷移軌道が変更)出し直しか
A. 変更の性質による。深宇宙ミッションの届出は静止衛星と違い軌道位置に強く縛られないが、 申告した特性の包絡を超える変更は修正の提出が必要になる。 修正が調整のやり直しを引き起こすかどうかが分かれ目であり、 ここでも「初期申告の幅」(第5.1章)が効く。 迷ったら主管庁に早く相談すること。判断を先送りするほど選択肢が減る。
Q. 相手国のミッションがMIFRに記載されないまま運用している。守る必要はあるか
A. 法的な保護を主張できるのは記載された側である。 しかし実務上は、干渉は物理現象であり、相手の書類の状態と無関係に自分の受信は壊れる。 法的な立場と、運用上の自衛は別の問題として扱うこと(第4.5章)。 深宇宙コミュニティでは、書類の不備を理由に協議を拒む例はまれで、 SFCGの場で運用調整されるのが普通である。
■ この章のまとめ
  • ITU手続の本質は早い者勝ちの秩序化。MIFR記載が国際的な保護の起点になる
  • ITUは審判であって警察ではない。記載が与えるのは干渉時に是正を求める立場である
  • 手続はAPI(予告)→ 調整(合意)→ 通告(審査・記載)の三段
  • APIは審査されない。品質とは後の手続と矛盾しない包絡を切れているかである
  • 時間を支配するのは調整。干渉計算(第4部)が定量的な交渉材料になる
  • 深宇宙ではSFCGでの実質調整が先行し、ITU手続はそれを法的に確定させる性格を帯びる
  • 通告でBRが見るのは技術基準への適合調整の完了。差し戻しは月単位の損失
  • 使用開始したらBRへ通知して7年の時計を止める(RR No. 11.44)
  • ITUへの行為者は常に主管庁。照会対応まで含めて「記載されるまでが手続」
  • 手数料の不払いという事務的な失効事由がある。支払い担当を工程に明記する
要確認(一次資料)。 本章の手続の枠組みはRR Article 9(API・調整)および Article 11(通告・記載)に基づくが、 条項番号・期限日数・調整要否の閾値はWRCごとに改正されうる。執筆時点の記述を鵜呑みにせず、 ①RR最新版の該当条項(特にNo. 9.1、No. 9.2、Article 9 Section II、No. 11.44)、 ②調整要否判定の技術基準(RR Appendix 5)、 ③提出様式と電子提出の方法(BRの現行ツール)、 ④手数料の現行の額と支払い条件、 ⑤深宇宙ミッションの届出で軌道情報をどう記述するかの現行実務、 を必ず確認し、参照した版と確認日を明記すること。付録C参照。

第5.5章SFCGへの提出と各国調整

■ この章で学ぶこと
SFCGが何であり、なぜ拘束力のない勧告が守られるのかは第3.3章で扱った。 本章はその使い方である。すなわち、何を・いつ・どんな形で提出し、 他機関との衝突が起きたらどう解決し、会合で技術者は何を説明するのか。 前章までで見たとおり、深宇宙の周波数調整の実質はSFCGの場で決まり、 ITU手続はそれを法的に確定させる側面が強い。 つまり本章の巧拙が、第5.1章のガント全体の速度を決める。 ここは書類の書き方の話であると同時に、ふるまい方の話でもある。

5.5.1 何を、いつ提出するか

SFCGの調整は年次会合を軸に回る。ミッション側から見た提出物は、 おおむね次の三種類に整理できる。

提出物時期目的書く中身
ミッションの周波数計画概念検討の初期(L−7〜−5年)存在を知らせる。衝突の早期発見帯域、軌道の概略、運用期間、使用局
諸元の詳細と適合性基本設計期(L−5〜−3年)勧告への適合を示し、了承を得る中心周波数、帯域幅、変調、EIRP、マスク適合の根拠
変更・干渉事象の報告発生時・運用中合意状態の維持変更点と影響評価、干渉の記録(第4.5章)

時期の感覚が重要である。一つ目の提出は「まだ何も固まっていない」段階で行う。 固まってから知らせるのは遅い。 他機関が同じ帯域・同じ天域で計画を進めていた場合、 両者とも設計が進んでいるほど回避のコストが上がるからである。 早く出すことは、自分のためでもあり、コミュニティへの礼儀でもある。

■ 原則
SFCGへの提出は「審査を受ける」ことではなく「調整の座標を与える」ことである。 提出が遅い・情報が粗いミッションは、他機関から見れば「衝突するかどうか判定できない未知の物体」であり、 調整の場では最も扱いにくい。 情報を先に出す側が、調整の主導権を持つ。

5.5.2 事前調整 — 会合の外で決まる

年次会合は合意を「確認する」場であって、合意を「作る」場ではない。 実務の調整は、会合の前に機関間の実務者レベルで進む。

  1. 影響範囲の特定 — 同じ帯域・重なる期間・近い天域のミッションを洗い出す。 公表されているミッション計画とSFCGの過去資料が出発点になる
  2. 一次計算の交換 — 第4部の手法でI/N・ΔT/Tを計算し、結果を相手と共有する。 互いの計算の前提(アンテナパターン、運用シナリオ)を揃えることがこの段階の実質
  3. 回避策の設計 — 干渉が基準を超えるなら、時間分割・周波数オフセット・ 指向制約・電力制限の組合せで回避策を作る
  4. 会合での確認 — 合意内容を文書化し、会合で記録に残す

ステップ2で計算の前提を揃える作業は、地味だが決定的である。 同じ幾何・同じ諸元で計算しても、 前提が違えば結果は桁で変わる(第4.2章)。 「数字が合わない」のほとんどは物理の相違ではなく前提の相違であり、 前提を表にして突き合わせるだけで解消することが多い。

5.5.3 衝突が起きたときの解決手順

回避策の設計には定石の順序がある。安いものから試す

回避策コスト使える条件
1時間分割(運用スケジュールの調整)低い — 運用の工夫で済む両者の重要イベントが重ならないこと
2指向の制約(合の前後だけ制限等)低〜中幾何的に分離できる期間が主であること
3周波数オフセット(チャネル配置の調整)中 — 設計変更を伴いうる帯域内に余地があること(第4.2章)
4電力・データレートの制限高い — ミッション性能を削るリンクマージンに余裕があること
5帯域の変更最も高い — 手続やり直し最後の手段

この順序には根拠がある。深宇宙ミッションの干渉は、 幾何(同一ビーム内に入る期間)が限られていることが多い(第4.2章)。 恒常的に共存できない相手はまれで、 問題になるのは「臨界運用が同じ週に重なる」ような局面である。 だから時間分割が最初に来る。 年に数日の問題のために設計を変えるのは、ほぼ常に損である。

【優先順位の暗黙律】 複数ミッションの重要イベントが重なったとき、何が優先されるかに明文の規則はないが、 コミュニティには安定した慣行がある。おおむね:
クリティカルイベント(着陸、軌道投入、緊急時対応)が定常運用に優先する
機会が一度しかない観測(フライバイ、掩蔽)が繰り返せる運用に優先する
③同格なら先に計画を提出していた側の立場が強い
この暗黙律は相互性で支えられている。今回譲った側は、次回は譲られる。 一度でも「自分だけ例外」を主張した機関は、次の調整で必ず高くつく。

5.5.4 会合の準備 — 技術者は何を説明するのか

会合に出るのが周波数担当者であっても、資料を作るのは設計者である。 技術者に求められる説明は、突き詰めれば次の三つしかない。

  • 適合性 — スペクトルマスク・PFD制限・保護基準を満たすことの定量的な根拠(第3部)
  • 影響 — 既存・計画中の他ミッションへの干渉計算の結果(第4部)
  • 柔軟性 — どのパラメータなら動かせるか、どこは動かせないか

三つ目が見落とされやすい。調整とは交換であり、 「動かせる範囲」を把握していない代表団は交換材料を持たずに交渉に臨むことになる。 会合前に設計側と「ここまでは譲れる/ここからは無理」の線を確認しておくこと。 その線の根拠は、リンクバジェットの余裕(『宇宙通信』)と運用計画の制約である。

5.5.5 合意事項の社内展開 — 調整は持ち帰ってから完結する

会合で合意して終わり、ではない。合意は設計と運用への要求に翻訳されて初めて意味を持つ。

  1. 合意内容を要求文書の形式に変換する(例:「○○期間中はEIRPを△△dBW以下とする」)
  2. 設計・運用の担当部署に割り付け、追跡可能にする(Systems-Engineeringの要求管理と同じ流儀)
  3. 諸元表(第5.3章)に反映し、ITU側・国内側の書類との整合を確認する
  4. 運用計画・運用手順書に落とす。運用者が合意の存在を知らなければ、合意は破られる

最後の点が実際の事故源である。調整合意は文書としては周波数担当者の手元にあり、 探査機を実際に運用するのは別のチームである。 合意から運用まで数年空くことも珍しくない。 人が入れ替わっても合意が生き続ける仕組み——運用制約としての明文化——が必須である。

Q. SFCGに出せば、ITUの調整(第5.4章)は省略できるのか
A. 省略できない。SFCGでの合意に法的効力はなく、MIFRへの記載はITU手続でしか得られない。 両者の関係は「SFCGで実質を固め、ITUで法的に確定する」である。 逆に、ITU手続だけ進めてSFCGを無視することも制度上は可能だが、 深宇宙コミュニティでそれをやる機関は調整相手として信用を失う。実務上の選択肢ではない。
Q. 商業ミッションや大学の小型探査機はどう関わるのか
A. SFCGは宇宙機関の集まりであり、非機関のミッションは直接の座席を持たない。 関わり方は国・機関により異なるため、早い段階で自国の参加機関に相談すること。 重要なのは、座席がなくても調整対象にはなるという点である。 深宇宙帯域を使う以上、他ミッションとの干渉は物理として存在する。 情報が届く経路を確保しておかないと、「知らないうちに調整が決まっていた」側になる。
Q. 相手機関の計算と自分の計算が食い違ったまま会合が来てしまったら
A. 会合で「どちらが正しいか」を争うのは下策である。 前提の相違点を表にし、「この前提の違いが結果の差を説明する」ことの合意を先に取る。 そのうえで、どちらの前提がより現実的かを議論すれば、対立は技術的な検討に変わる。 数字の対立を人の対立にしないこと。これは第4.5章の干渉切り分けと同じ作法である。
Q. 一度も衝突が予想されない場合でも提出は必要か
A. 必要である。「衝突しない」という判定自体が、他機関があなたの計画を知っていて初めて成立する。 提出は衝突があるときの手続ではなく、衝突の有無を全員が判定できる状態を維持するための手続である。 静かなミッションほど早く出して早く済む。
■ この章のまとめ
  • SFCGへの提出は周波数計画(早期)→ 詳細諸元(設計期)→ 変更・事象報告(運用中)の三種
  • 最初の提出は固まる前に出す。互いの設計が進むほど回避コストは上がる
  • 情報を先に出す側が調整の主導権を持つ
  • 合意は会合の外で作られる。計算の前提を揃えることが事前調整の実質
  • 回避策は安い順に:時間分割 → 指向制約 → 周波数オフセット → 電力制限 → 帯域変更
  • 優先順位の暗黙律:クリティカルイベント > 一度きりの観測 > 定常運用。相互性が支える
  • 技術者が用意する説明は適合性・影響・柔軟性の三つ。柔軟性の把握が交渉材料になる
  • 合意は要求文書に翻訳して運用手順まで落とす。運用者が知らない合意は破られる
  • SFCGはITU手続の代わりにならない。実質はSFCG、法的確定はITUという分業である
要確認(一次資料)。 本章は調整実務の構造と作法を記述したものであり、制度の細部は変わりうる。 ①SFCGの現行の参加機関・会合周期・資料提出期限(SFCG事務局の公表情報)。 ②提出文書の現行様式と公開範囲(勧告文書の一部は公開範囲に制限がある。第3.3章)。 ③非機関ミッション(商業・大学)の関与の現行実務は、自国の参加機関に直接確認すること。 ④優先順位の慣行は明文規則ではないため、本章の記述を規則として引用しないこと。 付録C参照。

第5.6章無線設備の測定 — 周波数偏差・占有帯域幅・スプリアス

■ この章で学ぶこと
規制値を「測って示す」ための章である。 何を満たすべきか(マスク・許容値)は第3.5章で扱った。本章はどう測るかである。 この二つを分けるのには理由がある。測定法を誤ると、設備は正常なのに不合格になるからである。 スペクトラムアナライザはRBW・検波方式・掃引時間の設定一つで違う数字を返す測定器であり、 規制側もそれを知っているから、許容値には必ず測定条件が付随している。 値だけ覚えて条件を落とすことが、この分野の事故の型である。 本章を読み終えたとき、落成検査(第5.3章)の測定項目すべてについて、 測定系を組み、設定を決め、成績書を書けるようになっていることを狙う。

5.6.1 この測定は誰のためのものか

測定には常に「誰に何を示すか」がある。本章の測定は三つの顔を持つ。

相手問われること
法令適合の証明検査(第5.3章)技術基準の許容値に、規定の測定法で収まっているか
国際適合の証明SFCG・調整相手(第5.5章)申告したマスク・諸元どおりの電波か
自分の設計検証自分設計どおりにできているか。異常の早期発見

三つは同じ測定系で行えるが、要求される厳密さの種類が違う。 法令適合では「規定の測定法に従ったこと」自体が要件であり、 より優れた独自手法で測っても証明にならない。 測定法が指定されている項目は、まず指定に従う。 設計検証としての追加測定は、その上に積めばよい。

5.6.2 測定系の構成

送信系の測定は、大電力をそのまま測定器に入れられないところから始まる。 基本構成は方向性結合器で一部を取り出し、減衰器で測定器の安全レベルまで落とす

P_{SA} = P_{TX} − C − A [dB]

P_TX は送信電力、C は結合器の結合度、A は減衰器の減衰量、P_SA が測定器入力である。 この式は単純だが、二つの落とし穴がある。

  • C と A は周波数特性を持つ。搬送波近傍では平坦でも、 スプリアス測定で見る高調波(2倍・3倍波)では結合度が数dB違うことがある。 測る周波数ごとの較正値を持っていなければ、スプリアスの絶対値は主張できない
  • 測定器自身が歪む。入力が大きすぎると、スペクトラムアナライザ内部のミキサが 高調波やスプリアスもどきを生成する。見えているスプリアスが被測定物のものか、 測定器のものかは、減衰器を10dB増やして表示が10dBだけ下がるかで判別する (下がり方が10dBでなければ測定器起源が混ざっている)。この確認を習慣にすること
■ 鉄則
測定系のダイナミックレンジを先に見積もる。 スプリアスの許容値が搬送波比で−60dBcなら、測定系はそれより十分低い床 (目安として10dB下)を持たねばならない。 床は測定器の雑音とミキサ歪みの両方で決まり、 入力レベルを上げれば雑音床からは離れるが歪みが増える。 最適点は中間にある。測る前に、この設計を紙の上で済ませておくこと。

5.6.3 周波数偏差 — 基準の確度が測定の確度

周波数の許容偏差は、指定周波数からのずれの上限である。 深宇宙用送信機は超安定発振器や局発基準に高安定の基準を使うため、 設備自体の偏差は小さい。むしろ問題になるのは測定側の基準である。

測定の確度は、測定器の内蔵基準ではなく外部基準の確度で決まる。 地上局にはセシウム基準や GPS 規律発振器がある(『地上局工学』第5.1章)ので、 測定器を必ず局の基準に同期させる。これだけで基準起因の誤差は事実上消える。 逆に内蔵基準のまま測ると、測定器の経年変化がそのまま「偏差」として観測される。

もう一つの実務点は被測定信号の状態である。周波数を測るのは無変調搬送波で行う。 変調がかかったスペクトルの「中心」を読むのは目視推定にすぎない。 測定手順の中に「無変調搬送波を送出するモード」が必要であり、 これは設備側の設計要求として早期に出しておくべきものである(5.6.8項)。

5.6.4 占有周波数帯幅 — 99%という定義を測り方に翻訳する

占有周波数帯幅(OBW)の定義は、全放射電力の99%が含まれる帯域幅である。 すなわち帯域の下側外に0.5%、上側外に0.5%が残るように境界を取る。

∫_{f_1}^{f_2} S(f)\,df = 0.99·P_{total},  ∫_{−∞}^{f_1} S(f)\,df = ∫_{f_2}^{+∞} S(f)\,df = 0.005·P_{total}

OBW = f₂ − f₁ である。現代のスペクトラムアナライザはOBW測定機能を持ち、 掃引で得た各点の電力を積算して両端から0.5%点を探すという、定義そのままの計算をやってくれる。 では何も考えなくてよいかというと、そうではない。積分の中身は表示スペクトルであり、 表示スペクトルは設定で変わるからである。

  • 掃引スパンが狭すぎると、裾が積分から漏れて全電力 P_total を過小評価し、OBWが狭く出る。 スパンはOBW見込み値の2〜3倍以上を取る
  • RBWが広すぎると、スペクトルがRBWフィルタで畳み込まれてなまり、OBWが広く出る。 目安としてRBWはOBW見込み値の1〜3%程度
  • 検波方式は電力を正しく積算できるもの(RMS検波)を使う。 ピーク検波は電力を過大評価する

そして測定時の変調条件が最も効く。OBWは信号の統計的性質に依存するので、 「どのデータレート・どの符号化・どんなデータ系列で測ったか」まで含めて初めて測定条件である。 最悪ケース(最も帯域を広く使う運用モード)で測るのが原則である(5.6.8項)。

5.6.5 スプリアス発射・不要発射 — 領域で測り方が変わる

必要帯域の外側は、搬送波に近い帯域外領域と、遠いスプリアス領域に分かれ、 規制の考え方が違う(第3.5章)。境界は必要帯域幅を基準に定められる (中心から必要帯域幅の±250%が典型)。測定上の含意はこうである。

領域支配的な発射測定の要点
帯域外領域変調の裾(サイドローブ、スペクトル再成長)変調をかけた状態で、搬送波近傍を細かいRBWで掃引
スプリアス領域高調波・寄生発振・相互変調・局発漏れ広い周波数範囲を系統的に掃引。結合系の較正が周波数ごとに必要

スプリアス領域の測定は範囲が広い(規定では9kHzから、送信周波数の数倍上まで及ぶ)。 X帯送信機なら高調波は16GHz、24GHz…にあり、 測定系(結合器・ケーブル・測定器)がその周波数まで使えるかをまず確認する。 「8GHz用の結合器で24GHzの3倍波を測っていた」というのは実際に起きる誤りで、 結合度が仕様外の周波数では、読んだ数字に意味がない。

【どこにスプリアスが出るかは設計から予言できる】 闇雲に全帯域を眺めるのではなく、出るはずの周波数のリストを先に作る。
①送信周波数の整数倍(電力増幅器の高調波。『地上局工学』第4.1章)
②局発周波数とその漏れ、イメージ(周波数変換系の構成から)
③基準周波数の逓倍列(シンセサイザの構成から)
④電源スイッチング周波数とその高調波による側帯波(搬送波の両脇、kHz〜MHzオフセット)
このリストと突き合わせれば、見つかったスプリアスの起源の同定まで一気に進む。 成績書には「出た値」だけでなく起源の考察を書けるのが良い測定である。

5.6.6 スペクトラムアナライザの設定 — 同じ信号が違って見える

本章で最も実用的な話をする。RBW(分解能帯域幅)を変えると、同じ信号のスペクトルは違って見える

dB 周波数(搬送波中心) RBW 狭い: 裾の構造が見え、床が低い RBW 広い: 裾がなまり、床が上がる 表示される雑音床 = 実際の雑音密度 + 10·log₁₀(RBW) — RBWを10倍にすると床は10dB上がる
図5.6-1 同じ信号でも、RBWで表示は変わる。 RBWが広い(青)と、変調スペクトルの裾の構造はRBWフィルタとの畳み込みでなまり、 雑音床は10·log₁₀(RBW)だけ持ち上がる。 裾が床に沈む位置が変わるので、OBWの読みも、スプリアスが「見える」かどうかも変わる。 許容値に測定条件(RBW等)が付随しているのはこのためである。

雑音床の式を明示しておく。測定器の表示する雑音床は

P_{floor} = −174 + NF_{SA} + 10\log_{10}(RBW) [dBm]

である(−174dBm/Hzは常温の熱雑音密度、NF_SAは測定器の雑音指数)。 RBW=1MHzでの床はRBW=1kHzより30dB高い。 −60dBcのスプリアスを探すのに床がそれより高ければ、「無いこと」は証明できない。 一方でRBWを狭くすると掃引時間が延びる。無理に速く掃くと表示が崩れる (自動設定はこれを守るが、手動で外すと壊れる)。 広範囲のスプリアス掃引が時間との戦いになるのは、この床と時間のトレードのせいである。

設定役割誤るとどうなるか
RBW周波数分解能と雑音床を決める広すぎ:裾がなまりOBW過大、床が上がり微弱スプリアスを見逃す。狭すぎ:掃引が非現実的に遅い
VBW表示の平滑化狭すぎると変調信号の電力を過小に表示することがある(目安 VBW≧RBW)
検波方式1画素に入る多数サンプルの代表値の取り方電力測定にピーク検波を使うと過大、雑音状信号にサンプル検波を使うとばらつく。電力はRMS検波
掃引時間1掃引の所要時間速すぎるとフィルタが応答しきれず振幅が下がって表示される
入力減衰ミキサ入力レベルの調整小さすぎると測定器歪み(偽スプリアス)、大きすぎると床上昇

5.6.7 空中線電力

空中線電力は、指定値に対する許容偏差(上限・下限)の中に収まることを示す。 測定自体は5.6.2項の構成で電力計またはスペクトラムアナライザにより行うが、要点は二つ。

  • どの面の電力か。規制上の空中線電力は送信機出力(給電線への供給点)で定義される。 結合器の挿入位置とC・Aの較正がそのまま確度になる
  • 何の電力か。搬送波電力か平均電力か、変調条件は何か。 定義は電波の型式によって決まっているので、指定に従う

不確かさの主因は測定器ではなく結合度・減衰量の較正である。 電力計の確度が0.1dBでも、結合器の較正が0.5dB狂っていれば結果は0.5dB狂う。 較正証明書の有効期限まで含めて、検査の前に揃えておくこと。

5.6.8 測定時に何を送信するか — 変調条件の設定

ここまで繰り返し現れたとおり、測定結果は送信条件に依存する。 測定計画の一部として、設備に「試験用送信モード」を要求しておく必要がある。

測定項目送信条件理由
周波数偏差無変調搬送波搬送波線スペクトルの周波数を直接読むため
占有帯域幅最悪ケースの変調+擬似ランダム系列OBWは変調諸元と系列の統計に依存する
帯域外発射同上裾は変調の産物である
スプリアス領域定格電力送信(変調有無は規定に従う)高調波・歪みは電力レベルに依存する
空中線電力型式ごとの規定条件定義が型式に紐づく

「擬似ランダム系列」が必要なのは、繰り返しの短いテストパターンでは スペクトルが線状になり、連続スペクトルとして測るべきOBWの前提が崩れるからである。 フライトソフトウェアに試験モードを入れるのは開発後期では難しい。 この要求は設計の初期に、通信系の要求として出す。ここが本章と機体設計の接点である。

5.6.9 成績書 — 測定は文書になって初めて完了する

測定成績書の骨格は、次の対応表がすべてである。

書くこと典型的な不備
測定項目規制上の名称で社内用語で書いて対応が取れない
規定値許容値とその根拠(条項・告示)根拠の版が古い
測定法規定の測定法と、測定器の設定(RBW・検波等)設定の記録漏れ — 再現できない測定になる
測定系系統図、結合度・減衰量の較正値と較正日較正の期限切れ
送信条件変調・データ系列・電力(5.6.8項)「定格運用状態」とだけ書いて特定できない
結果測定値と合否、スペクトルの記録数値のみで波形の証拠がない

強調したいのは再現性である。良い成績書とは、 「他人がこの書面だけを頼りに同じ測定をやり直して、同じ結果を得られる」ものである。 検査官が見るのも、調整相手(第5.5章)が信頼するのも、この再現性である。 そして数年後、運用中の異常(第5.8章)で「打上げ前はどうだったか」を確認する最後の拠り所も、 この成績書になる。測定は、書き残した分だけが資産である。

Q. OBWの計算値と測定値、どちらを申請書類に書くべきか
A. 段階による。設備がまだ無い申請段階では計算値(第3.5章の方法)を書き、 設備完成後の検査では測定値で示す。両者が食い違ったら測定が正だが、 大きく食い違う場合は測定条件(スパン不足・RBW過大・系列の周期性)をまず疑うこと。 正しい条件の測定と正しい計算は、よく一致するものである。
Q. スプリアスが許容値を超えていた。どうするか
A. まず5.6.2項の減衰器テストで測定器起源でないことを確認する。 実物のスプリアスなら、5.6.5項のリストで起源を同定する。 対策は起源で決まる:高調波なら出力フィルタ、局発漏れなら遮蔽と配置、 電源起因ならフィルタリング(『地上局工学』第4.3〜4.4章)。 検査直前に見つかると工程が壊れるので、開発中のEM/PFT段階で一度全域を掃いておくのが定石である。
Q. 探査機(人工衛星局)の測定はどの状態で行うのか
A. 地上で、実際に電波を放射しない構成(終端・結合器経由、または電波暗室)で行う(第5.3章)。 したがって「空中線電力」は送信機出力+給電系・アンテナ諸元の組合せで示すことになり、 放射としての最終確認は打上げ後の実通試験(第5.7章)に残る。 地上でどこまで測り、軌道上で何を確認するかの切り分けを、測定計画の冒頭に明記しておくこと。
Q. 測定器はどのグレードのものが要るのか
A. 要求から逆算する。周波数偏差なら外部基準同期ができること(確度は基準側で決まる)、 スプリアスなら対象周波数範囲と雑音床(許容値−10dBの床)、 OBWならRMS検波とOBW測定機能。 機種名から入らず、「許容値に対してどれだけの余裕で測れるか」の見積りから入ること。 それがそのまま測定不確かさの議論になり、成績書の説得力になる。
■ この章のまとめ
  • 許容値には測定条件が付随する。値だけ覚えて条件を落とすのが事故の型
  • 測定系は結合器+減衰器。C・Aの周波数ごとの較正が絶対値の根拠になる
  • 偽スプリアスは減衰器を10dB増やして10dB下がるかで判別する
  • 周波数偏差は局の基準に同期して無変調搬送波で測る。確度は基準側で決まる
  • OBWは99%電力の定義どおり積算される。スパン・RBW・検波方式・変調条件が読みを変える
  • スプリアスは領域で測り方が変わる。出るはずの周波数リストを設計から先に作る
  • 表示雑音床は 10·log₁₀(RBW) で動く。床が許容値より高ければ「無いこと」は証明できない
  • 電力測定の不確かさの主因は結合度の較正。較正証明書の期限まで管理する
  • 試験用送信モード(無変調・擬似ランダム変調)を設計初期に要求しておく
  • 成績書の価値は再現性。設定・系統・送信条件まで書き残した測定だけが資産になる
要確認(一次資料)。 本章は測定の考え方と落とし穴を扱った。規定値と規定測定法そのものは必ず一次資料から取ること。 ①周波数の許容偏差・占有周波数帯幅の許容値・スプリアス発射/不要発射の強度の許容値と、 その測定法を定める国内法令(無線設備規則および関係告示)の現行版。 ②帯域外領域とスプリアス領域の境界の定義(ITU-R SM系勧告および国内規定)。 ③空中線電力の定義(電波の型式ごと)と許容偏差。 ④検査における測定の実施方法(第5.3章の登録検査等事業者制度を含む)。 本文中の「±250%」「9kHz」等の数値は典型例として挙げたものであり、 適用される現行規定で必ず裏を取り、確認日を明記すること。付録C参照。

第5.7章打上げ後の実通試験と本免許発給

■ この章で学ぶこと
宇宙局は、打ち上げるまで実際の環境で電波を出せない。 このため検査は地上で、性能の最終確認は軌道上でという二段構えになる(第5.3章)。 軌道上での確認が実通試験 — 実際の通信によって、 申告どおりの電波が出ていることを確かめる作業である。 本章では、打上げ直後の免許状態の整理から始めて、 実通試験で何を測り、どう判定し、想定と違ったときに何をするかを追う。 この領域はまとまった資料が少なく、ミッションごとの個別対応の色が濃い。 だからこそ「何を確認すべきか」の骨格を持っておくことに価値がある。

5.7.1 なぜ実通試験が要るのか — 地上試験の限界

落成検査(第5.3章・第5.6章)を通った設備が、なぜもう一度試験されるのか。 地上では測れないものが残っているからである。

地上で測れたこと軌道上で初めて確かめられること
送信機出力(結合器経由)放射としてのEIRP(アンテナ展開・指向を含めた総合値)
周波数偏差(試験環境の温度で)実環境(熱真空・経年)での周波数、ドップラを除去した真値
スペクトル(有線系で)実リンクでのスペクトル、地上局受信でのマスク適合
BER(折り返し試験。『地上局工学』第6.7章)実リンクのマージン(予測との差)
他ミッション・地上業務との実干渉の有無

とくに一つ目が本質的である。探査機のアンテナは畳まれて打ち上がり、軌道上で展開する。 展開後のアンテナを含めた放射性能は、原理的に打上げ前には測定できない (音響・振動試験後の地上測定はあっても、それは展開機構込みの最終状態ではない)。 EIRPの実測が済んで初めて、ITUに申告した諸元・免許の指定事項と実体が揃ったことになる。

5.7.2 打上げ直後 — クリティカル運用と免許の時系列

打上げ 初期捕捉 定常運用へ クリティカル運用 機器チェックアウト・実通試験 結果整理・報告 地上:落成検査 済み 免許の発給・確定 ITU側:使用開始 → BRへ通知(7年の時計が止まる。第5.4章)
図5.7-1 打上げから免許確定までの時系列。 クリティカル運用 → チェックアウト → 実通試験 → 報告という運用側の流れと、 免許・ITU登録という手続側の流れが、この期間に合流する。 免許の状態がどの時点でどうなっているかは個別性が高く、事前に主管庁と確認しておく(5.7.5項)。

ここで一つ、運用と手続の緊張関係に触れておく。 打上げ直後のクリティカル運用(『宇宙機システムズエンジニアリング』第6.1章)では、 探査機の生存確認と姿勢確立が最優先であり、電波はその手段である。 「試験が済んでいないから電波を出さない」という選択肢は存在しない。 だからこそ、この期間の電波発射がどの許可状態の下で行われるのかを、 打上げ前に主管庁と整理し尽くしておく必要がある。 当日に解釈問題を持ち込まないこと。これが本章で最も実務的な注意である。

5.7.3 実通試験の項目 — 何を確認すれば「申告どおり」と言えるか

実通試験の設計は、申告・指定した諸元の一つ一つに、軌道上での確認手段を対応させる作業である。 骨格は次のようになる。

確認項目方法判定の考え方
周波数地上局で受信周波数を測り、ドップラ予測値を除去して機上発振周波数を推定許容偏差内か。地上試験値からの変化も見る
EIRP受信電力 P_r と距離・地上局G/Tからリンク式を逆算申告値との差。リンクバジェットの予測と実測の差で管理
スペクトル・OBW地上局のスペクトラムアナライザ/オープンループ記録(『地上局工学』第6.2章)マスク適合。地上測定のスペクトルとの相似
変調・符号化各運用モードで復調・復号し、フレーム同期とエラー率を確認全モードで規定のBER以下
コマンド系(上り)コマンド送信と機上での受理確認受理率。上りスイープによる捕捉特性
測距・測位系レンジング・ドップラ計測の成立(『電波航法と軌道決定』第2部)残差が軌道決定の要求内

EIRPの推定を式で書けば、受信側で

EIRP = P_r + L_{fs} + L_{atm} − G_r [dBW]

である(L_fs は自由空間損失、L_atm は大気損失、G_r は受信アンテナ利得)。 距離は軌道決定から高精度に分かるので L_fs の不確かさは小さく、 推定の確度は地上局側の較正(G/T、受信電力の絶対較正。『地上局工学』第3.5章)で決まる。 実通試験とは、探査機を測っているようで、実は地上局の較正能力を試されている作業でもある。

【周波数確認の実際 — ドップラの除去】 深宇宙機の視線速度は数十km/sに達し、X帯では数百kHzのドップラシフトを生む。 機上発振器の偏差(許容値はその何桁も下)を確認するには、 軌道決定の予測ドップラを受信周波数から引き算する。
残差が予測誤差より大きく系統的にずれていれば、それが機上周波数の偏差である。 この分離は軌道決定の精度が十分なら難しくないが、 初期軌道が粗い打上げ直後は精度が出ない。 周波数の最終確認は、軌道が確定する初期運用の後半に置くのが正しい。

5.7.4 地上局側の準備 — 試験は受ける側の仕事

実通試験の主役は地上局である。準備すべきものを列挙する。

  • 較正の最新化 — G/T・受信電力の絶対較正・周波数基準。試験の直前に較正しておく
  • スペクトル記録の手段 — 中間周波でのスペクトラムアナライザ接続、 またはオープンループ記録装置。後から解析し直せる生データを残す
  • 予測値の机上準備 — 各パスの距離・ドップラ・仰角から、 受信電力と受信周波数の予測テーブルを作っておく。実測との差が即座に判定材料になる
  • 判定基準の文書化 — 「予測±何dBなら合格」を試験前に決めておく。 測ってから基準を決めるのは検証ではない

5.7.5 報告と免許の確定

実通試験の結果は整理して報告し、免許の手続が確定する。 またITU側では使用開始をBRに通知し、7年期限の時計を止める(第5.4章)。 SFCG・調整相手に対しても、運用開始と実測諸元の共有を行う(第5.5章)。 三つの相手(国内・ITU・SFCG)への報告がここで揃う。

報告書の技術的な中身は、5.7.3項の表に実測値と判定を埋めたものである。 ここで第5.6章の主張がもう一度効く:測定条件まで書き残した報告だけが、 後年の異常時に「打上げ直後はこうだった」という基準線になる

5.7.6 想定と違ったとき

実通試験で申告値との乖離が見つかることは、実際にある。対応は乖離の種類で決まる。

乖離まず疑うこと乖離が実なら
受信電力が予測より低い地上局の較正、予測の間違い(利得・損失の重複計上)原因の切り分け(機上か伝搬か地上か)。リンクマージンの再評価と運用データレートの見直し
周波数のずれドップラ予測の誤差(軌道が粗い時期)偏差が許容内か確認。経年変化の傾向監視に載せる
スペクトルの異常(側帯波・非対称)地上局側の受信系歪み機上の電源系・増幅器の異常の可能性。運用モードを変えて相関を取る
特定モードだけ復調不能地上局設定(レート・符号化の設定違い)機上ソフトウェア・設定の確認。当該モードの使用回避と代替運用

共通する作法は「まず地上を疑う」である。 機上の異常は対処手段が限られるが、地上の較正ミス・設定ミスは頻度が高く、すぐ直せる。 疑う順序は、直せる順序に一致させるのが合理的である。 そして乖離が実であり指定事項との関係に及ぶ場合は、 気づいた時点で記録し、主管庁・調整相手と共有する(第5.2章のQ&A参照)。 技術的な不具合を手続上の不誠実に変えないこと。

5.7.7 引き継ぎ — 試験チームから運用チームへ

実通試験が終わると、体制は初期運用から定常運用に移る。 このとき渡すべきものは、報告書だけではない。

  • 基準線データ — 受信電力・周波数・スペクトルの初期値。以後の劣化監視の原点
  • 調整合意の運用制約(第5.5章) — 運用手順書に落とされた形で
  • 免許の指定事項と、その境界 — 何をすると指定から外れるのかの一覧
  • 異常時の連絡先と手順 — 干渉を受けた/与えた疑いのとき、誰に何を報告するか(第4.5章)

長期ミッションでは、打上げ時の担当者が運用後期にいない。 文書化されなかった了解事項は、人と一緒に失われる。 この引き継ぎの品質が、次章(運用フェーズの周波数管理)の成立条件である。

Q. 実通試験はどのくらいの期間かかるのか
A. ミッションの初期チェックアウト全体(数週間〜数か月)の中に組み込まれ、 通信系の試験自体は延べ数パス〜数十パスである。 ただし5.7.3項のとおり、周波数の最終確認は軌道確定後に置くなど順序の制約があり、 またクリティカル運用中は試験より運用が優先される。 「何パス必要か」より「どの順で、どの時期に置くか」が計画の実質である。
Q. 地上局を複数使う場合、実通試験は局ごとにやるのか
A. 探査機側の確認(周波数・EIRP・変調)は一局で足りるが、 局側の成立性(捕捉・追尾・復調・測距)は局ごとに確認する。 とくに海外局とのクロスサポート(『地上局工学』第7.5章)では、 互換性試験を打上げ前のRFコンパチビリティ試験で済ませ、 軌道上では短時間の成立確認に留めるのが定石である。
Q. 実通試験中の電波は「試験」だから緩く扱ってよいのか
A. 逆である。試験中であっても発射される電波は指定事項と国際登録の枠内になければならず、 調整合意(運用制約)も適用される。 むしろ試験期間は普段やらない運用モードを次々に試すため、 制約から外れる危険が定常運用より高い。 試験手順書の各ステップに、制約との照合を組み込んでおくこと。
Q. 申告EIRPより実測が高かった。性能が良いのだから問題ないのでは
A. 問題になりうる。干渉計算・PFD適合・調整合意はすべて申告値を前提に成立している。 「良すぎる」逸脱は、他者への影響という意味では「悪い」逸脱と同型である。 乖離の量が申告の幅(第5.1章)に収まるかを確認し、 収まらなければ主管庁・調整相手との情報更新を行うこと。
■ この章のまとめ
  • 宇宙局は検査は地上・最終確認は軌道上の二段構え。実通試験がその後段を担う
  • 地上で原理的に測れないのは展開後アンテナ込みのEIRPと実リンクのマージン
  • 打上げ直後の電波発射がどの許可状態で行われるかは、打上げ前に主管庁と整理し尽くす
  • 試験設計は申告諸元の一つ一つに軌道上の確認手段を対応させること
  • 周波数確認はドップラ予測の除去が本体。軌道が確定してから行う
  • EIRP推定の確度は地上局の較正で決まる。試験されているのは地上局でもある
  • 判定基準は測る前に文書化する。予測テーブルを持ってパスに臨む
  • 乖離が出たらまず地上を疑う。直せる順に疑うのが合理的
  • 試験完了で国内・ITU(使用開始通知)・SFCGへの報告が揃う
  • 基準線データと運用制約の引き継ぎまで含めて実通試験である。文書化されない了解は人と共に失われる
要確認(一次資料)。 宇宙局(人工衛星局)に対する検査・免許発給の時系列と、打上げ直後の電波発射の法的整理は 個別性が極めて高い。本章は確認すべき項目の骨格を示したものであり、 自ミッションの具体的な手続は、必ず主管庁(総務省)との事前相談の結果に拠ること。 ①打上げ前後の免許状態の時系列(予備免許・免許のどの段階で打上げを迎えるか)。 ②実通試験の結果として何を報告するかの範囲。 ③ITUへの使用開始通知の手続と時期(第5.4章、RR Article 11)。 ④クロスサポート局を使う場合の相手国側の手続。 過去の同種ミッションの実例を確認するのが最も確実である。付録C参照。

第5.8章運用フェーズの周波数管理

■ この章で学ぶこと
免許が出て、MIFRに記載されて、周波数の仕事は終わり — ではない。 運用フェーズには運用フェーズの周波数管理があり、 しかも深宇宙ミッションは運用が10年、20年と続くことが珍しくない。 その間に担当者は入れ替わり、規制は改正され、周囲のミッションは増える。 本章では、運用中に発生する周波数関連業務を定常業務・変更対応・緊急対応・終了処理の 四つに分類し、それぞれの型を示す。 鍵になるのは、打上げまでの手続(第5.1〜5.7章)で作った資産 — 諸元表・成績書・基準線データ・調整合意の文書 — を生かし続ける仕組みである。

5.8.1 運用中の業務の全体像

運用開始 運用終了 定常(周期業務) 監視・報告・再免許・SFCG年次対応・規制改正の追跡 変更(不定期) 運用モード変更・延長ミッション・新地上局の追加 など 緊急(突発) 干渉事象・機上異常・セーフモード 終了処理
図5.8-1 運用フェーズの周波数管理業務の四分類。 定常業務は細く長く続き、変更と緊急が不定期に割り込む。 最後に終了処理がある。四つは要求される速度が違う — 定常は年単位、変更は月単位、緊急は時間単位で動く。

5.8.2 定常業務 — 細く長く、しかし絶やさない

業務周期中身
電波品質の監視常時〜パスごと受信電力・周波数・スペクトルを基準線(第5.7章)と比較。劣化の傾向監視
再免許免許の有効期間ごと期限管理と申請。延長運用の判断より前に準備が要る(第5.3章)
SFCG対応年次運用状況の共有、新規ミッションとの調整への応答(第5.5章)
規制改正の追跡WRC周期(3〜4年)ほかRR・勧告・国内法令の改正が自局に及ぶか確認(付録C)
局側の維持定期地上局側の定期検査・較正の維持(『地上局工学』第7.2章)

この表で見落とされやすいのは規制改正の追跡である。 免許取得時に適合していた規制は、WRCや国内改正で変わりうる。 既存局には経過措置が置かれるのが通例だが、 「置かれるのが通例」と「自局に適用される」は別の話である。 本書冒頭で述べた「本書は内容が改正される」という性質は、 ミッションの側から見れば「適合性は一度きりの証明ではなく、維持し続ける状態」だということである。

■ 原則
周波数管理の定常業務を「担当者の記憶」で回さない。 再免許の期限、SFCGの提出期限、較正の期限、経過措置の期限 — 運用フェーズの事故はほぼすべて期限の失念である。 期限の一覧表を作り、ミッションの運用計画とは独立の時計として管理する。 10年後の担当者が最初に開く文書が、この一覧表になるように作ること。

5.8.3 変更対応 — 延長ミッションという定番

運用中の変更で最も多いのは、ミッション延長に伴うものである。 深宇宙ミッションは主目的の達成後に延長運用へ移ることが多く、 このとき周波数側で確認すべきことが揃って発生する。

  1. 免許の有効期間 — 延長判断より先に期限が来ないか(第5.3章)
  2. 運用の変化 — 延長ミッションでは軌道・対象天体・運用モードが変わることがある。 申告した包絡(第5.1章の「幅」)に収まっているか
  3. 調整合意の前提 — 「主ミッション期間中は…」という形の合意は、延長で前提が変わる。 相手のミッション側も状況が変わっているので、合意の棚卸しを行う
  4. 地上局の変更 — 延長運用は低コスト運用への移行を伴いやすく、 使う局が変わる。通信の相手方の変更手続(第5.3章のQ&A)を忘れない

新しい運用モードの追加(例:これまで使っていなかった高レートモードの使用開始)は、 技術的には既存設備の範囲内でも、 OBW・スペクトルが申告値の範囲に収まるかの確認を通してから使う。 第5.6章の成績書があれば、この確認は机上で済むことが多い。 資産が仕事を軽くする実例である。

5.8.4 緊急対応 — 干渉と機上異常

緊急対応は二方向ある。受ける側与える側である。

干渉を受けたときの枠組みは第4.5章で扱った。運用フェーズの観点で足すべきは、 切り分けの起点が基準線データだという点である。 「いつもと違う」を言うには「いつも」の定量的な記録が要る。 パスごとの受信品質の記録が、そのまま干渉検出器になる。

与える側になりうるとき — 機上異常がこれに当たる。典型は次の二つである。

  • セーフモード転移 — 探査機が自律的に非常時構成へ移り、 低利得アンテナ・ビーコンモードなど普段と違う電波の出し方になる。 これは異常運用ではなく設計された動作なので、 セーフモードの電波が申告・指定の範囲に入っていることを設計段階で確認しておく
  • 送信系の故障 — 変調の停止(無変調搬送波の垂れ流し)、スプリアスの発生、 指令に応答しない送信継続など。 この場合は影響を受けうる相手への通報と、主管庁への報告が必要になる。 「止められない送信機」は他ミッションから見れば移動する干渉源である
【止められない送信機という事態】 コマンド受信系が死に、送信機が点いたままの探査機を考える。 自分のミッションはすでに救えないとしても、周波数管理の仕事は終わらない。 その電波は他のミッションの受信を妨げうるからである。
やるべきことは:軌道と周波数から影響範囲を予測して公表すること、 SFCGの場で関係機関に周知すること、可能なら停波の手段を探ること。 ミッション終了後の探査機が深宇宙帯域で発信し続ける事例は実際にあり、 「死んだミッションの電波」への対応はコミュニティ全体の課題である(第6.4章)。 自局がその発生源にならないために、停波手段の冗長性は設計段階の周波数要求と心得ること。

5.8.5 終了処理 — 停波・廃止・登録の整理

ミッションの終わりにも手続がある。順序として整理する。

  1. 停波の実施と確認 — 探査機の送信を止め、地上局で停波を確認する。 運用終了処置(パッシベーション)の一部として計画に組み込む
  2. 国内:廃止の手続 — 無線局の廃止(第5.3章)。地上局を他ミッションで使い続けるなら、 廃止ではなく変更(相手方の削除)になる
  3. ITU:登録の整理 — 使用を終えた割当ての扱いを主管庁と整理する。 使っていない登録を残すことは、帯域を空押さえすることであり、 有限資源の観点からコミュニティに対する不作為になる
  4. SFCG・調整相手への通知 — 自局の終了で、相手側の運用制約(時間分割の合意など)は解除される。 それを知らせるのも調整の一部である
  5. 記録の保存 — 成績書・基準線・干渉事象の記録は、後続ミッションの設計資料になる

最後の項目は組織の資産の話である。第6.1章(事例研究)で見るとおり、 周波数調整の実例は文書として残りにくく、 残された記録の量が、その組織の次のミッションの速度を決める。 終了処理は、次のミッションの開始処理でもある。

Q. 運用中、周波数担当としてどのくらいの工数が要るのか
A. 定常時は小さい(監視は運用の一部として自動化でき、年次対応は数回のイベント)。 ただしゼロにはできず、ゼロにした瞬間から期限の失念が始まる。 実務的な解は、専任者を置くことではなく、 期限一覧と手順を文書化した上で役割として明示的に割り当てることである。 「誰の仕事でもない」状態が最も危険である。
Q. 延長運用の判断が出る前に免許の期限が来てしまう
A. だから再免許の準備は延長判断と切り離して先に始める(5.8.2項)。 再免許して短期間で廃止することのコストは小さいが、 免許が切れた状態で延長が決まったときのコストは大きい。 非対称なリスクは、安い側に倒しておくのが定石である。
Q. 20年物のミッションで、当時の担当者が誰もいない。何から手を付けるか
A. 現状の確定から始める。①免許状と指定事項、②ITU登録の状態、 ③有効な調整合意の一覧、④直近の基準線データ。この四つが揃えば現在地が分かる。 揃わないものがあれば、それ自体が最優先の是正項目である。 第5.3章の「諸元表の一本化」を、運用中期からでも作る価値はある。 資産の再構築は、事故が起きる前しかできない。
Q. 探査機を意図的に天体へ衝突させて終える場合、停波はどうするのか
A. 衝突・大気圏突入で物理的に送信が終わるとしても、 計画された終了である以上、停波の時刻と確認方法を終了計画に明記するのが筋である。 最後のパスの受信記録が、停波(=使用終了)の証拠になる。 その記録をもって国内・ITU側の手続(5.8.5項)に進む。
■ この章のまとめ
  • 運用中の業務は定常・変更・緊急・終了の四分類。要求される速度が違う
  • 適合性は一度きりの証明ではなく維持し続ける状態。規制改正の追跡も定常業務
  • 運用フェーズの事故はほぼ期限の失念。期限一覧を独立の時計として管理する
  • 延長ミッションでは免許期限・申告包絡・調整合意の前提・使用局の四点を棚卸しする
  • 干渉検出の起点は基準線データ。「いつもと違う」には「いつも」の記録が要る
  • セーフモードの電波も申告の範囲内に設計しておく。異常時こそ指定事項が試される
  • 止められない送信機は他者への干渉源。停波手段の冗長性は周波数要求である
  • 終了処理は停波確認 → 国内廃止 → ITU登録整理 → 調整相手への通知 → 記録保存
  • 使わない登録を残すのは帯域の空押さえ。返すことまでが周波数管理
  • 残された記録の量が、次のミッションの速度を決める
要確認(一次資料)。 ①免許の有効期間と再免許申請の時期の規定(第5.3章と同じく電波法関係法令の現行版)。 ②既存局に対する規制改正の経過措置は、改正ごとに個別に定められる — 該当の改正告示を直接確認すること。 ③ITU登録の抹消・変更の手続(RR Article 11の該当条項)。 ④運用終了処置(パッシベーション)に関する要求はスペースデブリ低減の枠組み (IADCガイドライン・各国規則)に定めがあり、停波はその一部として扱われる — 現行版を確認すること。 付録C参照。

第5.9章文書の書き方 — 何を書くと通るか

■ この章で学ぶこと
第5部の締めとして、これまでの章に繰り返し登場した文書そのものを主題にする。 申請書・工事設計・ITU提出資料・SFCG資料・干渉解析書・測定成績書 — 周波数の仕事の成果物は、最終的にすべて文書である。 そして差し戻しの大半は技術の誤りではなく書き方の不備で起きる(第5.3章)。 本章では、審査する側・調整相手側が何を見ているかを書く側の言葉で説明し、 スペクトル・干渉解析という二大頻出項目の書き方の型を示す。 良い文書の条件は一貫していて、「読む側が自分で検算できること」である。

5.9.1 審査側は何を見ているか

審査・調整の相手は、あなたの設計の良し悪しを評価しているのではない。 確認しているのは次の三点である。

  • 完全性 — 判定に必要な情報が全部あるか。欠けていれば、審査は止まり照会になる
  • 整合性 — 文書内・文書間で数字が一致しているか。 一箇所でも矛盾があれば、全体の信頼性が失われる
  • 追跡可能性 — 各数値の出所(設計値か、計算値か、実測値か、規格値か)が分かるか

三つに共通するのは、審査側は内容を「信じる」のではなく「検証する」という立場である。 したがって書く側の仕事は、検証の手間を最小にすることに尽きる。 逆に言えば、検証できない書き方 — 出所不明の数値、途中を飛ばした計算、 前提の書かれていない解析 — が差し戻しの正体である。

■ 原則
数値には必ず「素性」を付ける。 同じ「EIRP 65.2 dBW」でも、設計値(余裕を含む上限)か、 公称値(代表的な運用点)か、実測値(測定条件つき)かで意味がまったく違う。 素性の欄がない諸元表は、書いた本人以外には使えない。 そして第5.3章で述べたとおり、その諸元表を一本化して全文書の親にする。 文書間の不整合は、親が二人以上いるときに生まれる。

5.9.2 スペクトル特性の書き方

最頻出の技術記述はスペクトルである。申請・ITU・SFCGのいずれでも要求される。 書くべき要素は決まっている。

要素書き方典型的な不備
変調の諸元方式・変調指数・シンボルレート・符号化・フィルタリングを一意に再現できる粒度「BPSK」とだけ書く(レートも整形も不明)
スペクトルの図計算または実測のPSD。縦軸の基準(dBc か dBW/Hz か)と分解能を明記軸の定義がない図
マスクとの重ね描き適用マスク(第3.4〜3.5章)を同じ軸で重ね、余裕を数値で示す「適合している」とだけ書いて図がない
OBW・必要帯域幅計算値(方法つき)と、あれば実測値(条件つき。第5.6章)計算方法が書かれていない
運用モードの網羅スペクトルが変わる全モードについて上記を示す(最悪ケースを明示)代表1モードだけ示して他を省く

最後の行が実務の急所である。深宇宙機は複数のデータレート・複数の変調構成を持つ。 審査側が知りたいのは「最も帯域を使うモードでも収まるか」であり、 どれが最悪ケースかの特定と、その根拠(レートが最大だから、変調指数が最大だから)を 書き手が示す必要がある。最悪ケースの特定を読み手にやらせる文書は、照会が返ってくる。

5.9.3 干渉解析の書き方

第4部で計算した干渉解析を文書にするときの型を示す。 構成は前提 → 幾何 → 計算 → 結果 → 感度の五段が標準である。

  1. 前提 — 両局の諸元(出所つき)、適用する保護基準(勧告番号と版)、解析の範囲
  2. 幾何 — 位置関係、角度分離、発生頻度。最悪幾何をどう選んだかを明示
  3. 計算 — リンク式の各項を表で。読み手が電卓で追える粒度にする
  4. 結果 — I/N(またはΔT/T)と基準値の比較。余裕をdBで明記
  5. 感度 — どの前提が結果を支配するか。前提が±3dB動いたら結論は変わるか

五段目の感度は省かれがちだが、調整(第5.5章)では最も価値がある。 相手との協議は結局「前提の妥当性」を巡って行われるので、 どの前提なら争う価値があり、どの前提は結論に効かないかを自分から示しておくと、 協議は速くなる。全項目を等しく守る文書より、急所を明示した文書のほうが強い。

【「読み手が電卓で追える」の具体形】 悪い例:「解析の結果、I/N = −12.3 dB となり基準を満たす。」
良い例:送信EIRP(+18.0 dBW) − 自由空間損失(267.3 dB) − 偏波不整合(3.0 dB) + 受信利得(オフアクシス角12°で−4.2 dBi) − … のように各項を出所つきの表にし、 合計がI(−…dBW)、雑音がN(−…dBW)、差がI/N(−12.3 dB)、基準(−10 dB)に対する余裕(2.3 dB)まで並べる。
読み手は表を上から足すだけで検算できる。検算できた瞬間に、文書への信頼は跳ね上がる。 これは第4.1章の計算をそのまま表の形式にしたものであり、追加の作業はほとんどない。

5.9.4 差し戻しの類型 — 回避の対応表

第5.3章の表を、文書一般に広げて再掲する。この五つでほぼ尽きる。

差し戻し理由根本原因回避
文書間の数値不整合親文書がない・更新の非同期諸元表の一本化(第5.3章)。文書に諸元表の版番号を記す
数値の素性不明設計値・実測値・規格値の混在すべての数値に素性欄(5.9.1項)
計算が追えない途中を省いた・方法を書かない五段構成、各項の表化(5.9.3項)
網羅の欠落運用モード・周波数・局の一部だけ記述対象の全列挙を文書冒頭に置き、各項との対応を示す
根拠の版が古い規制・勧告の改正の見落とし引用に版・日付を必ず付す(本書の「要確認」の流儀)。提出前に現行版を照合

いずれも技術力の問題ではなく、文書を作る工程の設計の問題である。 つまり一度仕組みを作れば再発しない。 差し戻されたら、その文書を直すだけでなく、同じ型の不備が他の文書にもないかを掃くこと。 差し戻しは工程の欠陥を教えてくれる無料の監査である。

5.9.5 社内レビューの通し方

提出前の社内レビューは、審査の予行である。効かせるための要点は三つ。

  • 検算役を置く — 内容を知らない技術者に、文書だけを渡して数値を追ってもらう。 「読み手が検算できるか」は、実際に検算させるのが唯一の試験である
  • 整合チェックを機械化する — 諸元表と各文書の数値照合は、目視でなく差分で行う。 諸元表から文書の表を生成する仕組み(第5.3章)があれば、この工程自体が消える
  • 提出先の視点を割り当てる — 「総務省の審査官として読む」「調整相手の機関として読む」 という役を明示的に振る。同じ文書でも、見るところが違う(国内審査は法令適合、 調整相手は自分への影響と前提の妥当性)

5.9.6 文書テンプレート — 周波数計画書の骨格

最後に、これまでの全部を一つに束ねる文書 — ミッションの周波数計画書 — の骨格を示す。 これは対外提出物そのものではなく、全提出物の親になる社内文書である。 付録Aの総合演習は、この骨格を実際に埋める課題になっている。

内容本書の対応
1. ミッション概要目的・軌道・期間・運用の概略
2. 周波数選定帯域の選択とその根拠(他帯域を退けた理由まで)第2部
3. 諸元表親となる一本。素性・版管理つき第5.3章・5.9.1項
4. 適合性マスク・PFD・保護基準への適合の定量的根拠第3部
5. 干渉解析五段構成で、対象ミッション・業務ごとに第4部・5.9.3項
6. 手続計画逆算ガント、期限一覧、担当割り第5.1章・5.8章
7. 測定計画試験モード要求、測定系、成績書の様式第5.6章
8. 運用制約調整合意から翻訳された運用要求の一覧第5.5章
9. 記録提出履歴、照会と回答、合意文書の索引第5.8章

この一冊が維持されていれば、対外文書はすべてここからの抜粋と整形で作れる。 逆にこれがないと、提出のたびに各所から数字を集め直すことになり、 そのたびに不整合の機会が生まれる。 周波数計画書は文書というより、ミッションの周波数に関する唯一の情報源(single source of truth)である。

Q. 文書は日本語と英語のどちらで作るのか
A. 提出先で決まる。国内手続は日本語、ITU・SFCG・調整相手には英語(ITUの公用語のうち実務は英語が支配的)である。 つまり主要な技術内容は必ず二言語になる。 翻訳の食い違いは不整合の温床なので、諸元表など数値の部分は言語非依存の表形式にし、 翻訳対象を散文の部分に限定するのが定石である。
Q. どこまで詳しく書くべきか。書きすぎの害はあるか
A. ある。申告した内容はすべて拘束になる(第5.1章の包絡の議論)。 判定に必要な情報は完全に、判定に不要な設計詳細は書かない、が原則である。 「念のため全部書く」は誠実に見えて、将来の設計変更のたびに 修正提出を増やすだけの結果になる。完全性と最小性は両立する
Q. 差し戻しへの回答はどう書くか
A. 指摘の引用 → 回答 → 文書のどこをどう直したか、の三点セットで、指摘ごとに書く。 直さなかった指摘には、直さない理由を技術的に述べる。 最悪の回答は「修正版を送ります」だけで差分を示さないものである。 審査側に全文再読を強いる回答は、二度目の照会を招く。
Q. 生成AIに書かせてよいか
A. 下書き・整形・翻訳の道具としては有効である。ただし本章の観点から言えば、 問われているのは数値の素性と整合性であり、それは道具ではなく工程で保証するものである。 諸元表との照合・現行版の確認・検算役のレビュー(5.9.5項)を通らない文書は、 誰が書いても提出に値しない。責任の所在も変わらない。
■ この章のまとめ
  • 審査側は完全性・整合性・追跡可能性を検証する。信じるのではなく検証する
  • 良い文書の条件は読む側が自分で検算できること
  • すべての数値に素性(設計値/公称値/実測値/規格値)を付ける
  • スペクトル記述は変調諸元の一意な再現性全運用モードの網羅(最悪ケース明示)
  • 干渉解析は前提→幾何→計算→結果→感度の五段。感度の明示が協議を速くする
  • 差し戻しの五類型は不整合・素性不明・計算が追えない・網羅欠落・版が古い — すべて工程で潰せる
  • 社内レビューは検算役・機械照合・提出先視点の割り当てで効かせる
  • 周波数計画書を親文書として維持し、対外文書はそこからの抜粋で作る
  • 申告は拘束になる。完全かつ最小に書く
要確認(一次資料)。 ①国内申請様式の現行版(電波法関係の申請書式は改正される)。 ②ITU提出の電子様式と記載要領の現行版(BRの現行ツールの仕様)。 ③SFCG提出文書の現行様式(第5.5章)。 ④引用する勧告・法令の版は提出直前に照合する — 本章の差し戻し第5類型そのものである。 付録C参照。
第 VI 部 事例と将来
混雑する月・火星圏、光通信という別世界、そしてこれから来る課題。

第6.1章事例研究 — 深宇宙ミッションの周波数調整

■ この章で学ぶこと
第6部は事例と将来である。本章では、本書の全章を一つの物語として通す: あるミッションで周波数がどう決まり、どこで揉め、どう解決されたか。 なお実在ミッションの調整経緯には非公開情報が含まれるため、 本章の事例は、複数の実ミッションに共通する経緯を再構成した教材用の合成事例である (個別の実例を引くときは公開情報の範囲で行うこと — 章末の要確認)。 合成であっても、起きる事象・判断の分岐・失敗の型は現実のものである。 各段落の括弧内に本書の該当章を示すので、総復習として読んでほしい。

6.1.1 設定 — 火星周回科学ミッション「M計画」

項目内容
ミッション火星周回の科学観測(高解像度観測装置搭載)+小型着陸実証機
打上げ年度Y(計画確定はY−8年)
データ量観測ピーク時 平均20 Mbps相当のダウンリンク需要
運用局国内深宇宙局を主、海外局のクロスサポートを従

6.1.2 帯域選択(Y−8〜Y−7年)

データ量20 Mbps級はX帯単独の共用実態(第2.3章:1機あたり数〜数十Mbps)では際どい。 トレード(第2.5章)の結果はX+Kaデュアル: TT&C・航法・緊急系をX帯、観測データをKa帯下りに置く。 着陸実証機はUHF近接リンクで周回機に中継(第1.4章の分類でいう第三の枠組み)。 この時点で判明した制約が二つ: 主運用局のKa帯受信対応がY−2年完成予定の改修待ちであること(第2.5章:局が支配項)、 クロスサポート予定の海外局はKa帯非対応であること。 後者から「Ka帯は主局が使えるときのボーナス、成立性はX帯で確保」という設計方針が固まった。

6.1.3 国際調整(Y−7〜Y−3年)— 揉めた点は二つ

Y−7年にAPI提出(第5.4章)。SFCGへの計画提出(第5.5章)も同年に行い、ここから調整が始まる。

【揉め事①:X帯チャネルの席がない】 Y−6年時点の火星圏チャネル表(第4.2章)には、運用中・計画中の機体が並び、 M計画の希望チャネル(帯域中央付近・占有3 MHz)は他機関の計画機と重なった。
経過:両機関で相互I/N計算の前提を揃え(第5.5章)、 ①相手機は近火点中継で受信電力が20 dB強いこと、 ②M計画側のクリティカルイベント(火星軌道投入)と相手の高レート運用期間が重なること、が判明。
解決:チャネルを2.5 MHz離す(マスクの裾で所要間隔を計算 — 第4.2章の例と同型)+ 軌道投入前後2週間の運用時間調整の合意。周波数分離と時間分離の併用という教科書どおりの結末だが、 合意成立はY−4年 — 丸2年かかっている。SFCG会合が年1回である以上、 「計算→会合→持ち帰り→再計算→次の会合」で最短でも2会合を要するのが実態である(第5.1章の律速)。
【揉め事②:Ka帯チャネルとRAS保護帯域】 Ka帯は空いていた(第2.4章)が、M計画が希望した下端寄りのチャネルは、 帯域外放射が31.3-31.8 GHz(第4.4章)に落ちる余裕が2 dBしかないと判明 (増幅器の再成長込みのPSD解析 — 第3.5章)。
解決:チャネルを帯域中央側へ80 MHz移動。Ka帯の空きが救いになった。 教訓:「空いている帯域」でも端は空いていない(第2.3章Q&Aと同じ構図)。

6.1.4 国内手続(Y−3〜Y年)— 事故は書類で起きた

Y−3年に予備免許申請(第5.3章)。ここで差し戻しが一件: 申請書の占有帯域幅の値が、ITUに届け出た値と食い違っていた。 原因は典型そのもの — 設計変更(符号化率の変更でOBWが微増)が ITU側の書類にだけ反映され、国内申請の元データが古い諸元表を参照していた (第5.3章:書類間の不整合、第5.9章:差し戻し第1類型)。 是正として諸元表の一本化と版管理を導入。以後の変更(3件)は無事故で通った。 Y−1年に設備測定(第5.6章)— 事前測定で3倍波のスプリアスが許容値+1 dBと判明し、 検査前に出力フィルタを改修して合格。「検査で初めて測る」を避けたことが効いた実例である。

6.1.5 運用開始後(Y〜)— 二つの事象

  • 実通試験でKa帯受信電力が予測より1.8 dB低い(第5.7章)。 切り分けの結果、地上局のKa帯較正(改修直後でG/T較正が未成熟)と、 探査機アンテナの指向バイアスの合算と判明。どちらも較正で回収し、リンク予算を更新した
  • 運用2年目、X帯下りに周期的なSNR劣化(第4.5章)。 残差記録から地方時相関を検出 → 外来 → 方位依存から局近傍の新設地上設備を特定。 主管庁ルートで是正(第4.5.4項)。干渉等高線と残差の常時記録(第4.3章・第4.5章)が 整備済みだったため、検出から特定まで3週間で済んだ

6.1.6 振り返り — 何が効いたか

効いたものなぜ効いたか本書の該当
早いAPI・早いSFCG提出揉め事①に2年使えた。遅ければ打上げを圧迫した第5.1章・第5.5章
X帯で成立性を閉じた設計方針Ka帯・海外局の不確実性がミッション成立性に波及しなかった第2.5章
諸元表の一本化(事故後)以後の変更3件が無事故第5.3章・第5.9章
事前測定と再成長込みのPSD解析スプリアス・マスクの問題を検査前・調整前に発見第3.5章・第5.6章
基準線と等高線の平時整備干渉事象の特定が3週間で済んだ第4.3章・第4.5章

逆に、反省点として残ったのは: ①最初の諸元表管理の甘さ(差し戻し1件ぶんの時間損失)、 ②Ka帯チャネルの初期希望を端に置いたこと(解析前に置き場の相場観がなかった)、 ③着陸実証機のUHF近接リンクの調整開始が遅れたこと — 「地球リンクの調整」に意識が集中し、第三の枠組み(第6.2章)が視野から抜けていた。 三つとも技術力の問題ではなく、視野と工程管理の問題である。 本書が工程(第5.1章)と文書(第5.9章)に紙幅を割いた理由が、この事例に集約されている。

Q. 合成事例では、本当の「生々しさ」が抜けているのでは?
A. 抜けているのは固有名詞と感情であって、事象の型ではない。 むしろ実例は偶然の細部が多すぎて、何が本質だったかが見えにくい。 章末演習(自分の関わったミッションで同じ時系列を書き起こす)が本章の本体であり、 合成事例はその書き起こしのテンプレートとして使ってほしい。 6.1.2〜6.1.6の見出し構成のまま自分の事例を埋めれば、組織の資産(第5.8章)が一つ増える。
Q. 2年かかった調整を短縮する方法は本当にないのか
A. 会合の周期は縮まないが、会合間の二者間協議で実質合意まで持ち込み、 会合を「確認の場」にすることはできる(第5.5章:合意は会合の外で作られる)。 M計画の2年には、初回の計算前提の不一致(往復1年)が含まれており、 最初から前提表を交換していれば1会合ぶん短かった可能性が高い。 短縮の余地は手続きではなく、技術コミュニケーションの初動にある。
■ この章のまとめ
  • 帯域選択:成立性はX帯で閉じ、Ka帯は上積みとする方針が不確実性を遮断した
  • 国際調整:チャネル衝突は周波数分離+時間分離の併用で解決。ただし2年かかった
  • 「空いているKa帯」でも端は空いていない(RAS隣接の余裕2 dB)
  • 国内手続の事故は書類間の不整合という定番。諸元表の一本化で再発ゼロ
  • 事前測定が検査前にスプリアスを捕まえ、基準線・等高線の平時整備が干渉特定を3週間にした
  • 反省点は技術でなく視野と工程管理(近接リンクの調整遅れ、初期の相場観不足)
  • 本章の見出し構成を自分の事例の書き起こしテンプレートとして使う
要確認(一次資料)。 本章は教材用の合成事例であり、特定の実在ミッションの経緯ではない。 実在ミッションの事例を文書・発表で引く場合は、 ①公開情報(機関の公表資料・学会発表・SFCG公開文書)の範囲に限ること、 ②非公開の調整経緯・二者間協議の内容を含めないこと、 ③引用元と確認日を明記すること。組織内の振り返り文書(章末演習)は公開の要件がない分、 率直に書けるし書くべきである — 公開版と内部版を分けて管理するのがよい。

第6.2章混雑する月・火星圏 — LunaNetと周波数計画

■ この章で学ぶこと
本書の枠組みが今まさに試されている現場 — 月圏 — を扱う。 月は近地球(第1.4章:38万kmは2×10⁶ km未満)なので深宇宙帯域の静けさの外にあり、 そこへ各国の政府・商業ミッションが同時多発的に向かっている。 「同一天体圏に多数の機体」という第4.2章の幾何が、 深宇宙より二桁多い機体数で、しかも当事者の多様化(第3.3章Q&A)を伴って起きる。 これに対する回答として作られつつあるのが、LunaNetに代表される 相互運用アーキテクチャと、その一部としての周波数計画である。 火星圏は同じ問題の小規模・先行形であり、月で作られる秩序の先行例と受益者の両方である。

6.2.1 月圏で何が起きているか — 数の暴力

深宇宙の秩序(第3.3章)は「当事者が少数の機関で、全員が顔見知り」という前提で回ってきた。 月圏ではこの前提が三つとも崩れる。

前提(深宇宙)月圏の現実帰結
年に数機年に十数〜数十機(着陸機・周回機・輸送機)チャネル表(第4.2章)が席数不足に
当事者は宇宙機関商業事業者・新興国機関が多数参入SFCG的な相互性の力学が薄まる
運用は個別ミッション恒常インフラ(通信・航法サービス)が前提に「ミッションごとの調整」から「周波数のインフラ計画」

使える帯域は近地球側の割当(S帯、26 GHz帯下り等 — 第2.1章)に、 月近傍・月面用として整理されつつある帯域を加えたものであり、 機体数の伸びに対して帯域の伸びはない(第2.1章:帯域は増えない前提)。 月圏の1機あたり取り分の試算(章末演習)は、 X帯下り50 MHzを十数機で割った深宇宙(第2.3章)より厳しい数字になる。

6.2.2 LunaNet — 相互運用という解

LunaNetは、月圏の通信・航法を相互運用可能なサービス網として構築する枠組み (NASA主導、各機関が相互運用仕様LNISに参加)である。 周波数の観点から見ると、その本質は「各ミッションが個別に回線とチャネルを持つ」モデルからの転換にある。

  • 中継・サービス化 — 月面機は近接リンクで中継衛星・基地局につなぎ、 対地球リンクはサービス提供者が集約する。対地球チャネルの本数が機体数から切り離される
  • 周波数計画の事前配分 — 近接リンク・中継リンク・対地球リンクの帯域を 用途別に区画する周波数計画(SFCGの勧告類 — 第3.3章の「空白地帯に最初の秩序」)が先行整備される。 ミッションは調整で席を探すのではなく、計画表の該当区画を使う
  • 航法サービスとの一体化 — 月測位(LunaNet の航法信号)にも帯域が要る。 通信と航法が同じ計画表の中で配分される
■ 意味の転換
深宇宙の周波数調整が「外交」(ミッション間の個別合意 — 第5.5章)だとすれば、 月圏で構築されつつあるのは「都市計画」(用途地域の事前指定)である。 都市計画型の利点は、参入者が増えても調整コストが発散しないこと。 代償は柔軟性 — 計画に合わない特殊ミッションの席がなくなること、 そして計画策定に参加しなかった者の要求は反映されないことである。 いま月ミッションを構想する組織にとって、LNIS類への追随は 「標準を使うと楽」を超えて「計画に乗らないと席がない」に近づきつつある。

6.2.3 火星圏 — 先行して起きていた同じ問題

火星圏は月圏より機体数が一桁少ないが、同じ構造の問題を20年早く経験してきた: 着陸機はUHF近接リンクで周回機に中継し(プロキシミティリンクの標準 — CCSDS Proximity-1)、 周回機が対地球リンクを集約する。中継アーキテクチャと近接リンク標準化は、 火星で実証されて月に輸出されたと言ってよい。 火星圏の現在の課題は第4.2章で見たチャネル逼迫の管理と、 サンプルリターン・有人前哨のような大規模計画が要求する帯域の確保である。 月圏で整備される計画手法(用途区画・サービス化)は、 機体数が増えた将来の火星圏にそのまま戻ってくる。

6.2.4 商業参入がもたらす変化

第3.3章のQ&Aで保留した問いに、ここで正面から答える。 商業事業者の参入は周波数秩序に三つの変化をもたらす。

  1. 調整当事者の増加と匿名化 — 相互性(第3.3章)は「次も会う相手」にしか働かない。 単発参入の事業者には、規範の遵守を担保する繰り返しゲームの構造がない。 対応として、主管庁の免許条件(第5.2章)とサービス調達契約に規範を織り込む方向が現実的になる — 紳士協定から契約・免許条件への移行である
  2. 速度の要求 — 商業の計画サイクル(数年)は、伝統的な調整の時間感覚(第5.1章:7年)と合わない。 事前配分型の計画(6.2.2項)は、この速度要求への回答でもある
  3. 周波数の経済価値の顕在化 — 良いチャネル・良い区画が事業価値を持つ。 深宇宙コミュニティが経験してこなかった「資源配分の利害対立」が、月圏では普通に起きる

6.2.5 いま決めておくべきこと — 実務者への含意

  • 月ミッションを計画する側:LNIS類・SFCGの月周波数計画の現行版を設計の起点にする。 独自チャネル・独自方式の余地は縮む前提で、標準リンク(近接・中継)採用を早期に決める。 近接リンクの調整(第6.1章の反省点③)を対地球リンクと同格の工程として扱う
  • 深宇宙ミッションを計画する側:月圏の混雑は深宇宙帯域には直接入らない (第1.4章の境界の恩恵)が、地上局・規制資源の競合として効いてくる — 局のスケジュール逼迫、WRC議題の月圏偏重。第5.8章の「追跡」の対象に月圏動向を含める
  • 制度に関わる側:都市計画型への移行期は、計画策定の場に出た者が将来の席を決める。 第6.4章(技術者が調整の場に出る価値)の最も具体的な現場が、いまの月圏である
Q. 月の裏側や極域では、また事情が違うのか
A. 違う。裏側は地球から電波が届かない(中継が必須 — サービス化の必然性が最も強い)。 同時に裏側は地球からの電波が遮蔽された、太陽系で最も静かな電波環境であり、 低周波電波天文の聖地として保護の議論がある(shielded zone of the Moon)。 月面にインフラを置く時代の「月の電波環境保護」は、 第4.4章の共存問題の月面版として、これから本格化する論点である。
Q. 演習のヒント:月圏の1機あたり帯域の試算
A. ①同時運用機体数を仮定する(公表されている各国・各社の計画から、 例えば同時30機)。②使える下り帯域を近地球割当から積み上げる(S帯の一部+26 GHz帯等)。 ③第4.2章の「席数」計算(占有幅+所要間隔)を回す。 ④中継集約(6.2.2項)を入れた場合 — 対地球リンクがサービス提供者数本に集約される場合 — で③がどう変わるかを比較する。集約の有無で結論が桁で変わることが、 LunaNet型アーキテクチャの周波数上の存在理由である。
Q. 深宇宙帯域に月圏のトラフィックが「あふれてくる」ことはないのか
A. 制度上はない(深宇宙限定の脚注 — 第1.3章)。 ただし圧力は制度の書き換え要求として現れうる:「月圏の逼迫を深宇宙帯域の開放で緩和せよ」 という提案がWRCの場に出る可能性は、監視すべきシナリオである(第6.4章)。 深宇宙側の防衛論拠は本書第1.1章そのもの — 桁違いの微弱受信という物理 — であり、 それを定量的に主張できる技術者の存在が防衛力になる。
■ この章のまとめ
  • 月圏では深宇宙秩序の前提(少数・機関・個別ミッション)が三つとも崩れる
  • 機体数は増え帯域は増えない — 解は中継集約とサービス化(チャネル数を機体数から切り離す)
  • LunaNet型の周波数計画は外交から都市計画への転換。柔軟性と引き換えに調整コストの発散を防ぐ
  • 火星圏は同じ問題の先行形。近接リンク標準と中継集約は火星から月への輸出品
  • 商業参入で相互性が薄まり、規範は紳士協定から免許条件・契約へ移りつつある
  • 月ミッションは標準(LNIS類)への追随を早期に決め、近接リンク調整を対地球と同格の工程に
  • 計画策定の場に出た者が将来の席を決める — 移行期のいまが最も発言の効く時期
要確認(一次資料)。 本章の領域は本書で最も変化が速い。 ①LunaNet相互運用仕様(LNIS)の現行版と参加機関。 ②SFCGの月・火星近傍の周波数計画勧告の現行版。 ③月shielded zoneの保護の議論の現状(ITU-R RAシリーズ関連)。 ④各国・商業の月ミッション計画数は執筆時点で流動的 — 試算には最新の公表計画を使い、 仮定と時点を明記すること。付録C参照。

第6.3章光通信と規制 — 免許不要という別世界

■ この章で学ぶこと
本書で二度予告した別世界(第1.1章・第5.2章)に、ここで正式に入る。 深宇宙光通信の搬送波(例:1550 nm ≈ 193 THz)は、 電波法の「電波」(3 THz以下)にもRRの周波数分配にも該当しない。 すなわち本書第1〜5部の枠組みのほぼ全部が、光には適用されない。 免許不要・分配なし・調整手続なし — 帯域逼迫に苦しむRFから見れば楽園に見える。 しかし規制がないことは、問題がないことを意味しない。 本章では「何が不要になるか」を正確に確定した上で、 それでも残る調整・新たに生じる制約を数え上げる。 規制の空白は、いずれ誰かが埋める — 埋め方に関与できるのは今のうちである。

6.3.1 なぜ枠外なのか — 定義と物理の二重の理由

制度上の理由は定義である:RRも電波法も、対象を3 THz(波長100 μm)以下の電磁波と定めている。 193 THzの光は文言上、無線通信規則の分配・手続の対象外にある。

物理上の理由がその定義を支えている:光のビームは極端に細い。 発散角は回折限界で θ ≈ λ/D — 口径22 cmの光端末で1550 nmなら約7 μrad、 X帯34 mアンテナのビーム(1.3 mrad — 第4.2章)より二桁以上細い。 火星距離(3×10⁸ km)でのfootprintは直径約2000 km — RFの39万kmに対して1/200である。 つまり光は「他者に当たること自体が例外」であり、 周波数分配という共有資源の配分問題がそもそも成立しにくい。 干渉管理の必要が薄いから規制の必要も薄い — 定義の線引きは物理の反映である。

6.3.2 不要になる手続の棚卸し

RFで必要だったもの光では本書の該当
周波数分配表の確認・帯域選択の調整不要(分配が存在しない。波長選択は技術判断のみ)第1.3章・第2部
API・調整・通告(ITU)不要第5.4章
SFCGでのチャネル調整不要(ただし6.3.3項の情報共有は残る)第5.5章
無線局免許・予備免許・落成検査不要(無線局に当たらない)第5.2〜5.3章
スペクトルマスク・PFD制限への適合不要第3.5〜3.6章
占有帯域幅・スプリアスの規制測定不要第5.6章

第5.1章のガントから、国際手続と国内手続の線がまるごと消える。 7年の律速工程が存在しない — これは帯域幅(THz級の変調帯域が原理的に取れる)と並ぶ、 光のもう一つの構造的な利点である。

6.3.3 それでも残る・新たに生じる制約

消えた規制の代わりに、別の系統の制約が入る。

  1. レーザ安全 — 高出力レーザの上方照射は、航空機の乗員・機体センサ、 および軌道上の衛星(地球観測の光学センサ等)への障害を防ぐ管理が要る。 米国のLCH(Laser Clearing House)調整のような枠組み・各国の航空当局への手続が、 光地上局の運用条件になる。RFの「免許」に相当する重さの、別系統の手続と考えるべきである
  2. 地上局サイトの制約 — 光は雲を透過しない。サイト選定は晴天率で決まり (『地上局工学』第8.3章)、複数サイトのダイバーシティ(第2.4章のKa帯の議論の強化版)が アーキテクチャの前提になる。天文台との共存も新しい形で現れる — 電波ではなく光害・空域・山頂という資源の競合である
  3. 機関間の情報共有 — 分配がなくても、送信波長・変調・時刻の情報共有は 受信協力(クロスサポート)と安全管理のために残る。 SFCG・CCSDS(光通信の標準化 — CCSDS 141系)が、規制なき領域の調整体として機能する
  4. 将来の規制化リスク — 光利用が増えれば、安全・天文保護・軌道上照射の管理が 制度化される可能性は高い。「免許不要」は現時点の状態であって、恒久の権利ではない
■ 視点の整理
RFの規制は希少資源の配分(帯域)を軸に組み立てられていた。 光で残る制約はすべて安全と気象の軸である。 「規制対応」という業務が消えるのではなく、 対応すべき軸が配分から安全へ移る — 担当者の職能も、周波数管理から レーザ安全管理・気象運用計画へと重心が移る。

6.3.4 帯域逼迫の解として、光はどこまで効くか

第2部の天井(X帯50 MHz、Ka帯500 MHz)に対し、光は変調帯域の規制上の上限がない。 実証済みの深宇宙光リンク(DSOC等の実験系)は、深宇宙距離で数十〜数百Mbpsを示しており、 近い将来のGbps級への拡張は変調・受信技術の問題であって配分の問題ではない。 ただし本書の観点から、光が「解」になる範囲を正確に区切っておく:

  • 効く:大容量の科学データ下り — 欠測を再送で回収できるデータ(第2.4章のKa帯の論理の延長)
  • 効かない:全天候性が要るTT&C・緊急系・クリティカル運用 — 雲に対する脆弱性は ダイバーシティでも消えない。RF(X帯)のバックボーンは残る(第2.3章の役割分担の最終形)
  • 中間:航法 — 光による測距・時刻比較は極めて高精度だが、 運用の常時性はRF系(『電波航法と軌道決定』)が引き続き担う

すなわち将来像は「RFから光への移行」ではなく「RF+光のハイブリッド」であり、 RF側の手続(本書第5部)は光時代にも消えない。 むしろRF帯域の需要が大容量用途から解放されることで、 X帯の逼迫(第2.3章・第4.2章)が緩和される — これが深宇宙周波数管理から見た光の最大の恩恵である。

6.3.5 ハイブリッド運用の規制上の扱い

RF+光のミッションの手続は、単純にRF部分だけが本書第5部の対象になる。 実務上の注意は三つ:

  1. 免許・届出の書類にはRFリンクのみを書く。光端末は無線設備ではない(工事設計にも載らない)
  2. ただし運用計画としては一体である — 光の欠測時にRFへフォールバックする運用は、 RF側の免許・調整(占有時間・データレート)に織り込んでおく。 「光がだめなときだけRFを太く使う」は、RF側から見ると占有時間の変動として調整相手に見える
  3. 光地上局の建設・運用の手続(レーザ安全・空域・環境)は、 無線局の手続と別ルートで並走する — 第5.1章のガントに四本目の線が増えると考えるとよい
Q. 光同士の干渉は本当に起きないのか。光地上局が増えたら?
A. 幾何的には、同一の光地上局を複数の深宇宙機が同時に使う場合の受信分離、 および太陽近傍の観測条件(背景光)が実務上の問題で、 これは「干渉調整」というより受信システム設計の問題として扱われている。 RF的な意味の帯域競合が生じるほど利用が密になる未来では、 波長・時刻の調整枠組みが必要になるだろう — その枠組みをどこが担うか (SFCGの拡張か、新しい体か)は、まさにこれから決まる論点である。
Q. 演習のヒント:不要になる手続・新たに要る手続の列挙
A. 6.3.2項の表が「不要」側の答えの骨格である。「新たに要る」側は、 ①レーザ安全(航空・軌道上への照射管理、国内の関係法令)、 ②光地上局サイトの手続(環境・空域・天文台との共存)、 ③気象ベースの運用計画(ダイバーシティ・フォールバック)、 ④RF側フォールバックの調整への織り込み(6.3.5項)。 RFの周波数計画書(第5.9章)に相当する「光リンク運用計画書」の目次を 自分で設計してみると、この章の内容が身につく。
Q. 3 THzの境界近く(テラヘルツ帯)はどうなっているのか
A. 275 GHz以上はRRの分配表の外(受動業務の保護指定などが部分的にある)で、 3 THzまでの間は制度の希薄な領域である。深宇宙通信の実用はまだ先だが、 「分配表の外側の秩序をどう作るか」という問題構造は光と共通しており、 光で作られる先例(安全枠組み・情報共有の形)がテラヘルツにも波及すると見てよい。
■ この章のまとめ
  • 光(193 THz)は定義上RR・電波法の枠外。分配・免許・調整・マスク・PFDが全部消える
  • 枠外である物理的根拠:ビームが二桁細く、配分問題が成立しにくい
  • 残る・生じる制約の軸は配分から安全へ:レーザ安全、晴天率とサイト、情報共有、将来の規制化
  • 光は大容量下りに効き、全天候のTT&C・緊急系はRFが残る — ハイブリッドが将来像
  • 光の最大の恩恵はRF帯域の需要解放(X帯逼迫の緩和)でもある
  • ハイブリッドの手続はRF部分のみ本書第5部の対象。ただし運用は一体で設計し、 光地上局の安全手続が工程の四本目の線になる
  • 規制の空白は恒久ではない。埋め方に関与できるのは利用の初期だけ
要確認(一次資料)。 ①「電波」の定義の正確な文言(RR No. 1.5および電波法第2条)。 ②レーザの上方照射に関する国内の現行の取り扱い(航空関係・レーザ安全規格)と、 軌道上物体への照射調整の枠組みの現状。 ③光通信の標準(CCSDS 141系)の現行版。 ④275 GHz超の扱い(RRの該当規定)。この領域は制度が動いている — 確認日の明記を特に徹底すること。付録C参照。

第6.4章これからの課題

■ この章で学ぶこと
本書の出口である。ここまでの各章で予告した将来論点 — 深宇宙帯域への圧力(第2.2章・第6.2章)、商業参入(第3.3章・第6.2章)、 受動業務の保護(第4.4章)、光の規制化(第6.3章) — を一枚に束ね、 技術者として何を準備すべきかに落とす。 未来予測は必ず外れるので、本章は「何が起きるか」ではなく 「どの方向から圧力が来るか」と「圧力が来たとき何が防衛力になるか」の形で書く。 執筆時点(2026年)の視点であることを明記しておく — 本章こそ、読むたびに現状と突き合わせるべき章である。

6.4.1 深宇宙帯域への圧力 — 三方向

方向圧力の中身防衛の論拠
地上業務からモバイル帯域拡張の恒常的な要求(S帯で既に現実 — 第2.2章)。 WRCのたびに隣接・共用帯域の条件変更が議題化しうる一次分配の地位(第1.3章)+ 共用条件の定量的な主張(第4.3章の等高線・実測)
宇宙業務の内側から月圏の逼迫を深宇宙帯域の開放で緩和せよという提案の可能性(第6.2章Q&A)2×10⁶ km境界の物理的根拠(第1.1章の桁差)を 定量的に語れる技術者の存在
利用の希薄さから「深宇宙は機数が少ないのに帯域を持ちすぎ」という配分効率の議論利用実績の見える化と、 Ka帯・将来需要の具体的な計画提示

共通するのは、防衛力が「計算と記録を持った技術者が、議論の場にいること」に帰着する点である。 規制の議論で負けるのは、論拠が弱いからではなくその場に論拠を出せる人がいないときである。

6.4.2 メガコンステレーションと受動業務 — 隣の戦場から学ぶ

数千〜数万機の通信コンステレーションは、電波天文(第4.4章)・地球観測の受動センサに対する 集合干渉(第4.1.4項)という、規模の新しい問題を起こしている。 深宇宙業務への直接の帯域競合は現時点で限定的だが、この戦場から学ぶべきことが二つある。

  • 集合干渉の管理手法が制度化されていく — 単一エントリ枠の配分、epfd型の統計指標、 実測による事後検証。ここで発達する道具は、月圏(第6.2章)の多数機管理にそのまま入ってくる
  • 「静かな空」は放っておくと守られない — 電波天文コミュニティの経験は、 深宇宙局の電波環境(第4.3章)の10年後の姿でありうる。 受動業務との同盟(第4.4章)は、この文脈で戦略的な意味を持つ

6.4.3 スペクトル共用技術 — 認知無線は深宇宙を救うか

地上では、周波数の静的な配分から動的な共用(センシングして空きを使う認知無線型)への 移行が進む。深宇宙への適用可能性を冷静に評価しておく:

共用技術の前提深宇宙での成立性
送信前に環境をセンシングできる 往復光時間が分単位〜時間単位。「聞いてから送る」のループが成立しない
干渉したら即座に退避できる× 同上。リアルタイムの退避は原理的に不可
多数の利用者で統計多重が効く 深宇宙は少数・長時間占有型。多重の利得が小さい
事前計画型の動的割当(スケジューリング) 運用は元々全て事前計画(第4.2章の時間分離の高度化として自然)

結論:リアルタイム型の認知無線は深宇宙に馴染まないが、 計画型の動的割当 — チャネルと時間の割付けを自動化・高頻度化する方向 — は本命である。 月圏のサービス化(第6.2章)はまさにこの方向であり、 「チャネル表を年単位で調整する」現在(第4.2章)から 「スケジューラが日単位で割り付ける」将来への移行は、技術より 制度側(免許の指定事項・調整合意の形式)の追随が律速になるだろう。 指定事項が固定チャネルを前提とする限り、動的割当は制度の外にある — ここに規制と技術の次の摩擦点がある。

6.4.4 追い続ける体制 — 個人技から仕組みへ

本書は「規制は改正される」を作法として繰り返してきた(確認日の明記、付録C、第5.8章の定常業務)。 組織としてこれを仕組みにする最小構成を示す:

  1. ウォッチリスト — 自組織の全ミッションが依拠する規制・勧告・計画の一覧 (第3.1章の「規制の地図」の組織版)。各項目に現行版・確認日・担当者
  2. 年次の棚卸し — WRC・SFCG・国内改正・LNIS類の差分確認を年1回のイベントとして固定する
  3. 議題の早期警戒 — 次回WRC議題・SFCG検討項目のうち自組織に効くものの判定。 これは技術者にしかできない(第3.1章)
  4. 事象と記録の還流 — 干渉事象DB(第4.5章)・調整の振り返り(第6.1章の演習)を ウォッチリストの改訂に反映する

6.4.5 技術者が調整の場に出るということ — 本書の結び

本書を通じて繰り返し現れた構図を、最後に一つにまとめる。

  • 規制の数値は技術計算の固定化である(第3.2章:保護基準はΔT/T計算の出力)
  • 調整の交渉力は計算の質と速さである(第5.5章:定量提案ができるチームは速い)
  • 規範の実効性は顔の見える技術者の相互性である(第3.3章)
  • 制度の将来は策定の場に出た者が決める(第6.2章:月圏の席)

すなわち、この分野のあらゆる層 — 数値・交渉・規範・将来 — の根元に技術者がいる。 周波数管理を「法務・渉外の仕事」と見なして技術者が手を離すと、 数値の根拠を語れる人が場からいなくなり、防衛も提案もできなくなる。 逆に、リンクバジェットと干渉計算を持って調整の場に出る技術者は、 自分のミッションだけでなく深宇宙という業務そのものの帯域を守っている

変調指数を一つ動かした瞬間に適合性が変わる — 本書の入口に置いたこの言葉は、 出口では逆向きに読める:適合性の議論は、変調指数を動かせる人にしか完結できない。 規制と技術を往復できる技術者になること。それが本書が読者に望む唯一のことである。

Q. 10年後の自分のミッションの周波数はどうなっているか(章末演習の視点)
A. 演習として書くべき軸を挙げる:①X帯逼迫は光の大容量移行(第6.3章)でどこまで緩和されたか、 ②月圏の計画型管理(第6.2章)は火星圏・深宇宙に波及したか、 ③自分の使う局の帯域対応(第2.5章)はどう変わったか、 ④WRC 2回ぶんの改正で自分の帯域の共用条件はどう動いたか。 予想の当否より、4軸それぞれの「監視すべき指標」を特定できることが演習の成果である。
Q. 本書の内容は何年もつのか
A. 層によって寿命が違う。物理(第1.1章の桁、第4部の計算法)はほぼ恒久。 制度の構造(三層・三段手続・業務区分)は10年単位で安定。 具体的な数値・様式・組織名は数年で動く — だから本文から数値を外し、付録Cに索引を置いた。 構造を本書で、数値を一次資料でという分業が守られている限り、本書は使える。 その分業が崩れた章を見つけたら、それが改訂の合図である。
■ この章のまとめ
  • 深宇宙帯域への圧力は地上業務・宇宙業務内部・配分効率論の三方向から来る
  • 防衛力の正体は計算と記録を持った技術者が議論の場にいること
  • メガコンステレーションの戦場で発達する集合干渉管理は、月圏・深宇宙にも入ってくる
  • リアルタイム認知無線は深宇宙に馴染まない。本命は計画型の動的割当 — 律速は制度側の追随
  • 追跡は個人技でなく仕組みに:ウォッチリスト・年次棚卸し・議題早期警戒・記録の還流
  • 数値・交渉・規範・将来 — すべての層の根元に技術者がいる
  • 適合性の議論は、変調指数を動かせる人にしか完結できない
要確認(一次資料)。 本章は2026年執筆時点の見通しであり、将来のWRC議題・月圏計画・光規制の動向は流動的である。 読む時点での現状との突き合わせを前提とすること。 次回WRCの議題一覧、SFCG・LNIS類の最新動向、メガコンステレーション関連の 規制動向(epfd等の指標の展開)を付録Cの情報源から確認する。
付録

付録A総合演習 — 1ミッションの周波数計画を作る

■ この演習について
本書の全部を一本に通す演習である。与えられたミッション要求から出発し、 帯域選択 → スペクトル設計 → マスク適合 → 干渉解析 → 周波数計画書、 と進めて第5.9章のテンプレートを実際に埋め切ることがゴールになる。 各段に「使う章」を示すので、詰まったらそこへ戻ること。 解答例は最後に方針だけ示す — この演習の答えは一意ではなく、 根拠が追跡できる計画なら全て正解である(第2.5章:結論より根拠)。

A.1 設定 — ミッション要求

項目要求
ミッション小惑星サンプルリターン。巡航3年+近傍運用1.5年+帰還2年
距離域0.9〜2.2 au(地球距離 最大3.3×10⁸ km)
データ量近傍運用期:観測データ 平均2 Mbps相当。巡航期:ハウスキーピングのみ
航法要求近傍フェーズでΔDOR使用。2ウェイドップラ・レンジング常用
探査機リソース送信RF出力 最大40 W、高利得アンテナ径 1.2 m、中利得・低利得系あり
地上局国内54 m級(X/Ka受信・X送信)主用、海外34 m級(X)クロスサポート
打上げ6年後と仮定する

A.2 課題1 — 帯域選択(第1.4章・第2部)

  1. 各リンク(上り・下り・緊急系)を業務区分とカテゴリ(A/B)に分類せよ。 距離域0.9 auの下限は2×10⁶ kmを常に超えるか? 打上げ直後はどうか(第2.1章)
  2. 第2.5章のトレード表を、この要求で埋めよ。 X単独/X+Ka の2案について、6軸すべてに根拠つきで◎○△を付ける
  3. 結論と、その結論が覆る条件(前提の感度)を1ページで書け

チェックポイント:2 Mbps・2.2 au・40 W・1.2 mの組合せはX帯で成立するか、 リンクバジェットの概算(『宇宙通信』第1.2章の式)を先に回すこと。 成立が際どいなら、それ自体がKa帯検討あるいはレート要求交渉の根拠になる。

A.3 課題2 — チャネルと変調諸元(第2.3章・第3.5章)

  1. 下りの変調構成を決めよ:近傍運用期(2 Mbps)と巡航期(低レート+レンジング)の2構成。 巡航期はPCM/PSK/PM+測距併用を仮定し、変調指数の初期値を置く
  2. 各構成の占有帯域幅を計算せよ(第2.3章の式、第5.6章の定義)
  3. X帯下り50 MHzの中の希望チャネルを仮置きせよ。 端を避ける理由(第2.3章Q&A)を踏まえ、中心周波数の候補を2つ挙げる

A.4 課題3 — マスク適合(第3.4〜3.5章)

  1. 巡航期構成(サブキャリア方式)について、搬送波・データ側波帯・高調波の電力配分を計算せよ (第3.5章の式。変調指数はA.3で置いた値)
  2. 模擬マスク(本書は数値を与えない — 第3.4章の方針どおり、 SFCG勧告の現行版から折れ点を自分で転記すること。教材として使う場合は 指導者が模擬値を与えてもよい)に重ね、最小余裕とその周波数を特定せよ
  3. 変調指数を±0.2 rad振って、マスク余裕・データ電力・搬送波電力の三すくみ(第3.5章)を表にせよ

A.5 課題4 — 干渉解析(第4部)

  1. 近傍運用期に、同方向±2°以内に他ミッション1機(X帯、受信電力が自機より15 dB強い)が いると仮定する。同一ビーム条件(第4.2章)が成立するか、54 m局のビーム幅から確認せよ
  2. チャネル間隔の要求を計算せよ(第4.2章の例の型:相手の裾レベルと保護基準I/N ≤ −12 dBから)
  3. A.3で置いた希望チャネルはこの要求を満たすか。満たさない場合の回避策を 安い順(第5.5章)に3つ挙げ、それぞれの代償を書け
  4. 地球近傍フェーズ(打上げ直後)のPFDを計算し、制限との比較の考え方を書け(第3.6章)

A.6 課題5 — 工程と文書(第5部)

  1. 打上げ6年後として、逆算ガント(第5.1章の型)を引け。 API提出・SFCG初回提出・予備免許申請・設備測定の時期を置き、律速工程に印を付ける
  2. 7年期限(RR No. 11.44)に対する余裕を検算せよ。打上げが2年延びたらどうなるか
  3. 第5.9章のテンプレート(周波数計画書の9章構成)の目次と、 各章に入る成果物(A.2〜A.5で作ったもの)の対応表を作れ
  4. 諸元表を1枚作れ — 全数値に素性(設計値/計算値/仮定)の欄を付けること

A.7 解答の方針と自己採点

課題解答の方針(要旨)自己採点の観点
1(帯域)リンク概算からX帯成立性は際どい線に出るのが正しい。 X単独+レート運用(可視時間で稼ぐ)か、X+Kaかは根拠次第でどちらも正解6軸すべてに数字か出典が付いているか
2(諸元)2 MbpsはフィルタつきQPSK系で占有〜2 MHz級。 巡航期はサブキャリア数百kHz級の占有OBWの計算方法を明記したか
3(マスク)高次高調波(1/n²)が帯域外領域に届く構図が出るはず最小余裕の周波数まで特定したか。三すくみの表があるか
4(干渉)±2°は明らかに同一ビーム外(54 m X帯のビームは0.047° — 第4.2章) …と気づけるかが最初の関門。この設定は引っかけである。 オフアクシス利得での通常計算(第4.1章)に切り替える幾何の確認を計算の前にやったか
5(工程)API即時提出でも6年後打上げなら期限内。2年延期で7年期限に触れる — 「出し直しか、提出を遅らせるか」の議論ができれば合格律速に印が付いているか。バッファの位置(第5.1章)

最後に、A.6-3で作った対応表を眺めてほしい。 帯域選択の根拠が申請書に、スペクトル計算が調整資料に、干渉解析が協議の土俵に、 そのまま流れ込んでいるはずである。周波数の仕事は、設計と手続きが一枚につながったときに完成する — それを自分の手で一度通したことが、本書の修了証である。

教材として使う方へ。 本演習は数値の一部(マスク折れ点・保護基準値)を意図的に与えていない。 本書の方針(数値は一次資料から)を演習でも貫くためである。 授業・研修で使う場合は、指導者が現行の一次資料から模擬値を切り出して配布するか、 受講者に付録Cの索引から自力で取得させること — 後者のほうが教育効果は高い。

付録B用語集

本書で使う用語を分野別にまとめる。日英併記、規則用語は原語を優先する。 定義の正文はRR第1条・電波法(付録C)にあり、ここでの説明は実務的な要約である。

B.1 管理体系・組織

用語英語/原語要約
国際電気通信連合ITU国連専門機関。無線通信部門がITU-R(第1.2章)
世界無線通信会議WRCRRを改正できる唯一の会議。3〜4年周期(第1.2章)
無線通信局BR (Radiocommunication Bureau)ITU-Rの事務局。届出の審査・MIFR管理(第5.4章)
研究委員会SG (Study Group)勧告を作る技術検討体。宇宙関係はSG7(第1.2章)
主管庁administrationITUに対して国を代表する官庁。日本は総務省(第1.2章)
宇宙周波数調整グループSFCG宇宙機関間の調整体。勧告に法的拘束力はないが実効性大(第3.3章)
地域機関APT / CEPT / CITELWRC前の地域的な共同提案づくりの場。日本はAPT(第1.2章)
CCSDS宇宙データシステムの標準化体。変調・符号・プロトコル(第3.3章Q&A)

B.2 業務区分と帯域

用語英語/原語要約
宇宙研究業務SR (Space Research Service)科学・技術研究のための宇宙通信業務。深宇宙探査はここ(第1.4章)
深宇宙deep space地球から2×10⁶ km以上(RR No. 1.177)。月・L2は含まれない(第1.4章)
Category A / BSFCG/CCSDS用語。A=近地球(<2×10⁶ km)、B=深宇宙(第2.1章)
宇宙運用業務SO (Space Operation Service)宇宙機の運用(TT&C)のみに関する業務(第1.4章)
地球探査衛星業務EESS地球観測衛星の業務。X帯深宇宙下りの隣人(第1.4章)
電波天文業務RAS (Radio Astronomy Service)宇宙起源電波の受信のみの業務。保護基準が最も厳しい(第1.4章・第4.4章)
一次業務/二次業務primary / secondary分配表上の地位。大文字=一次。二次は一次に保護を主張できない(第1.3章)
周波数分配allocation帯域を業務へ割り振ること(RR第5条)。特定局への割当て(assignment)と区別(第1.3章)
ターンアラウンド比turnaround ratioコヒーレント中継の上り/下り周波数比。X帯880/749(第2.3章)

B.3 規制上の技術用語

用語英語/原語要約
必要帯域幅necessary bandwidth (B_N)その通信に必要十分な帯域幅。領域境界の基準(第3.5章)
占有周波数帯幅occupied bandwidth (OBW)全電力の99%を含む幅(第3.5章・第5.6章)
帯域外領域/スプリアス領域OoB / spurious domainB_N縁から±250%B_Nまでが帯域外領域、外がスプリアス領域(第3.5章)
スペクトルマスクspectral mask離調に対する放射PSD上限の折れ線。SFCG勧告がカテゴリ別に規定(第3.4章)
電力束密度PFD (power flux-density)単位面積あたり通過電力。地表PFD制限が宇宙側に課される(第3.6章)
有害な干渉harmful interference業務の運用を妨げる干渉(RR定義)。是正を主張できるのはこれ(第3.1章・第4.5章)
I/N・ΔT/T干渉の定量指標。同じ量の二表現。ΔT/T=6%が調整要否の古典値(第4.1章)
集合干渉/単一エントリaggregate / single-entry全干渉源の合計と一源あたりの配分の二層管理(第4.1章)
保護基準protection criteria業務が許容できる干渉の上限(SA.1157系・RA.769等 — 第3.2章)
変調指数modulation index位相変調の深さ[rad]。搬送波/側波帯の電力配分を決める(第3.5章)

B.4 手続用語

用語英語/原語要約
事前公表資料API (Advance Publication Information)衛星ネットワーク計画の国際的な予告(RR Art.9 — 第5.4章)
調整coordination (CR/C)影響を与えうる国との個別合意手続(第5.4章)
通告notification使用の正式届出。BRの審査を経てMIFR記載へ(RR Art.11 — 第5.4章)
国際周波数登録原簿MIFR記載により国際的保護の立場を得る台帳(第5.4章)
7年期限API受理から7年以内に使用開始しないと失効(RR No. 11.44 — 第5.1章)
予備免許工事に着手してよいという国内の許可。電波発射の許可ではない(電波法第8条 — 第5.3章)
落成検査設備完成後の検査。合格して免許(電波法第10・12条 — 第5.3章)
指定事項免許に付く周波数・空中線電力等。運用の法的境界(第5.2章)
実通試験打上げ後、実通信での性能・適合の確認(第5.7章)
無線局radio station無線設備+操作する者の総体。免許の対象(電波法第2条 — 第5.2章)
BR IFICBRの国際周波数情報回章。届出の公表媒体(第5.4章)
クロスサポートcross support他機関局による追跡・通信支援(『地上局工学』第7.5章)
注意。本表の英語・番号は実務の便宜のための要約であり、 正確な定義はRR第1条・電波法・各勧告の現行版で確認すること(付録C)。 既存3冊の用語集(『宇宙通信』付録B等)と併用する場合、 通信技術用語はそちらを正とし、本表は規制・手続用語を正とする分担である。

付録C一次資料の地図 — どこに何が書いてあるか

■ この付録について
本書で最も重要な付録である。本文は一貫して「数値は一次資料から、確認日を明記」を作法としてきた。 その一次資料の在り処をここに集約する。 各章末の「要確認」は、すべてこの地図から辿って潰せるはずである。 なお入手URL・提供形態は変わるため、ここでは資料名と発行元を正とし、 具体的な入手先は「発行元の公式サイトから辿る」を原則とする。 検索エンジン経由で見つかる二次配布・旧版のPDFを掴まないこと — 版の確認できない資料は一次資料ではない

C.1 ITU無線通信規則(RR)

資料発行元本書で使う箇所
Radio Regulations(現行版)ITU(公式サイトから無償入手可)
 Article 1(定義)深宇宙の定義(No.1.177)、業務定義、有害な干渉(第1.4章・第3.1章)
 Article 5(分配表と脚注)帯域の端点・条件のすべて(第1.3章・第2部)
 Article 9 / 11(調整・通告)API・調整・通告・7年期限(No.11.44)(第5.4章)
 Article 15(干渉)干渉事象の国際的是正(第4.5章)
 Article 21 / 22(技術条件)PFD制限の表(第3.6章)
 Appendix 4 / 5届出データ項目・調整要否基準(第5.4章)
WRC最終文書(Final Acts)ITU改正差分の早期把握(第3.1章・第5.8章)

C.2 ITU-R勧告

系列本書で使う代表(番号は要現行確認 — 第3.2章)
SAシリーズ(宇宙応用)保護基準(SA.609、SA.1157系)、システム諸元(SA.1014)、共用(SA.1016系)、基準パターン(SA.509系)
RAシリーズ(電波天文)保護閾値(RA.769)、時間率評価(RA.1513)(第4.4章)
Pシリーズ(伝搬)降雨・大気(P.618/P.837/P.676/P.840 — 第2.4章)、電離層(P.531 — 第2.2章)、地上間干渉伝搬(P.452 — 第4.3章)
SMシリーズ(スペクトル管理)不要発射・帯域幅の定義と測定法(第3.5章・第5.6章)

入手はITU-R公式(現在は無償公開)。枝番(-1, -2…)まで確認して引用すること。 「問い→勧告」の対応表(第3.2章)を自組織版に育てるのがよい。

C.3 SFCG文書

  • SFCG勧告・決議 — 帯域使用・スペクトルマスク(Category A/B別)・保護の運用(第3.3〜3.4章)。 公開範囲に制限があるものを含むため、入手・引用は機関の周波数担当経由を原則とする
  • 月・火星近傍の周波数計画(第6.2章) — 変化が速い。会合ごとの更新を追う

C.4 国内法令・資料(日本)

資料本書で使う箇所
電波法(e-Gov法令検索で現行版)無線局・免許の枠組み(第2条・第6〜12条 — 第5.2〜5.3章)
電波法施行規則・無線設備規則ほか関係省令局種別、技術基準(周波数偏差・OBW・スプリアスの許容値)と測定法(第5.6章)
周波数割当計画(総務省)国内分配・割当ての現況(第1.3章)
総務省 電波利用ホームページ免許手続・申請様式・無線局情報の検索(第4.3章の等高線照合にも)
電波防護指針関係上り送信の保安(第3.6章、『地上局工学』第4.2章)

C.5 標準・機関資料

  • CCSDS勧告(公式サイトで無償公開) — RF・変調(401系)、符号化、近接リンク(Proximity-1)、 光通信(141系)。設計側の一次資料(第3.4章・第6.2〜6.3章)
  • 各深宇宙局の支援仕様・アンテナ諸元 — DSN・ESTRACK・国内局の公表文書 (『地上局工学』第8部)。帯域対応・G/T・スケジュール(第2.5章)
  • LunaNet相互運用仕様(LNIS) — 月圏アーキテクチャ(第6.2章)
  • IADCスペースデブリ低減ガイドライン等 — 運用終了処置と停波(第5.8章)

C.6 改正を追う情報源

何を追うかどこで周期
RRの改正WRC議題(ITU公表)→ Final Acts → 改訂版RR3〜4年
国内の検討・改正総務省の審議会資料・意見募集(パブリックコメント)随時
ITU-R勧告の改訂SG7の公表情報年1回の棚卸しで足りる(第3.2章)
SFCG・月圏計画年次会合の結果(機関経由)年次
BRの届出公表BR IFIC(隔週)自帯域に関係する届出の監視(第5.4章)

C.7 使い方 — この地図から各章の「要確認」を潰す

章の要確認当たる資料(本付録の節)
帯域の端点・脚注(第1.3章・第2部)C.1 Art.5 + C.4 割当計画
マスク折れ点・帯域効率(第3.4〜3.5章)C.3 SFCG勧告 + C.5 CCSDS
PFD制限値(第3.6章)C.1 Art.21
保護基準・時間率(第4.1〜4.4章)C.2 SA/RA系 + C.1 AP5
手続き・期限(第5.1章・第5.4章)C.1 Art.9/11・AP4 + C.3
国内手続き・技術基準・測定法(第5.2〜5.3章・第5.6章)C.4
局の対応状況(第2.5章)C.5 局の支援仕様
月圏・光・将来動向(第6部)C.3・C.5(LNIS・CCSDS 141)・C.6
最後にもう一度、本書の作法。 一次資料に当たったら、資料名・版(または発行日)・該当箇所・確認日の四点を自分の文書に残す。 この四点があれば、後任者は差分だけ確認すればよい。なければ全部やり直しになる。 付録Cが古びたとき(発行元・提供形態の変化に気づいたとき)は、この付録自体を更新すること — 地図の手入れも周波数管理の定常業務である(第5.8章)。
■ 姉妹書

本書は、深宇宙探査の通信・航法を扱う教科書群の一冊である。重複を避けて書き分けているので、 隣の巻と行き来しながら読むことを想定している。

本書の数値は設計初期の目安である。実設計・実手続では対象ミッションの正式諸元と、 CCSDS / ITU-R / JERG / 電波法関係法令の原文書に必ず拠ること。